秋田貞夫
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1970年代になり少年誌の『週刊少年チャンピオン』が『ドカベン』(水島新司)、『バビル2世』(横山光輝)、『魔太郎がくる!!』(藤子不二雄Ⓐ)、『ブラック・ジャック』(手塚治虫)、『あばしり一家』『キューティーハニー』(永井豪)、『番長惑星』(石ノ森章太郎)、『恐怖新聞』(つのだじろう)、『ふたりと5人』(吾妻ひでお)、『百億の昼と千億の夜』(原作:光瀬龍、漫画:萩尾望都)、『がきデカ』(山上たつひこ)、『月とスッポン』(柳沢きみお)、『青い空を、白い雲がかけてった』(あすなひろし)、『750ライダー』(石井いさみ)、『エコエコアザラク』(古賀新一)、『ゆうひが丘の総理大臣』(望月あきら)、『マカロニほうれん荘』(鴨川つばめ)などの大人気作品に後押しされ、『週刊少年ジャンプ』(集英社)と競い合う形で、1977年には200万部を突破して[3]トップに立ち、また、少女誌の『月刊プリンセス』は『悪魔の花嫁』(原作:池田悦子作画:あしべゆうほ)、『イブの息子たち』(青池保子)、『王家の紋章』(細川智栄子あんど芙?みん)、『アンジェリク』(原作 セルジュ・ゴロン&アン・ゴロン、作画 木原敏江)、『オリンポスのポロン』(吾妻ひでお)、『エロイカより愛をこめて』(青池保子)などの大人気作品に後押しされて1977年に80万部を突破し、『なかよし』(講談社)、『りぼん』(集英社)、『別冊マーガレット』(集英社)、『別冊少女フレンド』(講談社)に次いで少女漫画雑誌全体では5番目にランクインするなど幅広いジャンルで一時代を築きあげることに成功したのであった[4]

1980年に70歳で社長の座を降り、実子の秋田貞美に社長を譲った。

1996年9月10日、87歳で死去。
参考文献

『「沙漠の魔王」完全復刻版』収録の読本(文:
中野晴行)(2012年、秋田書店

米澤嘉博『戦後少女マンガ史』(2007年、筑摩書房

『少年漫画劇場第二巻 冒険活劇』 筑摩書房

山崎安雄『著者と出版社』(1954年、学風書院)

『毎日グラフ 第32巻第41号』 毎日新聞社(1979/10/14)掲載・福島鉄次インタビュー

週刊少年チャンピオン』(2012年27号-30号) 秋田書店

竹内オサム『戦後マンガ50年史』(1995年、筑摩書房

『日本人名大辞典』(2001年、講談社

脚注^ “コトバンク - 秋田 貞夫”. 2019年5月17日閲覧。
^ 「沙漠の魔王」完全復刻版収録の読本(文:中野晴行)より
^ 読売新聞1978年1月3日付
^ (詳しくは『雑誌新聞総かたろぐ 1979年版』を参照のこと)

関連項目

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漫画誌

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週刊少年チャンピオン

別冊少年チャンピオン

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