福昌寺_(鹿児島市)
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学校の背後には、6代・島津師久島津氏久[注釈 8]から28代・島津斉彬までの島津氏歴代当主と[注釈 9]その家族の墓や石灯籠、亀趺碑が並び、区画を分けた部分には、長寿院盛淳調所広郷などの墓も当時のまま残されている[注釈 10]。山手には、歴代住職の墓地や前述のキリシタン収容所で病死したキリスト教信者たちのキリシタン墓地もある。なお、裏山の常安峰(とこやすみね)にも島津忠義、島津?子、島津忠重ら島津氏の墓『常安墓地』がある[2]

昭和28年(1953年)9月7日、鹿児島県指定史跡に指定され[1]、墓地内には鹿児島市が設置した福昌寺跡の解説碑や、どの墓が誰の墓なのかの配置が解説されている案内図など、様々な案内板や解説板も設置されている。令和2年(2020年)3月10日には、文化庁により文化財として国の史跡に指定された[8]。墓地は、地元のボランティアにより清掃活動も行われている。

また、廃仏毀釈の収束後、有志が二度にわたり同地や現在は鹿児島市立長田中学校がある土地に福昌寺を再建しようとしたが許可されず、これを受けて明治31年(1898年)、京都から鹿児島へ派遣された第72代住職の宝亀観道により、現在の薩摩川内市向田町の『称名寺[注釈 11]』跡地に、後裔寺院にあたる「福昌寺」が建立された。ちなみに、薩摩川内市にある福昌寺の入口付近には、阿形と吽形仁王像が設置されているが、これら一対の仁王像は鹿児島市池之上町の福昌寺にあったものを明治31年10月27日に宝亀観道が移設したもので、昭和60年(1985年)3月27日には薩摩川内市指定文化財[注釈 12]に指定されており[9]、隣りに設置されている解説板には薩摩川内市内では最大級の石像であると記載されている。
所在地
現在の地番

鹿児島県鹿児島市池之上町48
交通アクセス

JR九州鹿児島本線鹿児島駅から車で5分

関連項目

妙円寺 (日置市)

鶴嶺神社

鹿児島市立鹿児島玉龍中学校・高等学校

瑠璃光寺 - かつての末寺[1]

羅漢寺 (中津市) - かつての末寺[1]

脚注[脚注の使い方]
注釈^ 出家した仲翁守邦のこと。
^ 南林寺新照院町にあった重宝山上山寺、草牟田にあった天童山誓光寺、下伊敷にあった覚照山妙谷寺の住職でもある。嘉永4年(1852年)10月13日に70歳で亡くなる。
^ 誓光寺の庭にあったもの。
^ 島津斉彬の長女。
^ 島津氏の菩提寺である福昌寺は、廃寺の折も最後まで残されていたことから、明治2年末時点ではまだ、さほど荒れていなかったと考えられている[5]
^ 鹿児島市常盤あたりの一帯。
^ 現在の鹿児島市立鹿児島玉龍中学校・高等学校
^ 第6代当主は、薩摩守護職の兄・師久と、大隅守護職の弟・氏久の2人がいる。
^ 5代目以前の当主の墓は、出水市感応寺にある。
^ 所管は現在の島津氏当主[2]
^ 川内山福寿院称名寺。
^ 種別は、有形文化財における美術工芸品の彫刻。

出典^ a b c d e f “福昌寺跡” (PDF). 鹿児島県. 鹿児島県. 2020年10月8日閲覧。


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