移乗攻撃
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19世紀には移乗攻撃が有力な敵艦に対する奇襲手段として用いられた実例がいくつかある。1801年5月6日の海戦(en)では、イギリス海軍の帆走スループ「スピーディ」(備砲14門)がスペイン海軍の帆走フリゲート「エル・ガモ」(en, 備砲32門)に接舷して砲撃を封じ、移乗攻撃で降伏させた[17]装甲艦の登場した19世紀後半には、非装甲軍艦が装甲艦に対抗する戦術として、1869年宮古湾海戦において、幕府側が東艦の奪取を計画した際、フランス軍事顧問団の5人とは別に後から参加したアンリ・ポール・イポリット・ド・ニコール(フランス海軍士官候補生)の発案により、斬り込みによって奪取するアボルダージュ作戦が決行されたが失敗した。また1879年イキケの海戦でも移乗攻撃が試みられたが撃退されている。

1854年に日露外交交渉使節として日本に派遣されたエフィム・プチャーチンは、滞在中の同年12月に安政東海地震に遭い、津波で乗艦ディアナ号を喪失した。彼は帰国のための船舶を得る目的で、地震の翌月の1855年1月、下田港に入港してきたフランスの捕鯨船を移乗攻撃により拿捕・奪取することを企て、ディアナ号乗員だった水兵を武装させてカッターで襲撃を試みた[注 2]。しかしながら襲撃隊の到達前にフランス船は下田港を出港したため襲撃は実現しなかった[18][注 3]

20世紀に行われた正規戦での移乗攻撃の実戦例として、第二次世界大戦中のイラン進駐において、オーストラリアのスループヤラ」などが陸兵による移乗攻撃班を事前準備し、碇泊中のイラン海軍の小型砲艦2隻を接舷移乗で拿捕している[19]。偶発的な事例では、第二次世界大戦でドイツ潜水艦のU-66(en)がアメリカの護衛駆逐艦であるバックレイ級護衛駆逐艦[注 4]に体当たりした際に起きた白兵戦などがある[20][注 5](en:German submarine U-66 (1940)#Sinking)。

船内に拘束された捕虜人質救出作戦としては、近現代に入っても移乗攻撃が実施されている。第二次世界大戦では、イギリス駆逐艦2隻がドイツ船「アルトマルク」に収容された捕虜の救出作戦を行い、アルトマルク号事件を起こした[23]

第二次世界大戦までは水上艦艇による通商破壊が行われており、その過程で敵性商船に武装水兵を移乗させて拿捕、戦利品の獲得や自沈処分をすることがあった。威嚇射撃などで停船させた後、艦載艇を使って武装水兵による処分隊を移乗させた[24]。海賊行為でもこの種の移乗攻撃が行われる。

現代では海軍や沿岸警備隊によって、警察活動としての臨検や犯人制圧などに使用する特殊部隊が編成されていることもある。2001年の九州南西海域工作船事件では、日本の海上保安官が不審船に接舷移乗しようとした際に銃撃戦となった。
ギャラリー

イギリス海軍イラク石油タンカー(2002年)

船内に突入するコマンドー・ジョベール隊員

フランス海軍

ブラジル海軍

海軍の訓練、ジョージアアメリカ海軍

イギリス海兵隊臨検チーム

海賊容疑者を拘束しようとするアメリカ海軍水兵と沿岸警備隊員アデン湾

使用される兵器19世紀のパイクによる艦上戦闘術の再現。槍衾で敵兵の侵入を阻止する。HNS ダート(英語版)に設置されたガトリング砲(1885年)

移乗攻撃で使用される武器は基本的にその時代の歩兵装備と同じであるが、索具などが並び狭い船上で使用するという特殊性から若干の違いが見られる。特徴的な武器として、片刃で重い短剣のカットラスがある。これは特別な剣術の訓練を受けていない水兵でも容易に扱うことが可能で、さらに植民地でのサトウキビ伐採や包丁など日用品にも転用できる武器であった。フランス海兵隊は軽くて取り回しの良い武器を装備しており、将校は陸戦用のブロードソードや騎兵向けの刀剣であるサーベルより細身のレイピアを好んだ。兵の使用するマスケット銃もイギリス海兵隊のブラウン・ベスより小型軽量であった[25]。海兵隊以外の水兵もカットラスやパイク、ナイフ、索止め栓(ビレイピン, en)など有り合わせの武器を手にして白兵戦に加わった[26]

防具として鉄製の鎧を着用すれば刀槍や弓矢から身を守ることができる半面、水に落ちた場合には重さのためにおぼれて死亡する危険があった[27]

味方の歩兵戦闘を支援したり、突入してきた敵兵を撃退するための射撃兵器も開発された。ファルコネット砲などは、舷側の手すりの上や三脚架に旋回砲として据えられて、敵の防御火砲を制圧したり、甲板に侵入した敵兵を掃射したりするのに用いられた[27]ガトリング砲南北戦争以降に戦列歩兵式が廃れたことで陸戦では有用性を失っていたが、移乗攻撃を仕掛けてきた敵兵の迎撃に有効でファルコネット砲より軽量なことから、舷側の手すりに上に設置した例もある。マストには狙撃手や投石兵、小型のクーホルン臼砲などを配置するための台であるファイティング・トップ(戦闘楼, en)が設けられることがあった。

接舷切り込みのため敵船を拘束する道具としては、錨のような鉤を付けた綱や、熊手などが用いられた。逆に敵兵の侵入を阻止する設備として、19世紀までの西洋海軍ではアンチ・ボーディング・ネッチングと呼ばれる網を戦闘時に舷側に張り巡らすことがあった。

現代では艦載小火器による火力支援と併せ、CQB用装備が用いられる。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ ただし、松村劭は、英蘭戦争でオランダ海軍を率いたマールテン・トロンプミヒール・デ・ロイテルについて、イギリス海軍に追随して砲撃戦を行ったものの、決戦手段としては移乗攻撃に固執していたと主張している[15]
^ 当時、クリミア戦争によりロシアとフランスは交戦状態にあった。
^ その後、帰国のためヘダ号を日本で建造したほか、アメリカやドイツの商船を用船した。
^ 映画「眼下の敵」に登場する護衛駆逐艦。ちなみにこの映画では、史実のように体当たりし合体したままとなったUボートの将兵たちを、駆逐艦長らが救出する。
^ 木俣滋郎は、日露戦争中に日本駆逐艦」がロシア駆逐艦「ステレグーシチイ」を拿捕しようとした際、移乗攻撃で艦長を刺殺したとする[20]


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