1977年(昭和52年)から1979年(昭和54年)には、フジテレビ系列の政治討論番組『福田恆存の世相を斬る』(世相を斬るシリーズにおいては第3代目)の司会進行でテレビ出演もしていた。この時期には韓国大統領朴正煕と親交があり、没時に回想記も発表した。
右派の漫画家・小林よしのりは、『修身論』後半の一章[23]を使い、福田の「人間は生産を通じてでなければ付合えない。消費は人を孤独に陥れる」[24](「消費ブームを論ず」1961年 原文原題は本字体歴史的仮名遣い)を引用し、自身のスタッフに「福田恆存のこの言葉を噛みしめよ」と述べている。 戦後の国語国字改革を批判し、1955年(昭和30年)から翌年にかけての金田一京助たちとの論争で(「国語改良論に再考をうながす」「知性」1955年10月号など)「現代かなづかい」・「当用漢字」の不合理を指摘した。その集大成が歴史的仮名遣のすすめを説く『私の國語ヘ室』(新潮社、初版1960年(昭和35年)、読売文学賞受賞)である。著書全ては歴史的仮名遣で書かれたが、出版社の意向で文庫再刊等の一部は、現代かなづかいを用いている。 翻訳家としての代表作は、シェイクスピア「四大悲劇」を初めとする主要戯曲、ヘミングウェイ『老人と海』、D・H・ローレンス最晩年の評論『アポカリプス論』(初版は邦題『現代人は愛しうるか』白水社、1951年(昭和26年)に初刊)、ワイルド『サロメ』、『ドリアン・グレイの肖像』である。 堀内克明は、著書『誤訳パトロール』(1989年、大修館書店)で『恋する女たち』(新潮文庫)の福田のテキストから、「a long, slow look」を「遠いどんよりしたまなざし」としている語その他を「初歩を誤った」誤訳であると指摘している(堀内によれば、この表現は正しくは「ゆっくり、じっと」という、距離ではなく時間としてのlongとslowであるとする)。小川高義は、『老人と海』(光文社古典新訳文庫、2014年)訳者解説で、老人の「aloud」を福田が「叫ぶ、ののしる」など感情的に翻訳している点を批判、老人の性格描写および近現代の用法からその語は単に「口にした」程度のものである、と考察している。 劇作家、演出家でも活躍した。福田恆存(1912年生)は、1930年代の十代より評論、劇作を開始、『我国新劇運動の過去と現在』を発表するなど、新劇運動にも参画した。支持を表明する築地座(1932年結成)の戯曲公募にも応じ、処女作『或る街の人』が佳作に選ばれた事で、友田恭助らの面識を得る[25]。文壇へのデビュー後には、岸田國士が主宰する雲の会(1950年結成)に参加し[26]、文学座でのシェイクスピア悲劇『ハムレット』(1955年初演)の翻訳、演出を行った[27]。1963年からは、財団法人・現代演劇協会の理事長を務め、協会附属の劇団雲、劇団欅、更には劇団昴を主宰する[28]。 やがて芥川と対立すると、協会内で新たに「劇団欅」を設立し、「劇団雲」から手を引いて芥川らと一線を画するようになった。1975年(昭和50年)に芥川、仲谷、岸田、中村伸郎ら「劇団雲」の大部分が現代演劇協会を離脱し、「演劇集団 円」を設立すると、「劇団雲」の残留派と「劇団欅」を統合し、「劇団昴」を結成した。 1981年(昭和56年)に『演劇入門』(えんげきにゅうもん)[29]を刊行。没後の2020年(令和2年)に『演劇入門 増補版』(2020年8月、中央公論新社)が中公文庫で再刊された[30]。
国語国字問題
翻訳
演劇人として
家族・親族
父: 幸四郎
母: まさ
長弟: 二郎
長妹: 悠由枝
次妹: 妙子(俳優加藤和夫夫人)
末妹: 伸子(洋画家勝呂忠
長男: 適
次男: 逸
著作
評論
『作家の態度』(中央公論社、1947年/中公文庫、1981年)
『近代の宿命』(東西文庫、1947年)
『平衡感覺』(眞善美社、1947年)
『太宰と芥川』(新潮社、1948年/日本図書センター(復刻)、1984年)
『芥川龍之介と太宰治』(第三文明社〈レグルス文庫〉、1977年)
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