禽獣_(小説)
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たびたび批評の足がかりにされたのも、嫌悪の一因かもしれない〉とし[12]、『禽獣』に対する嫌悪感を次のように繰り返して語っている[10]。「禽獣」の「彼」は私ではない。むしろ私の嫌悪から出発した作品である。その嫌悪も私の自己嫌悪といふのではなかつた。「禽獣」が私の自己を語つてゐるかのやうに誤読され勝ちなので、私は長い間この作品がひどく厭であつた。 ? 川端康成「あとがき」(文庫版『抒情歌・禽獣 他五篇』)[10]

この川端の〈自己嫌悪〉に関して、三島由紀夫が「川端さんがいやだとおっしゃるのは、小説家としてのご自分がいやなんですか。もっと奥底にある自分の存在がいやなのですか」と訊ねると、川端は、後者の方だと答えている[13]

なお、作品のラストで出てくる16歳で死んだ少女の遺稿集は、『山川彌千枝遺稿集』のことである[14][15]
作品評価・研究

『禽獣』は川端自身が非常に〈嫌悪〉を表明している作品であるが[12][10]、逆にそこから「川端康成」という作家の本質的なものを探る批評や作家論に発展することが多い作品である[6][16]。発表当初から様々な評論があるが、三島由紀夫の論などを経た後から本格的な作家論が活発的に展開されるようになった[6]

王薇?は、川端が主人公の〈彼〉と同じように、当時純血の犬しか飼っていなかったことや、舞踊と少年少女の文章にも強い関心を示していたことを鑑みて、「犬、舞踊、少女の文章」を〈純粋なもの〉と定義している川端が、その中に存在する〈美〉と〈生の喜び〉について語り、当時「生が衰弱へと傾斜していた」川端にとり[17]、そういった〈純粋なもの〉は「救済」だったとしている[18]

そして王薇?は、〈彼〉の家で飼われているのは、すべて〈人工的に、畸形的に〉育てられた愛玩動物であり、〈彼〉が求めているのは、「人工的な〈純粋〉」だと解説し[18]、川端が自作『禽獣』への〈嫌悪〉を繰り返して語った理由は、自身と多くの共通性を持つ主人公の〈彼〉との間に「引くことのできない境界線」をあえて引き、「〈人工の美〉に拘泥する〈彼〉の醜さ」を批評するためだと論考している[18]

藤本正文は、『禽獣』の中で川端が自身の〈嫌悪〉をいかに処理、定着しているかについて、主人公の〈彼〉の「毒々しい眼」は世間一般の人間に向けられ、他人を刺す一方、その眼は〈彼〉自身にも向けられ、それは「そのまま当の己をも刺す両刃の剣」のような構造をしていると解説している[3]。また、「人間にない生命の純粋さ」を小鳥や犬に見出したときの〈彼〉の眼には、「嫌悪の毒」が全く無いが、しかしながら同時に、「〈彼〉の眼がその瞬間どう浄化されようが、本質的には人間の眼でしかないというところに越え難い淵が横たわる」と考察している[3]

そして藤本は、千花子の合掌の顔に〈虚無のありがたさ〉を感ずる〈彼〉の祈りは、「禽獣の純粋な生命の讃歌」に通じ、人間・千花子にではなく、「無心の生命」に向けられ、〈彼〉の「共感、感謝」は「禽獣の世界」に注いでいると説明しつつ[3]、川端が〈彼〉の眼を通して、「自己の資質たる感性の両極」を見事に使い分けているとし、〈彼〉の「感性の翼が飛び交う世界」を設定し保護する「知性」は、「観念的な論理が先行するような類のもの」ではなく、「感性自体の特質を知悉した精神の批評性」とでも言うべき性格の「知性」だと考察している[3]

また、「禽獣の命の讃歌の裏側」には常に「暗闇にも似た死の深淵」が横たわり、「死の闇の中に瞬間的に浮ぶ生命は、その瞬間瞬間のはかなさの一点で時間による風化とは無関係であり得る」とし[3]、以下のように解説している[3]。「彼」の見つめている禽獣の命の明りは、まさに生が死の闇へと燃え尽きんとする瞬間の残光なのである。命の純粋さはこのはかなさによって感覚的に保証される。虚無と死が密着してしまえば「彼」の感性が飛び交う空間は消滅してしまう。死と相接しているが死ではない虚無を信じてともされる無心の生命の明りが「彼」を生の側に留めているのである。この一点の感覚的緊張によってのみ「彼」の空虚な内部は、形骸と化すことから免れている。 ? 藤本正文「川端康成研究――『伊豆の踊子』から『禽獣』まで」[3]

