秒表示の正確性は、振り子時計が発明され、日時計による見かけ時間の表示から平均時を表すことができるようになって向上した。特に1670年にビル・クレメント(William Clement)がクリスティアーン・ホイヘンスの時計に秒振り子(英語版)を加えた事が顕著に貢献した[26]。ロングケース・クロック(英語版)の秒振り子は一往復で2秒を示し、片方からもう一方へ振れる際に鳴る機械音が1秒毎の時間を刻んだ。そして、精密時計の文字盤には1分間で一周する秒針が加えられるようになった。
日本の法令では、1951年(昭和26年)に制定された計量法で、時間の計量単位として秒が定められ、「秒は、平均太陽日の1/86400とし、東京天文台が秒として決定する時間で現示する」とされた[27]。当時の東京天文台(現国立天文台)では、子午儀による恒星の観測で時を測定し、測定結果を外挿して標準時計であるリーフラー振り子時計[28]の歩度を調整して保時していたといわれる[29]。 歴史的には地球の自転周期すなわち一日の長さ(LOD)は一定だと考えられていた。ところが、クォーツ時計の精度が向上すると、LODには潮汐力[30][31]や季節変動[32]による1ミリ秒から2ミリ秒程度の変動、すなわち10−8日程度の変動があることが分かってきた[33]。このため、LODを元にした定義では、精度上の問題があることが判明した。 LODの変化には、海流や大気の循環、さらに地球の核の流動なども影響を及ぼしている。また、地震の発生も潮汐力による変動の1000分の1程度のわずかの自転周期の変動を起こす[34]。 なお、LODが数年間の期間内に徐々に長くなっている(又は、地球の自転が遅くなっている)ことが閏秒が設けられている理由であるということが広範に信じられているきらいがあるが、これは、誤解である。詳細は閏秒挿入の理由についての間違った理解、地球の自転を参照のこと。 このLODの不安定性を受けて、1954年の第10回国際度量衡総会(CGPM)での決議に基づき、1956年の国際度量衡委員会(CIPM)において、秒の定義を地球自転よりも変動が少ない公転に求め[30]、「1900年の年初に近い時で、太陽の幾何学(章動と光行差の影響を除いた)平均黄経が 279度41分48.04秒 となる時刻を基点として測り、この時刻を暦表時1900年1月0日の12時(日本標準時で1899年12月31日21時)と定義する。暦表秒はこの時刻から1太陽年の 1/31556925.9747」と改められた[11]。日本の法令では、1958年(昭和33年)に改正された計量法 新たな定義は、アルカリ金属であるセシウムを用いた原子時計によるものである[11]。セシウムは天然では原子量133の元素のみが存在し、かつその沸点は671℃と低く、他の元素に比べて使いやすいために、原子時計に採用されていた[11]。そのため、観測によってのみしか決定できない地球の公転よりも、実験室で求めることが可能な原子時計を直接用いて秒の定義を決めることが効率的と考えられた[11]。これには、量子力学の原理から、すべての133Cs原子には個別の差が存在しないため、原理的に同一の定義が可能という特色もある[39]。 1955年6月にイギリスの国立物理学研究所 (NPL) がセシウム原子時計を実用化すると、いくつかの国家は原子時計を導入し、時系の運用に使用し始めた[40]。まず、原子時計には誤差の徹底的な洗い出しと対策が施され[41]、そしてアメリカ海軍天文台 (USNO) のウィリアム・マーコウィッツ
地球の公転周期に基づく秒
原子時計による秒