私は貝になりたい
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^ a b ファーネスは元米陸軍人で、実際に極東国際軍事裁判重光葵の弁護人になった経験を持つ。
^ 川崎隆章著「まぼろしの大阪テレビ - 1000日の空中博覧会 - 」によると、大阪テレビ放送が録画し、同局の東京支社で保管していたVTRを使用して再放送されたという。
^ 2014年8月の終戦記念日前後には、2008年版とあわせて放送された。
^ 当初は志村郁夫名義で発表したもの。2012年現在は加藤の文集『私は貝になりたい』に収録され再刊、春秋社ISBN 4-393-44161-3
^ この裁判で加藤は自分の文章のほかにも、山口水青・竹谷しげる著「壁厚き部屋」(理論社、復刻版は鷺草発行所)や、巣鴨遺書編纂会編「世紀の遺書」(巣鴨遺書編纂会刊行事務所、復刻版は講談社)からの剽窃もあったと主張している。しかし、これらの著者で著作権を主張して名乗り出た者はなく(特に「世紀の遺書」は文字通り処刑された戦犯の遺書である)、版権にも影響していない。なおこの加藤の主張を考慮してか、1994年のドラマ版ではこれらの書籍が制作参考資料としてクレジットされている。
^ 「狂える戦犯死刑囚」冒頭に、「以下は、かつて戦犯であった一市民の綴り方である。かならずしも事実に基づいてはいないが、全部がフィクションだと考えてもらってはこまる。このへんのことは、やがて時が解明してくれるだろう」と断り書きがある。また、後年の著作権裁判では、一度は死刑判決を受けた加藤が、執行逃れのために一時的に収容されていた精神病院(米軍361病院、同愛病院)で、同室していた者の言動からヒントを得たと述べている。
^ より正確には、いったん死刑判決を受けたが、減刑された二等兵はいる(林博史『BC級戦犯裁判』、岩波書店岩波新書、2005年、ISBN 978-4004309529)。
^ 挨拶に黒澤明を訪ねると「橋本よ……これじゃ、何か大事なものが足りなくて、貝にはなれないんじゃないかな」「私もその通りだと思ったので一生懸命考えた。が、どうしても思いつかなかった」と橋本が振り返るという話が残っている(大庭牧子朝日新聞be“今なお足りない「何か」”2014年7月2日)。
^ 橋本忍の述懐によると、映画化に際して東宝の藤本真澄プロデューサーからは「主役はフランキーで動かないが、女房の役は新珠三千代。これだけは崩せないよ」と言われたという(1959年版映画DVD・封入リーフレットに掲載の「秋晴れの運動会」より)。
^ この「秋晴れの運動会」によると、「砂の器」や「八甲田山」の製作終了後、橋本プロダクション(1973年、橋本らが設立)で映画化が検討された企画の中に、「私は貝になりたい」のリメイクもあったという。
^ なお、SMAP解散後は2008年版は放送されず、2020年の終戦記念日に至っては1958年版のみの放送であった。
^ 本来の初監督作品だった『涙そうそう』は、急病で途中降板していた。
^ 橋本はいわゆる「黒澤組」のシナリオライターであり、「羅生門」、「七人の侍」などの脚本に参加している。
^ 19:00 - 21:30に「キリンチャレンジカップ2012」(日本×ベネズエラ戦)が編成されたため、通常より30分遅れの21:30開始となった。
^ 翌年の『第60回NHK紅白歌合戦』も続投。

出典^ 講談社 編『TVグラフィティ : 1953年?1970年ブラウン管のスター・ヒーロー・名場面1700』講談社、1978年4月3日、167頁。NDLJP:12275878/87。 
^ 志賀信夫『テレビヒット番組のひみつ : 「ジェスチャー」から「おしん」まで』日本放送出版協会、1984年8月1日、55 - 57頁。NDLJP:12275392/31。 
^ 引田惣弥「全記録 テレビ視聴率50年戦争-そのとき一億人が感動した」講談社、2004年、37頁。ISBN 4062122227
^ a b c d 2002年1月発行「TBS50年史」
^ NHKクロニクル「テレビ放送開始30周年記念番組 ドキュメンタリー ブラウン管の一万日 - テレビは何を映してきたか - 」 - NHKアーカイブス
^ 2009年度興収10億円以上番組(日本映画製作者連盟 2010年1月発表)
^ 2008年11月6日深夜(11月7日午前)放送のTBS『エンタの味方!』より
^ 1994年10月11日付『朝日新聞』(東京本社管内)夕刊19面の記事などより
^ 本年度『紅白歌合戦』司会に中居正広&仲間由紀恵が正式決定,ORICON NEWS,2008年11月24日
^スポーツニッポン』2008年11月25日
^ 合田道人『紅白歌合戦の舞台裏』
^ 飯塚浩二編集『あれから七年―学徒戦犯の獄中からの手紙』ASIN B000JBBGZS
^ 1956年10月31日公開、松竹映画
^ 椎野八束編集『別冊歴史読本特別増刊 未公開史料 戦争裁判処刑者一千 勝者は敗者をいかに裁いたか』
^ 茶園義男編集 ISBN 9784820556565

外部リンク

私は貝になりたい(1958年版)
TBSチャンネル

私は貝になりたい(1994年版):TBSチャンネル

私は貝になりたい(1959年版):東宝WEB SITE 資料室

私は貝になりたい(1958年版) - U-NEXT

私は貝になりたい(1959年版) - U-NEXT

私は貝になりたい - U-NEXT

私は貝になりたい - MOVIE WALKER PRESS

私は貝になりたい - allcinema

私は貝になりたい (2008) - allcinema

私は貝になりたい (2008) - 映画.com

KRT サンヨーテレビ劇場
前番組番組名次番組
愛染天使

(1958.10.10 - 10.24)私は貝になりたい
(1958.10.31)風立ちぬ
(1958.11.7 - 11.21)










東宝特撮映画
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