この1958年テレビ版は日本国外でも放送された[4]。国内ネット局ではラジオ東京のほかに、大阪テレビ放送(現在:朝日放送へ統合)、山陽放送、RKB毎日放送の計4局であった[4]。放送の翌日に開局した静岡放送テレビと、テレビ本放送開始4日前でサービス放送期間中だったラジオ新潟テレビ(現在:新潟放送)は、1958年12月21日のラジオ東京での再放送をマイクロネットし、静岡・新潟両県内に向け放送した[4]。本放送の時点で開局済みだったTBS系列の中部日本放送、北海道放送、信越放送では事実上、日本テレビとのクロスネット、かつ、当時は深夜に準ずる時間帯との理由から放送されていない[4]。 裁判以降のシーンが生放送という放送形態であったが、1958年に日本国内で導入されたばかりの2インチVTRで、番組の全編が記録されている。この番組全編のVTRは、TBSに現存する最古の番組映像資料として、TBSのアーカイブに保管されている。 全編を収録したテープが存在しているため、何度か再放送されている。 そのほか、TBSチャンネルでも年に1回 - 3回のペースで、1994年版とともに再放送が実施されている[注 5]。 初の放送からちょうど50年を迎える2008年10月31日には、DVD化されて発売、初のソフト化となった。 これらの映像は本放送時と異なり、スタッフクレジットの「原作」の部分に橋本・加藤、両者の名が併記されており、本編中に提供クレジットの表示がない。また、製作著作のクレジットは「TBS」(1961年 - 1991年に使用された2代目略称ロゴ)に差し替えられているが、理由については、以下の「裁判」の項を参照。 また、横浜の放送ライブラリーでは、1994年版とともに保管されており(DVDおよびビデオ・オン・デマンド形式)、無料で閲覧することができる。ここに保管されているオリジナル版では、TBSチャンネルの再放送およびDVD収録の映像とは異なり、本編中に提供クレジットが表示されている。製作著作のクレジットについては、こちらも「TBS」に差し替えられている。この他、Paraviによる動画配信(有料)も行われている。 劇中の主人公の遺書が、元陸軍中尉で自らも戦犯として裁判を受けた加藤哲太郎の手記「狂える戦犯死刑囚」[注 6] の遺言内容と酷似していた。それを友人から伝え聞いた加藤は、ドラマの脚本を執筆した橋本に対して自分の原作権を認めるよう求めたが、橋本はこれを拒否。そこで加藤は、ドラマの映画化(1959年版)が決まった際、配給元の東宝と、自分が原作者としてクレジットされることを条件に契約し、橋本もこれを受諾した。 ところがラジオ東京テレビ(2013年、現在:TBS)がクレジットを改めずにまたドラマを再放送したため、加藤は当時のラジオ東京テレビと橋本を著作権法違反で告訴した。この裁判で[注 7] の結果、加藤の訴えは認められた。そのため2013年現在では題名および遺書の原作者として「加藤哲太郎」の名がクレジットされるようになっている。なお、加藤自身も主人公同様に戦犯として巣鴨プリズンに勾留、死刑判決を受けているが、後に再審の末、減刑されて釈放されている。 のちに中野昭夫 以下は、加藤が志村郁夫名義で『あれから七年――学徒戦犯の獄中からの手紙』(1953年、飯塚浩二編、光文社)に寄稿した「狂える戦犯死刑囚」の一部である。ドラマで削除された部分は、変更された部分は下線で示す。ただし、漢字やカタカナの使い分けなど、細かい異同は除いた。また、この手記での遺書は衛生兵であった赤木曹長のもの、という設定(モデルはいたが、ぼかしてフィクション仕立てにしたもの[注 8])になっており、一介の二等兵であった豊松の設定と異なる。現実には、二等兵で死刑が執行された戦犯はいないとされる[注 9]。けれど、こんど生れかわるならば、 いや、私は人間になりたくありません。 1959年と2008年には劇場版が制作・公開されている。劇場版は1959年版が1958年版ドラマに引き続きフランキー堺、2008年版は中居正広がそれぞれ主役を務めた。映画の配給はいずれも東宝。また、1994年にはTBSにて所ジョージ主演でテレビドラマとしてリメイクされた。 本作品のリメイク作品以外に、加藤の著書「私は貝になりたい あるBC級戦犯の叫び」を原作として、実話に基づき敗戦後の逃亡生活や投獄など加藤の激動の人生を描いたテレビドラマ「真実の手記 BC級戦犯加藤哲太郎 私は貝になりたい」が2007年に日本テレビで放映された。同じ題名だが本項の作品とは別物である。 私は貝になりたい 東宝の製作・配給により、1959年4月12日より映画版が公開された。モノクロ・東宝スコープ。上映時間は113分。橋本忍の初監督作品である[注 10]。
映像の現存状況
1958年12月21日 16時 - 18時15分 : 芸術祭受賞記念として(静岡放送テレビ、ラジオ新潟テレビでマイクロネット)[注 4]
1959年12月26日 15時50分 - 17時30分 : 橋本脚本・岡本演出の「いろはにほへと」芸術祭大賞受賞記念として
1975年4月5日 24時(4月6日0時): TBS開局20周年「芸術祭受賞ドラマシリーズ」として
1983年1月31日: NHK総合テレビにて、テレビ放送30年を記念した特別番組「ドキュメンタリー ブラウン管の一万日?テレビは何を映してきたか?」第1部の中で放送[5](番組内のスポンサー部分のテロップは"コマーシャル"のロゴでマスキングされた)
1991年10月12日 12時: TBS開局40周年記念の特別企画「テレビ名作シリーズ」として
1996年6月15日 15時30分 : フランキー堺の追悼番組として
裁判
「狂える戦犯死刑囚」との異同
(この間加筆挿入)
牛や馬にも生れません、人間にいじめられますから。
どうしても生れかわらなければならないのなら、私は貝になりたいと思います。
貝ならば海の深い底の岩にヘバリついて何の心配もありません。
兵隊にとられることもない。戦争もない。
妻や子供を心配することもない。
どうしても生まれかわらなければならないのなら、私は貝に生まれるつもりです ? 加藤哲太郎(志村郁夫名義)、『あれから七年――学徒戦犯の獄中からの手紙』(1953年、飯塚浩二編、光文社)
リメイク作品
映画
1959年版
監督橋本忍
脚本橋本忍
製作藤本真澄
三輪礼二
出演者フランキー堺
新珠三千代
菅野彰雄
水野久美
笠智衆
音楽佐藤勝
撮影中井朝一
配給東宝
公開 1959年4月12日
上映時間113分
製作国 日本
言語日本語
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キャスト
清水豊松:フランキー堺
清水房江:新珠三千代
清水健一:菅野彰雄(後の若人あきら、現在:我修院達也)
敏子(房江の妹):水野久美
小宮:笠智衆
大西三郎:中丸忠雄
矢野中将:藤田進
尾上中佐:笈川武夫
日高大尉:南原伸二
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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