科学的方法
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同文書などでは、「科学的な方法の特徴は、論証過程と調査プロセスに顕著に認められる」とした[2][注釈 3]記述がみられる。論証過程においては、以下のような記述がある。

基本的なことを言えば、様々な科学的学問は次のような点では似通っている。すなわち、証拠に依拠していること、仮説理論を使用しているということ、また用いられる論理の種類、である[9][10]。とは言うものの、科学全てが同一の特徴を有しているというわけではなく、異なる点も多々ある[9][10]。たとえば科学者ごとに、研究する現象、活動に取り組む姿勢歴史的データを用いるか実験的発見を用いるのか、手法が定性的なのか定量的なのか、基本原理への依拠の程度、他の科学の所見をどの程度重視するか、などの点では大きく異なっている[9][10]

上記の記述において、「証拠に依拠していること、仮説理論を使用しているということ、また用いられる論理の種類に共通性があること」が、科学的学問の間で、特に類似性の高い部分としている[10]

また、一般に、論理の妥当性に関しては以下の点が必要である[4]

「適切な証拠への依存」

「明確な結論の存在」

「証拠と結論を結ぶ適切な推論過程の存在」

これらについて、以下のような記述が本文[10]に記載されている(下線は本記事の執筆者による)。

科学は証拠を要求する遅かれ早かれ,科学的主張の妥当性は現象を観察することで解決される。したがって,科学者は正確なデータを収集することに努力する。

仮説や理論の形成にはあらゆる種類の想像力や思考力が利用されるが,遅かれ早かれ,どのような科学的主張であっても論理的推論の原則に合致しなければならない。すなわち、推論,実証,常識に関する一定規準を適用することで,主張の有効性は試されなければならないのである。科学者は,しばしば特定の証拠の価値や特定の想定の妥当性について見解が異なるため,正当化すべき結論に関する見解が異なることがある。しかし,証拠と想定を結論に結びつけるための論理的推論の原則については,科学者の見解は一致する傾向にある。

これに加え、以下のようなことも述べている。

論理と証拠に関する詳細な調査は必要なものではあるが,これだけでは科学の発展にとって十分ではない。科学的概念は,データや実施された多くの分析から自動的に発生するわけではない。

調査プロセスにおいても、いくつかの免責事項がつくが、以下のような記述がある。

科学者が常に従っているような決まった一連の手順などというものは無い[9][10]。また、“誤ることなく科学的知識に導いてくれる単一の道筋”などというものも無い[9][10]。それでも科学には、探究モデルとして他とは異なった性質をもたらしているような、何らかの特徴がある[9][10]

現代の科学的な方法においては、一つの現象を説明する場合に、「なぜそうなるのか」という哲学的な問題は棚上し、「その現象がどのようにふるまうのか」に着眼する傾向がある[11]とファインマンは指摘した。この意味で、科学的な方法においては結論の提示は現実の物理現象、社会現象などを定性的/定量的に説明する具体的なモデル[12]を提示する形で行われる傾向がある[5]

また、多くの科学的理論の成否は実験によって判定されるが、理論の成否は「シロ」か「クロ」というような幼稚な二元論で判定されるのではなく、信頼性や有意性、当てはまりのよさといった統計的な尺度で良し悪しを判定され、その値は良し悪しはスペクトラム状(無段階、連続的)に広がっている。従って、現代の科学的手法で得られた結果や結論に対しては、当てはまりの良さや有意性を表す数字がつけられることが多い。また、同じ事柄に関して複数の等価でない理論が並立することもあり、それぞれの理論は別々の結果を算出することもよくある。そして別々の結果であっても、あてはまりのよさが同程度であったとした場合には「同程度に正しい」ことになる。

結論の成否は証拠となる事実の取得方法、処理方法、推論過程の適切さの判断となる[4]。しかしながらこの問題は評価の問題を含む。また分野間、研究者間によってデータの処理方法や実験的所見、定性的又は定量的手法等が異なる[2]。「適切さ」の問題について、科学哲学者の戸田山和久は、[13]は、以下のように述べている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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