三島由紀夫は、『禽獣』には「小説家という人間の畜生腹の悲哀が凄愴に奏でられてゐる」とし[19]、幼くあどけない雌犬が自身でもよく分からないまま分娩をする眼差には、「自分の生んだ作品を眺める作家の眼差」との「残酷な対比」が寓意的に示され[19]、そこには、「作家は本来この犬の眼差をもつ権利がある」という川端の「絶望的な夢想」が見られると考察しながら[19]、その雌犬の「あどけない無責任な眼差」(「造物主の眼差」)を有する権利を欲する芸術家(人間でありながら人間を洞察する宿命を負った作家という存在)が、「人間の眼差をもつて生れたことに呵責」を感じつつも、そのどちらも「捨離」できないという「二重性」のジレンマについて論考している[19]

また三島は、川端作品の中でも特に『禽獣』を傑作と高く評価し、川端の思想を論じる時に欠かせない重要作だとしつつ、そこでは犬と女の生態が重複していることを指摘し、以下のように解説している[4]。このあからさまな禽獣の生態と、女の生態とが、しばしば重複する幻覚として描かれた短編の中では、女はイヌのやうな顔をし、イヌは女のやうな顔をしてゐる。作家が自分のうちに発見した地獄が語られたのだ。かういふ発見は、作家の一生のうちにも、二度とこんなみづみづしさと新鮮さで、語られる機会はないはずである。以後、川端氏は、禽獣の生態のやうな無道徳のうちに、たえず盲目の生命力を探究する作家になる。いひかへれば、極度の道徳的無力感のうちにしか、生命力の源泉を見出すことのできぬ悲劇的作家になる。これは深く日本的な主題であつて、氏のあらゆる作品の思想は、この主題のヴァリエーションだと極言してもいい。 ? 三島由紀夫「川端康成ベスト・スリー――『山の音』『反橋連作』『禽獣』」[4]

そして、川端がそこで「地獄」をのぞき、「もつとも知的なものに接近した極限の作品」が『禽獣』であると三島は指摘し[20]、「鋭敏な感受性」を持つ川端のような作家が、もしも救いを求めて、西欧的・批評的である「知力」にすがろうとすれば、「知力」は「感受性」に「論理と知的法則」を与え、「感受性」が論理的に追いつめられ、「極限」(地獄)へ連れていかれることを説明し[20]、川端と同様の契機で横光利一が『機械』で「知的」なものに接近し成功するが、それ以降は「地獄」「知的迷妄」へと沈み、才能があったのにもかかわらず本来の気質に反し作家人生が失敗に終わってしまったのとは対照的に、川端はその「極限」(地獄)の寸前で、あえてそこから身を背け、「情念」「感性」「官能」それ自体の法則のままを保持する「無手勝流」の文学になったと考察している[20][21]。川端氏は俊敏な批評家であつて、一見知的大問題を扱つた横光氏よりも、批評家として上であつた。氏の最も西欧的な、批評的な作品は「禽獣」であつて、これは横光氏の「機械」と同じ位置をもつといふのが私の意見である。(中略)

私がことさら、昭和八年、氏が三十五歳の年の「禽獣」を重要視するのは、それまで感覚だけにたよつて縦横に裁断して来た日本的現実、いや現実そのものの、どう変へやうもない怖ろしい形を、この作品で、はじめて氏が直視してゐる、と感じるからである。氏は自分の作品世界を整理し、崩壊から救ふべく準備しはじめるが、いふまでもなくこれは氏の批評的衝動である。
そのとき氏は、はじめて日本の風土の奥深くのがれて、そこで作品世界の調和を成就しよう、西欧的なものは作品形成の技術乃至方法だけにどどめよう、と決意したらしく思はれる。そして昭和十年に、あの「雪国」が書きはじめられる。 ? 三島由紀夫「川端康成の東洋と西洋」[21]
おもな刊行本

水晶幻想』(改造社、1934年4月19日)

B6判。厚紙装カバー。

収録作品:「禽獣」「騎士の死」「それを見た人達」「椿」「慰霊歌」「女を売る女」「夢の姉」「父母への手紙」「結婚の技巧」「寝顔」「水晶幻想」


『禽獣』(野田書房、1935年5月20日) 限定800部 .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}NCID BN08993737

A5判。函入。本文・外装ともに総和紙装。

収録作品:「散りぬるを」「禽獣」


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