私塾立命館
[Wikipedia|▼Menu]
京都帝国大学の創設には、終生側近として仕える文部省官僚中川小十郎が初代事務局長としてその中心的役割を担っている。この他、明治34年(1901年)、「女子を先ず人として教育する」の理念のもと成瀬仁蔵が創設する日本女子大学の設立発起人にも名を連ねている。立命館草創の地・京都法政学校設立、京都市上京区
京都法政学校への継承

西園寺文部大臣秘書官として京都帝国大学創設の中心に関わった中川小十郎は、大学創設実務が一段落すると官界を去り、経済界に身を移した。しかし、京都帝国大学が制度上旧制高等学校卒業生しか受け入れることができず、西園寺公望が提唱した「能力と意欲のある人に国として(教育の)機会を与えるべき」という教育理念からもかけ離れている実態に限界を感じ、自ら私学を興すことを思い立つ。中川は政財界の主要人物や学界人脈から後援を得るとともに、西園寺公望の実弟・末弘威麿らの協力を得て、上京区東三本木通にあった料亭「清輝楼(旧・吉田屋)」を間借りして3年制の夜間学校を設立した。これが「京都法政学校」である。京都法政学校は、西園寺公望の教育への理想を体現する形で設置が進んだ京都帝国大学の補完的役割を担うという名目で設置された。事実、講義のほぼ全てが京都帝国大学教授により行われていたほか、京都法政学校を母体にのちに設立される「財団法人立命館」の寄付行為には、財団解散時には所有財産の全てが京都帝国大学に寄付されることなどが明記されていた。

京都法政学校はその校名が示すとおり、当初は法律科と政治科との2学科を置くのみであった。しかし、ゆくゆくは医学科・文学科などを置いて総合学園とすることを視野に入れており、京都法政学校という名称が実体を反映するものでなかった(詳細は「京都法政学校」を参照)。1904年(明治37年)には大学部に経済科が設置され、教学内容が法政学校としての域を越えると、実体を体現する新たな名称が必要になった。そこで西園寺公望が京都帝国大学設立に託した、政治権力から一線を画したリベラルでアカデミックな学風という理念の源流にある「私塾立命館」の名称の継承を申し出、西園寺がこれを快諾した。このとき西園寺は「立命館」の大書に75文字のゆかりを付記した扁額を、自らしたためて寄贈した。立命館 - 往年余興一校 名曰立命館 及余学泰西 校廃名存 頃者京都法政大学学員来 請襲用其名 余喜名乃得実 乃書遍額以与之 孟子曰妖寿不貳 修身以俟之 所以立命也 蓋学問乃要在于比矣 明治三十八年四月 侯爵 西園寺公望(往年、余は一校を興し名づけて立命館という。泰西に遊学するに及んで、校廃し名存す。この頃京都法政学校学員来り、その名を襲用することを請う。余は名の実を得ることを喜び、すなわち扁額を書してもってこれを与う。孟子いわく、殀寿貳わず、身を修めて以て之を俟つは、命を立つる所以なりと。蓋し学問の要はここに在り。)

1905年(明治5年)、西園寺公望から「私塾立命館」の名称の継承を許された「京都法政学校」は、1913年(大正2年)に「財団法人立命館」を設置するとともに、大学名を「私立立命館大学」、中学校名を「私立立命館中学校」と改称した。西園寺は公人として特定の私学に肩入れすることをよしとしなかったが、最後まで立命館学園の発展に有形無形の支援を続けた。
「立命館」の由来立命館大学衣笠キャンパス(京都市北区)にある石碑「立命館 その由来の碑」

「立命」は中国の『孟子』の一節『殀壽不貳 修身以俟之 所以立命也』から採られた。これは、「人間の寿命は、天命によって決められている。修養に努めてその天命を待つのが人間の本分の全うである」という意味である。
脚注^ 立命館大学西園寺公望伝編纂委員会 編「西園寺公望伝 別巻2」p.384 岩波書店 ISBN 4-00-008796-7 C3023
^ 岩井忠熊『西園寺公望―最後の元老』岩波書店、2003年

参考文献

『立命館百年史』第一巻通史 立命館百年史編纂委員会

『西園寺公望 - 最後の元老』岩井忠熊著、岩波書店、2003年、
ISBN 4004308291

関連項目

織田萬

学校法人立命館

立命館大学#西園寺記念館

末弘威麿

中川小十郎

立命館大学

皇学所・漢学所

外部リンク










学校法人立命館
立命館大学

学部

法学部 | 文学部 | 映像学部 | 産業社会学部 | 国際関係学部 | 経営学部 | 政策科学部 | 総合心理学部 | グローバル教養学部 | 経済学部 | 理工学部 | 情報理工学部 | 生命科学部 | 薬学部 | スポーツ健康科学部 | 食マネジメント学部

立命館アジア太平洋大学

学部

アジア太平洋学部 | 国際経営学部

設置校

大学

立命館大学 | 立命館アジア太平洋大学
中学校・高等学校

立命館中学校・高等学校 | 立命館宇治中学校・高等学校 | 立命館慶祥中学校・高等学校 | 立命館守山中学校・高等学校
小学校

立命館小学校
各種学校

立命館孔子学院 | 立命館アジア太平洋大学孔子学院

関連校

学校法人大阪初芝学園

初芝立命館中学校・高等学校

旧設置校

短期大学部

立命館大学短期大学部
高等学校

宇治高等学校 | 立命館夜間高等学校
中学校・高等学校

立命館神山中学校・高等学校
各種学校

宇治高等専修学校 | 立命館日満高等工科学校 | 立命館工業学校 | 立命館商業学校

旧関連法人(合併)

学校法人宇治学園 | 学校法人慶祥学園
歴史

私塾立命館 | 京都法学校 | 京都法政学校 | 東方語学校 | 禁衛隊 | 滝川事件 | 関西六大学野球 | 日本刀鍛錬所 | 国防学研究所 | 荒神橋事件
体育会

硬式野球部 | サッカー部 | ラグビー部 | 男子バスケットボール部 | パンサーズ(アメリカンフットボール部)
関連施設

末川記念会館 | ローム記念館 | 国際平和ミュージアム | サステイナビリティ学研究センター


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:23 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef