秋保電気鉄道
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仙台市交通局に統合、インターアーバンとして仙台市電と一体化して直通運転するという具体案も出され、長町駅に市電との連絡線を設け、電車の直通試験が行われたこともあったほか、買収価格や詳細も決まっていたと言われている。市議会でも案が採択されるまで進んだものの、1953年(昭和28年)6月の市議会で買収反対派が巻き返し、否決された[8]

営業末期の1950年代後半には、沿線の仙台市南部の宅地造成が始まり、朝夕は通勤客で賑わうなど、観光電車より通勤電車としての姿も見え始めており、造成地に新駅も設置されたほか、本格的な高速鉄道への規格向上も検討されたが、悪化した経営状況の中で、鉄道線への設備投資を最小限に留める方針をとったため、ボギー車化はなされたものの、最後までトロリーポール集電、バッファ付きのねじ式連結器スタフ閉塞方式のままで、同時期の仙台市電が全車ボギー車、パンタグラフ集電化、自動信号化(トロリーコンタクターによるポイント操作)を完了していたのとは対照的であった。秋保電鉄は仙台市内での路線バス事業への転換を画策、市内でのバス事業拡充を望んでいた仙南交通自動車との合併が決まり、1959年(昭和34年)に仙南交通株式会社(現存する同名の会社とは無関係)となり、仙南交通秋保線に改称された。合併後はただちに路線バス事業への転換を進め、1960年(昭和35年)に鉄道事業の廃止が決定された。翌1961年(昭和36年)5月7日をもって営業を取り止め、翌8日に閉業式が執り行われた[9]。ただし、設備の撤去工事のため、8月まで臨時運行を続けた。
年表

1911年明治44年) 秋保軌道として軌道特許申請。

1912年(大正元年)10月21日 軌道特許状下付[10]

1913年大正2年)6月22日 秋保石材軌道株式会社設立[10][11]

1914年(大正3年)12月23日 馬車軌道で長町 - 湯元(後の秋保温泉)間開業[10][12]

1919年(大正8年)8月28日 軌道特許状下付(名取郡秋保村 - 柴田郡川崎村間)[13]

1922年(大正11年)

10月12日 軌道特許失効(名取郡秋保村 - 柴田郡川崎村間 指定ノ期限内ニ工事施工認可申請ヲ為ササルタメ)[14]

10月29日 秋保石材電気軌道へ改称[12]


1925年(大正14年)

6月14日 軌間を762mmから1067mmに改軌、馬車軌道から電気鉄道に切り替え輸送力を増強。

9月17日 秋保電気軌道へ改称[12]

この頃、赤石駅を北赤石駅に改称[12]


1926年(大正15年)

湯元駅を秋保温泉駅に改称[12]

旗立駅付近に遊園地を開設。


1931年昭和6年) バス事業開始[15]。遊園地を秋保温泉湯元に移転。

1935年(昭和10年) 長町裏町駅開業。富沢駅を西多賀駅に改称[12]

1941年(昭和16年)

燃料配給停止によりバス事業休止。

長町裏町駅を東北特殊鋼駅に改称[12]


1944年(昭和19年)7月29日 秋保電気鉄道へ改称[12]

1945年(昭和20年)1月1日 軌道法による軌道から地方鉄道法による鉄道に変更。

1946年(昭和21年) 松場駅開業、東北特殊鋼駅廃止(両駅とも月日不詳)[12]

1949年(昭和24年) バス事業再開。

1950年(昭和25年) 車両のボギー化改造。

1953年(昭和28年)

松場駅を磊々峡駅に改称[12]

6月27日 仙台市議会、秋保電鉄買収案を否決。


1955年(昭和30年) 月ヶ丘駅開業(月日不詳)[12]

1956年(昭和31年)4月1日 萩の台駅開業。月ヶ丘駅を停留場から停車場へ変更[12]

1959年(昭和34年)7月1日 仙南交通自動車と合併し仙南交通設立、仙南交通秋保線へ改称[12]

1960年(昭和35年) 秋保線の廃止を決定。

1961年(昭和36年)

5月7日 秋保線営業運行最終日。

5月8日 秋保線廃止[12]、閉業式[16]


