租庸調
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正調

調の本体であり、繊維製品をもって納入した。正調は大きく分けてで納入する調絹(ちょうきぬ)とで納入する調布(ちょうふ)に分けることが出来る。絹と布との区別は、

絹は、蚕から取れる繊維製品を指した。天皇などの高貴な身分の人々が用いる最高級品だった。

布は、をはじめなどの絹以外の繊維製品を指した。

時代によって違うものの、大宝律令養老律令の規定に基づけば、

調絹は長さ5丈1尺・広さ2尺2寸で1疋(1反)となし、正丁6名分の調とする。

調布は長さ5丈2尺・広さ2尺4寸で1端(1反)となし、正丁2名分の調とする。

とされていたが、実際の運用においては、養老年間に改訂が行われ、

調絹は長さ6丈・広さ1尺9寸で1疋(1反)となし、正丁6名分の調とする。

調布は長さ4丈2尺・広さ2尺4寸で1端(1反)となし、正丁1名分の調とする。

とする規定が定められて、これを元に徴収が行われていた。

特に美濃国で作られた?絹織物)である美濃?と、上総国で作られた布(麻織物)である望陀布は、古くから品質は上質とされ、かつ東国豪族の忠誠の証を示す貢納品としても評価され、「東国の調」と呼ばれて古くから宮中行事や祭祀に用いられてきた。このため、美濃?・望陀布に関する規定が特別に設けられていた。
調副物

調に付属した税。正丁のみ紙や漆など工芸品を納めた。
調銭

調の物納に替え、銭で納税する制度。但し、後世のように貨幣経済は発展していないため、目的は銭貨の流通・還流策の一環であり、大宝律令の施行後間もない和同開珎の鋳造後には施行された。制定当時は、銭5文を調布は長さ1丈3尺に相当するものとされたが、貨幣価値の変動に左右された。神亀年間から天平年間の京畿では正丁1名につき9文となっている。
飛騨国の特例

飛騨の民は調・庸を免除される替わりに匠丁(しょうてい、たくみのよほろ)を里ごと10人1年交替で徴発され、平安時代には総勢100名とされた。いわゆる飛騨工(ひだのたくみ)である。匠丁は木工寮や修理職に所属して工事を行った。
運脚

調・庸・調副物は京に納入された。運搬は庸の労役であり、郡司が指名した(運脚)。

また、国内各地から運脚が集まったことで都城における人口の密集に拍車をかけて病原体への接触の可能性を高め、更に彼らがそれを故郷に持ち帰ったことが律令制の時代にたびたび発生した疫病の流行の一因であったとする見方もある[4]

なお、九州の人々は「遠の朝廷」とも呼ばれる大宰府へ税を納入した[5]
年料舂米詳細は「年料舂米」を参照

各国(遠国を除く)から規定された量の舂米を都へ運び納めた。官人へ給付された。
中国大陸の租庸調

中国大陸の租庸調は、北周556年 -581年)に始まり、618年 - 907年)で完成した。以下は、唐における租庸調である。

均田制に基づく田地の支給に対して、粟(穀物)2石を納める義務を負った。これが租である。租は穀物を納める税であったが、当時の唐の基盤となった華北の主食は粟(アワ)であり、租の本色(基本的な納税物)は粟とされていた[6]

律令においては、本来は年間20日の労役の義務があり、それを「正役」と称した。正役を免れるために収める税が庸であったが、唐代中期以後は庸を納めることが一般化した(なお、雑徭2日分が正役1日分と換算されたため、雑徭を年間40日を行った者はその年の正役も庸も免除され、庸を正役20日分納めた者は雑徭も40日分免除された)。正役1日に対し絹3尺あるいは布3.75尺を収めることとされていた。
調
調は、絹(絹織物)2丈と綿(真綿)3両を収めることとされていた。

ただし、租庸調は南北朝時代統一以前の北朝支配下の農民の実態に合わせた租税制度であったと見られ、581年 - 618年)になってから統治下に含まれるようになった旧南朝支配地域でそのまま実施されたかについて疑問視する意見もある(南朝支配下の華南はを主食とし、農民の生産活動が華北とは大きく異なるため)[7]

均田制が崩壊し、大土地所有の進行の一方で、本籍から離れ小作人となる農民が増えるようになると、制度の維持が難しくなり、地税・青苗税・戸税などの弥縫的な税を経て、建中元年(780年)、徳宗の宰相楊炎の建議により、実際の耕地に応じて徴収する両税制が施行されると、それが主たる歳入源となり、租庸調は形骸化した。
朝鮮の租庸調

租庸調
各種表記
ハングル:???
漢字:租庸調
発音:チョヨンジョ
日本語読み:そようちょう
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