あ行とや行の「え」を書き分けている[3]こと、「徒」を「つ」ではなく「と」の仮名に用いていること、他出の和歌は古今集や寛平御時后宮歌合などの歌であることなどから天暦以前のテキストだと思われるが、摸写だとするとテキストから書写年代を推定することはできない。
Aについては、原本説と摸写説がある。前者をとれば、書写年代は道風の時代で問題ないが、道風筆または他筆の可能性もある。また後者をとれば年代推定は難しいが、料紙が古態を留めるため、それほど時代はくだらないとみられる。
Bは模写でありまた同筆のCも臨書であるため、テキストからの時代推定はできない。また紙背を利用しての書写なので、料紙からの時代推定も不可能である。そのため、書写年代は10世紀後半から11世紀と広く、更には鎌倉時代の伏見天皇模写説(小松茂美)まである。
Dは、奈良時代の日本における書写という説もあるが、唐代書写の舶来品という説が有力である。
脚注^ 正式の国宝指定名称は「秋萩帖」「淮南鴻烈兵略間詁(紙背)」を2行書きとするもので、紙背も含め国宝に指定されている。
^ 巻頭の和歌については以下によった。吉田紀恵子「『下官集』「仮名字書きつゝくる事」の条に関する一考察 和歌と仮名書記について」『日本大学大学院総合社会情報研究科紀要』12、2011、p.141( ⇒日本大学大学院総合社会情報研究科サイトからダウンロード可)
^ 秋萩帖には、あ行の「え」はなく、4つのや行の「え」があるが、それらはすべて正しく「要」の字が使われている。
参考文献
『日本名筆選42 秋萩帖 伝小野道風筆』二玄社、2003年
外部リンク
東京国立博物館所蔵『秋萩帖/淮南鴻烈兵略聞詰(紙背)』 - e国宝