福祉国家論
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日本を例に挙げると、以下のような福祉政策の拡充が実施された[11]

児童手当制度の開始(1972年)

老人医療費の無料化(1973年)

健康保険被扶養者の給付率を50%から70%に引き上げ(1973年)

厚生年金保険の給付額を2.5倍に引き上げて「五万円年金」(定年前給与の約60%)を実現すると同時に、物価スライド制を導入(1973年)

生活保護の扶助基準の引き上げ(1973年)

雇用保険四事業の開始(1975年)

福祉国家の危機

1973年と1979年のオイルショックを引き金に高度成長が終焉すると、それまでの福祉政策の拡充の原資となっていた税収が落ち込み、1981年に経済協力開発機構(OECD)が『福祉国家の危機』と題する報告書を公開[12]するなど、その行き詰まりが喧伝されるようになった。また、グローバル化の進展による資本を海外への逃避から繋ぎ止めるため、先進各国は、社会保障を最小限に切り詰める「最底辺への競争」に追い立てられるとされた[13]。また、脱工業化は、均質的なブルーカラー労働者を中心とした製造業から、多種多様なホワイトカラーを中心とするサービス産業へ産業構造が推移することによって、労働運動の弱体化を招き、福祉政策の後退に繋がるとされた[14]

1979年5月、イギリスではマーガレット・サッチャー首相となり、ケインズ型福祉国家の抜本的改革に着手した(サッチャリズム[15])。アメリカでは1980年に大統領となったロナルド・レーガンは、「ケインズ主義福祉国家」の解体に着手した(レーガノミクス[15])。「小さな政府」をスローガンに、規制緩和の徹底、減税、予算削減、労働組合への攻撃など、新自由主義的な政策を大規模に行っていった[15]。日本では小泉純一郎政権が、米英に20年遅れる形で「ケインズ型福祉企業モデル」の打破に取り組んだ[15]

日本を例に挙げると、以下のような福祉政策の見直しが実施された[16]

老人保健法の制定による老人医療費無料化の廃止(1982年)

健康保険法の改正によって被保険者本人の医療費に10%の自己負担を導入(1984年)

基礎年金制度の導入によって国庫負担を基礎年金部分に限定(1986年)

老齢厚生年金の支給開始年齢を60歳から65歳に繰り下げ(1994年)

初期の福祉国家論

初期の福祉国家論では、福祉国家の発展を単線的に規定する独立変数が研究対象となった。フリードリヒ・ハイエクは、福祉国家の拡大が世代間格差を拡大させることを指摘している[17]
産業主義理論

ハロルド・ウィレンスキーは、64ヵ国の社会保障支出の対国民総生産比の差異を説明する独立変数としては経済水準が最も重要であり、また人口高齢化も非常に重要である一方、イデオロギー政治体制の差異は説明変数として有意ではない、と指摘している。このため、ウィレンスキーは、経済成長にともなって福祉国家が発展するという収斂論の代表的論者と見做された[18]。ただし、ウィレンスキーは、分析対象をOECDの加盟国に限定した場合は、政治的変数が有効になることも指摘している[19]
権力資源動員論

ウォルター・コルピらは、福祉国家の規模は各階級の政治的影響力のバランスによって規定されるものと考えた。すなわち、労働者階級が左派政党を通じて自己の政治的リソースを活用し、経営者に対抗しうる政治システムを構築する(「権力資源の投資」)ことに成功するか否かが、福祉国家を規模を左右する。さらに、福祉国家そのものが、労働者の相互の対立を緩和し連帯を促すという点で、労働者階級の権力資源となると主張した[20]
福祉レジーム論

こうしたなかで1990年にデンマークの社会学者エスピン=アンデルセンが提起した福祉レジーム論は、福祉国家研究の画期的な業績となった[21]

彼は、先進各国を脱商品化と階層化という指標を用いてクラスター化した。すなわち、脱商品化とは、疾病や加齢などの理由で労働市場を離脱した人が生活を維持できるか否かの指標であり、給付の水準と受給資格によって計測される。また、階層化とは、各人の階層や職種に応じた給付が行われた結果、格差が固定化されているか否かの指標。たとえば職域別の保険制度では階層化の度合いが高い。

以上2つの指標で西側先進諸国を分析した結果、自由主義的福祉国家(アメリカイギリスなどアングロサクソン諸国)、保守主義的福祉国家(大陸ヨーロッパ)、社会民主主義的福祉国家(北欧)の3類型を析出し、福祉国家の発展は1つではないと論じた[21]。当初日本は前記3つのいずれの要素も含む混合型とされ、その後大陸ヨーロッパ型に近いとされた。

また、福祉国家を形成する政治的イニシアティブについて、1つの階級ではなく、階級間の連合を重視した。たとえば、スウェーデンでは社会民主労働党中央党との連合形成に成功し、さらに赤緑連合解消後は普遍主義的な社会保障政策でホワイトカラー層からの支持を調達した。その一方で、オーストリアでは、労働運動が一定の勢力を保持していたものの、左派政党が農民政党との連携に失敗して孤立した。さらに、経済レジーム(特に雇用)と福祉レジームとの関係に注目し、グローバル化への適応については一般的に自由主義と社会民主主義が優れているとした。その後の研究により次のように分類されなおした[* 1]
各レジームの比較

福祉レジーム社会民主主義自由主義保守主義
モデル国家[22]スウェーデンデンマークアメリカイギリスドイツイタリア
モデル国家群北ヨーロッパ諸国アングロ・サクソン諸国大陸ヨーロッパ諸国
脱商品化[23]高位低位高位
階層化[23]低位高位高位
脱家族化[23]高位中位低位
主たる政策目標[24]所得平等および雇用拡大租税軽減および雇用拡大所得平等および租税軽減
犠牲となる政策目標[24]租税軽減所得平等雇用拡大
主たる福祉供給源[21][23]政府市場家族
典型的な福祉政策サービス給付減税所得移転


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