太平洋戦争(大東亜戦争)後、歴史学者の服部之総や遠山茂樹らによって諭吉の「脱亜論」が再発見され、「福澤諭吉はアジア諸国を蔑視し、侵略を肯定したアジア蔑視者である」と批判された[111]。丸山真男は服部之総の諭吉解釈を「論敵」としていたといわれる[112]。
平成13年(2001年)、朝日新聞に掲載された安川寿之輔の論説「福沢諭吉 アジア蔑視広めた思想家[113]」に、慶應義塾大学文学部卒の平山洋が反論「福沢諭吉 アジアを蔑視していたか」[114]を掲載したことで、いわゆる「安川・平山論争」が始まった[115]。
平山は、井田進也の文献分析を基礎に[116]、諭吉のアジア蔑視を、『福澤諭吉伝』の著者で『時事新報』の主筆を務め、『福澤全集』を編纂した石河幹明の作為にみる[117]。平山によれば、諭吉は支那(中国)や朝鮮政府を批判しても、民族そのものをおとしめたことはなかった。しかし、たとえば清の兵士を豚になぞらえた論説など、差別主義的内容のものは石河の論説であり、全集編纂時に諭吉のものと偽って収録したのだという。
根本的にこの問題は、平山自身や都倉武之がいうように、無署名論説の執筆者を文献学(テキストクリティーク)的に確定しないことには決着がつかない[118]。「時事新報論説」執筆者に関する考察については、井田進也「井田メソッド」による執筆者検証も参照[119]。
このように福澤肯定の動きは脱亜論と福澤の分離を目指していたが、2000年代になると、東アジアのナショナリズムの高まりによりネット空間を中心に脱亜論が人気を得て[120]、逆の動きが起き始めた。さらに対立の悪化した2010年代になると右派系出版社を中心に脱亜論本が続々と出版され、福澤の肯定的評価は全く別の形で実現された。 平山洋は、井田の分析を基に現行全集の第七巻までは署名入りで公刊された著作であるのに対して、八巻以降の『時事新報論集』はその大部分が無署名であることを指摘した上で、大正時代の『福沢全集』(1925 - 26年)と昭和時代の『続福沢全集』(1933 - 34年)の編纂者であった弟子の石河幹明が『時事新報』から選んだものを、そのまま引き継いで収録しているとした。さらに現行版『全集』(1958 - 64年)の第一六巻には諭吉の没後数か月してから掲載された論説が六編収められていることも指摘している[121]。 2000年(平成12年)3月12日付で朝日新聞により「この1000年・日本の政治リーダー読者人気投票」という特別企画が組まれ、西暦1000年から1999年の間に登場した歴史上の人物の中から、「あなたが一番好きな政治リーダー」を投票してもらう企画で、得票数7,863票のうち、第6位の豊臣秀吉(382票)に次ぐ第7位(330票)にランクインするなど、国民的な人気がある[122]。 中国における評価は一般に悪いため慶應出身者からは憤りの声が聞かれる。慶応文学部卒の平山洋は、「中国人による福澤批判の声の大きさに惑わされて、その主張にほとんど多様性がない」と批判した。 彼ら中国の福澤批判者は、彼の思想を実際に読んでいるわけではなく、ごくわずかだけ中国語訳されている、日本の福澤研究論文の骨子を、中国語で叫んでいるだけなのである。彼らが下敷きにしているのは、服部之総・遠山茂樹・安川寿之輔らの研究である。それ以外の、福澤を「市民的自由主義者」として肯定的に評価する丸山真男らの論文が出発点となることはない。[123] 慶応法学部卒の小川原正道は、「平成22年11月に北京大学で講演し、福澤の文化思想や宗教思想などについて話した際、同大学の著名な教授から「福澤には『脱亜論』以外の側面もあるんですね」と素直に驚かれ、愕然とした」と述べる[124]。
「時事新報」無署名論説
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中国における評価
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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