1970年(昭和45年)10月1日 宮城バスおよび宮城中央バスと合併、宮城交通(初代)発足。

運輸営業実績

年度毎の実績年度旅客
(千人)貨物
(千t)営業収入
(百万円)営業費
(百万円)損益
(百万円)営業係数従業員数
(人)
1951年(昭和26年)1,84542020194100
1958年(昭和33年)1,13132223-1104110
1960年(昭和35年)70221423-916256

年を経るごとに旅客輸送実績が低下している。客数減で営業収入を営業費が大きく上回るようになり、1960年(昭和35年)年度には従業員数をほぼ半減したにもかかわらず営業係数162(100円の売上高を上げるのに162円の経費が必要)と末期的症状をきたしているのが見て取れる。仙南交通との合併後、多額の投資を必要とする高速鉄道化を行わずに低廉な投資で済むバスに転換したのは賢明な選択だったと言える。[17]
戦前の運輸営業実績年度別実績

年度輸送人員(人)貨物量(トン)営業収入(円)営業費(円)営業益金(円)その他益金(円)その他損金(円)支払利子(円)
1914530160170196▲ 26石材販売1,991石材販売1,096
191526,0922,2757,8722,6965,176
191629,9753,6929,8097,1222,68739,70535,829747
191737,7277,27814,43611,0813,35543,14534,6581,556
191840,4768,12521,25318,4252,82866,48253,178
191958,7904,74835,55521,03814,51777,69064,265
192062,7425,93954,05636,55717,49987,16066,500
192162,8536,00051,15632,93618,220
192265,2275,12157,49244,28213,210
192367,7575,15849,12543,8375,288128,20889,303
192465,0355,12655,52150,1575,364131,550104,648
192596,0662,73443,16243,425▲ 26360,17444,874
1926187,1585,49679,44554,54624,89918,13134,549
1927196,1685,14878,71546,54032,17513,07036,626
1928189,6935,08373,82150,22723,594石材6,087償却金及雑損40,15437,251
1929192,5426,31072,15141,01231,139石材12,21435,845
1930166,1568,43359,71837,71921,999石材5,80132,927
1931133,3547,41548,65234,82313,829石材及自動車7,2541,61529,82
1932127,1556,05539,58631,3118,275自動車石材7,595雑損60332,759
1933137,6606,85241,06330,72810,335自動車石材7,132雑損74430,862
1934151,4535,84738,67231,6027,070自動車石材6,31824,606
1935165,7735,62947,19132,58514,606自動車石材7,019雑損92620,563
1936167,4354,61641,67333,0188,655自動車石材6,62421,263
1937201,4865,62648,61234,95313,659自動車石材部2,12721,047

19451,277,1965,933


鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計各年度版

駅一覧
初期の停車場
長町 - 富沢 - 鈎取 - 旗立 - 太白山 - 茂庭 - 赤石 - 湯元
1946年頃
長町 - 東北特殊香B- 西多賀 - 鈎取 - 旗立 - 太白山 - 茂庭 - 北赤石 - 松場 -湯元
1961年の廃線時
長町 - 西多賀 - 鈎取 - 月ヶ丘 - 旗立 - 太白山 - 萩の台 - 茂庭 - 北赤石 - 磊々峡 - 秋保温泉

途中の交換可能駅は西多賀、鈎取、月ヶ丘、太白山、茂庭、北赤石の各駅だった。

廃線後は沿線の都市化や宅地開発が進んだ事もあり、2020年時点で路線の遺構は殆ど残っていないが、茂庭駅以降の線路跡には石造りの橋梁などが現存する。

長町駅跡は仙南交通(宮城交通)長町ターミナルを経て再開発ビル
たいはっくるとなり、敷地北東隅の長町三丁目の交差点(国道286号線旧起点)付近には、駅跡を示す標柱が建てられている。長町駅から市道長町八木山線までの線路跡は宮城交通の土地として貸駐車場等に使われていたが、2010年代以降は宅地となっている。

長町駅 - 西多賀駅間の線路跡の一部は、市道長町八木山線および国道286号線(新道)の用地として利用されている。また、新道自体が鈎取駅直前までの直線区間に沿って敷設された。


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