秋葉原
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この道は徳川将軍家寛永寺参詣道であったことから下谷御成街道と呼ばれた。総武本線ガードの名称である御成街道架道橋に名残を留める。

大火の度に代地町が細切りに与えられ、町の付け替えも頻繁に行われたため、幕末には50近くの微細な町が複雑に入り組み、かつ方々に飛地を有する複雑な町割となっていたが、明治の初めに武家地を合わせて20町近くに整理された。詳しくは外神田を参照。
「秋葉原」の誕生

1870年1月(明治2年12月)の大火を受けてできた火除地空地)に、明治天皇の勅命で1870年(明治3年)10月に宮城江戸城)内の紅葉山から鎮火三神を勧請して「鎮火社」が創建された。しかし、江戸の街では火防の神として神仏混淆秋葉権現が広く信仰を集めていたことから、鎮火社についても秋葉権現が祀られているものと人々が誤解して「秋葉社」「秋葉様」「秋葉さん」と呼び、火除地を「秋葉の原」「秋葉っ原」と呼んだことで、「秋葉原」の地名が誕生した。神田筋違見附(万世橋付近)やこの空地にはヒラキが立ち並び、今の講談浪曲かっぽれなどが口演をしていたり[6]、時にはサーカス(チャリネ一座の公演)が開かれたりした。

当初、秋葉原はこの空地に相当する神田花岡町域のみを指していたが、秋葉原駅が開業し、旅客駅として利用されるにつれ、その指す範囲も拡大して現在に至る。

鎮火社は1888年(明治21年)に日本鉄道が建設していた鉄道線(現在の東北本線)が上野から秋葉原まで延長されるのに伴って東京府下谷入町(台東区松が谷三丁目)に遷宮して、秋葉神社となった。

「台東区秋葉原」の地名は、1964年昭和39年)10月1日住居表示施行時に「台東区下谷松永町」と「台東区下谷練塀町」から変更されたものである。
電気街の形成

電気街の形成には、二つの要因があった。一つは終戦直後、近くに位置する電機工業専門学校(現・東京電機大学)の学生がアルバイトで始めたラジオの組み立て販売が大盛況となり、ラジオ部品を供給する電器関係の露天商が集中したことである。ところが1949年に、GHQが道路の拡幅整理のために露店撤廃令を施行したことで、闇市は危機に陥る。GHQの政策に対して露天商組合が陳情した結果、東京都と国鉄が秋葉原駅のガード下に代替地を提供するという措置がとられる。そして露天商がそこへ凝集されたことが秋葉原電気街の始まりとされる。もう一つの要因は、廣瀬無線電機などの小売業者や二次卸し店がが仕入れの目的で多く訪れたことである。その結果、秋葉原は安いという評判が広まり、交通の結節点ということもあって、一般客も集まるようになっていった[7]

その後は「三種の神器」に代表される戦後の家電ブームに後押しされ、1970年代には全国の家電市場の1割を1平方キロメートルに満たない領域で担う日本一の電気街に成長した[8]
電気街からオタクの街へ

1980年代末頃から、バブルの崩壊とともに台頭するコジマなどの家電量販店ディスカウントストアに秋葉原は家電市場を徐々に奪われていく[9]。北関東地方を中心に北関東YKKの量販店大手三社が着々と増えていった。

家電市場の衰退とともに電器店は主力商品をパソコンに移していく。1990年に六階建てのビル全体をコンピュータ関連商品に充てた大型専門店ラオックス・ザ・コンピュータ館がオープンしたことが一つのターニングポイントとなった。以降、他の大型店もチェーン店を専門分化させ、これに伴い若い男性のパソコンマニアたちが家電を買いに来る家族連れに取って代わって秋葉原の中心的客層となった[10]

1995年から96年にかけて放映されたテレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のヒットが引き金となり、97年以降、海洋堂など多くのガレージキット店が秋葉原の一等地へ移転し、予想を超える売り上げをたたき出したことで、雪崩を打ったように同業の専門店が競って進出した[11]。またAKB48の劇場も2005年に営業を開始し、アキバ系アイドルブームの嚆矢となった。
オタクの街から観光地・オフィス街へ

21世紀には区画整理により秋葉原駅を中心に多くの複合ビルが建設され、観光地やオフィス街に変化を遂げており、老若男女国外問わず訪れる街になった。秋葉原の一般化が進むにつれて、かつてオタクが通い詰めたアンダーグラウンドな店は軒並み閉店し、一般客や観光客向けのカジュアルな店が数多く並ぶようになっているが、同時期の地価上昇と東京都が推し進めたオフィス街化により、一般人が立ち寄れる店舗自体が減少している。ECサイトの普及で部品やグッズのために外出する必要が無くなったことも、秋葉原の小売店の減少に対してかなり大きく影響を与えている。

小規模営業店の集合体による、グレーゾーンでシステム化され切らない不完全さ[注釈 2]が様々な解釈の余地を残し、客にも深い知識を求められる反面アンダーグラウンドな魅力にも繋がっていた秋葉原において、大資本が経営する分かりやすく画一的な店(特に大手家電量販店ステレオタイプ萌えを提供するメイドカフェ等)が乱立し、小規模営業店が老朽化した施設の建て替えと物件価格の高騰などにより軒並み撤退してしまったため、もはや秋葉原は文化的に形骸化したと見る向きもある[12]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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