近世期頃までにほぼ現在の市域と重なる2村が成立した。福生村と熊川村である。初期には、他の多摩川流域の村々と同じく都筑郡古佐(ふっさ)村などと記された文書もあるが、都筑郡に属していたことを確実に示すには至っていない。
江戸時代初期には両村とも旗本領と幕領の混在する相給地であったが、享保期には福生村がすべて幕領となったのに対し、熊川村は幕末に至るまで、旗本田沢氏領・長塩氏領と、幕領の相給地であった。近世後期になると農業生産高の増大に伴い、酒造などの農間余業が営まれるようになる。福生村名主の田村家による酒造業は代々引き継がれ、現在も「嘉泉」の銘柄で知られる。
また、幕末・明治初期には熊川分水の引き入れにより、熊川村名主石川家でも酒造が行われるようになった(こちらも「多満自慢」の銘柄で現在も知られる)。幕末期、文政の改革により寄場組合が結成されると、田村家当主の十兵衛は拝島村組合(26村)の惣代を務めた。
年表(明治以降)
1868年(明治元年)6月 - 「福生村」全村が韮山県、「熊川村」の一部が同県、一部が品川県となる。
1869年(明治2年)4月 - 熊川村が全村、品川県となる。
1873年(明治6年) - 森田浪吉が、森田製糸所を熊川村で創業する(現東京都では初めての製糸所)。
1875年(明治8年)6月 - 熊川村、福生村、川崎村(現羽村市)、羽村(同)、五ノ神村(同)が合併して、「多摩村」となる。
1878年(明治11年)7月 - 郡区町村編制法が制定、11月に西多摩郡の管轄になる。
1879年(明治12年)2月 - 田村半十郎、神奈川県議会議員に当選。村議会開設。
1884年(明治17年)7月 - 「川崎村外四ヶ村」の連合村となる。8月 - 「西多摩困民党」の動きが周辺各村で起こる。
1887年(明治20年) - 石川弥八郎(千代蔵)、ビールの製造に着手。
1888年(明治21年)7月 - 現福生市域と、現羽村市域の対立が激しく、同連合村解体。
1889年(明治22年)4月 - 「福生村熊川村組合」が発足。
1893年(明治26年)4月 - 東京府神奈川県境域変更法により、福生、熊川ともに、東京府に移管。
1894年(明治27年)11月 - 青梅鉄道、青梅 - 立川間開通。
1909年(明治42年)3月 - 福生小学校、現在地(福生第一小学校)にできる。
1915年(大正4年) - 福生村の一部に電灯がつく。
1922年(大正11年)3月 - 福生村、熊川村の人口が、合わせて5,000人を超える。
1923年(大正12年)4月 - 郡制廃止により、三多摩の各郡役所廃止。青梅鉄道、電化。
1925年(大正14年)4月 - 五日市鉄道開通。
1928年(昭和3年)6月 - 3代続いた森田製糸所、終焉(多摩製糸と改称)。
1929年(昭和4年)11月 - 片倉製糸、多摩製糸を買収。
1931年(昭和6年)5月- 五日市線熊川駅開設。12月 - 八高線開通で、東福生駅開設。
1932年(昭和7年)11月 - 福生村で税金滞納をめぐって村役場と村民対立。
1936年(昭和11年) - 陸軍航空立川支廠(熊川倉庫)できる。
1940年(昭和15年)4月 - 多摩飛行場(福生飛行場)できる。8月 - 福生村に憲兵分遺隊新設。11月10日 - 福生村、熊川村が合併し、町制を施行。「東京府西多摩郡福生町」となる。
1942年(昭和17年)10月 - 陸軍航空審査部が新設される。
1943年(昭和18年)7月 - 都制が施行され、「東京都西多摩郡福生町」となる。8月 - 片倉製糸、多摩航機製作所と改称し軍需産業に転換。
1944年(昭和19年)3月 - 人口、1万人を超える。7月 - 牛浜駅、開設。
1945年(昭和20年)- B29の爆撃により、4月と8月に熊川で死者4名発生。8月15日 - 日本がポツダム宣言を受諾し、太平洋戦争終結。9月 - 米軍第1騎兵師団、福生飛行場(横田基地)に進駐。
1946年(昭和21年) - 多摩航機製作所、自転車の生産開始(後に片倉自転車に改称)。
1947年(昭和22年)4月 - 初の公選で、岸徳次町長誕生。11月 -福生第一小学校で学校給食開始。
1948年(昭和23年)1月 - 町自治体警察署設置。
1950年(昭和25年)10月 - 国勢調査戸数2920戸、人口14,669人。
1951年(昭和26年)7月 - 福生七夕まつり始まる。12月 - 福生駅東口、開設。
1954年(昭和29年)8月 - 簡易水道各戸給水開始。
1958年(昭和33年)9月 - 福生郵便局新局舎完成(現在地)。福生電報電話局開設(福生郵便局より分離)。
1961年(昭和36年)3月 - 青梅線、拝島 - 福生間複線化。