福島第一原子力発電所
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^ なお、O.P.10m=E.L.(標高)9.273mである(佐伯正治 1967, p. 101)
^ なお、福島第二と異なり3、4号機用の開閉所は1、2号機とは別に3、4号機用排気塔脇の山側に設けられたが、高台ではなく建屋とほぼ同レベルの整地面に配置されている。(高城真 1973, p. 53)の一般配置図。
^ なお、原子力発電所の場合、殆ど全ての機器がコンクリートで遮蔽された建屋内に設置されるため、工程上から見ると、建築が始まる前に配管設計はプラント設計でも初期の段階で完了させておき、建築段階で主要配管、ケーブルの経路は確定していて、遮蔽壁を貫通する部分には予め開口部を設けておく必要がある。配管設計はこのように配置上も重要だが、この経路を決定するためにはポンプ、熱交換器、タンク等の外形・寸法、ノズル位置などが製作の張るか前に詳細設計まで完了していなければならないことを意味する。(高城真 1973, p. 54)
^ 『土木施工』収載の図-8は横軸に地盤高(範囲4-15m)、縦軸に掘削工事費を取りグラフ化したものである。下記の5本のカーブが描かれている。
(I)敷地造成費:地盤高4mでは9-10億円の間、地盤高が上がるにつれ減少し15mで5億円弱となる。
(II)建屋基礎掘削費:地盤高4mで4億円程度、地盤高が上がるにつれ増加し15mでは9-10億円の間を取る。
(III)進入道路費:地盤高4mでは4-5億円の間、地盤高が上がるにつれ減少し15mで1億円程度となる。
(I)+(II):地盤高4mで13-14億の間、8-9m付近で12-13億の間の最低値を取り、15mで14-15億の間となる、下に凸なカーブを描く。
(I)+(II)+(III):地盤高4mで18-19億の間、11m付近で14-15億の間で最低値を取り、15mで15-16億の間となる、下に凸なカーブを描く。
なお、(III)により建設した進入道路は1-4号機で共用している。(小林健三郎 1971, p. 122)
^ 当時検討された冷却用水は下記
1号機:25t/sec、2号機:42t/sec、発電所全体(将来余裕、合計出力300万kW程度を想定):180t/sec (鏑木宏 1969, p. 76)
^ 田中直治郎はこの2段構えの設計案について「波が東海村よりも荒く、10メートルぐらいはみなければならない」と述べている。(田中直治郎 1966, p. 33)
^ 河角広により1951年に作成された過去1350年の地震について標準地盤での最大加速度の期待値を全国各地点で計算したもの。下記を参照。
図2.10 最大加速度の期待値 (「防災基礎講座 災害の危険性をどう評価するか」所収)防災科学技術研究所 2009年
^ 気象庁震度階級の1949年から1996年まで使用された区分も参照のこと。
^ なお、1号機の運転開始以後は組織上発電所と建設所が存在していた
^ 運開後の見直し、補強等で変化した部分もある。
^ 1gは981Galに相当するが、下記加藤恒雄のように簡便のため実質1000倍で換算している例もある
^ 不同沈下への言及は右記。このような岩盤直接設置の設計思想は社報でも度々解説されており、宮城県沖地震の際などは本発電所を例示している。(原子力業務課 1978, pp. 30?31)
^ なお、豊田正敏は2011年の事故後、当時様々な建設方法を検討したことを回顧し、「耐震設計の見直しはしてきたが、津波対策をおろそかにした。建設を計画した一人として、申し訳ない」「今、考えると、台地を削らず、建屋の基礎部分を泥岩層まで深く埋めれば、地震と津波の両方の対策になったかもしれない」と述べている
「 ⇒福島第一 35メートル高台に計画」『東京新聞』2011年5月5日
^ 1号機運転開始時点の直人員は運転状況を見た後に見直す前提であった。2号機運開時点の人員は1、2号機とも共通である。なお、2号機試運転時の直人員は13名である。
^ それまでの最長記録は3号機の241日。PWRを含めての当時の日本国内最長運転記録は玄海原子力発電所1号機の307日であった。(会社のうごき 1979, pp. 19)
^ 日負荷追従実験の実施期間は3号機:1982年12月?1983年3月。5号機:1980年8月?1983年8月。若林二郎 1986
^ 水中軸受と水中軸受リングに溶け込み不足が見られたため、本発電所の再循環ポンプも当該の部材は順次改良型に置換えしていた。
「東電福島第一原発 管理に問題ない 県の立入り調査結果 被ばく低減対策求める」『福島民報』1989年12月28日朝刊2面
^ 『原通』2805号の他には「原発立地20年 電源開発はいま(完)」『福島民報』1991年11月1日朝刊3面
同記事内で福島県保健環境部長長沢永治は「日本の技術は世界一」である旨コメントしている。ただし、同紙の場合、1991年3月26日朝刊2面の「論説」にて「「日本の原発は故障しない。絶対安全だ」などということは通用しない」と警鐘も鳴らしている。
^ TWシーケンス:トランジェント後の崩壊熱除去失敗(資源エネルギー庁原子力発電安全審査課 1989, p. 6)
^ なお、東海大学教授の高木直行は東京電力に勤務していた際、当時の上司だった吉田昌郎と共にフィルター付きベント(ドライベント)を設置するべきか検討作業を行ったが、圧力抑制室にてウェットベントを実施すれば問題は無いとしてフィルターベントを不要と判断したという
澤田哲生『誰も書かなかった福島原発の真実』WAC〈WAC〉、2012年5月。
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