禅那
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個々の禅定は、仏教が興る以前の古代インドで知られていたものを仏陀が体系化し[5]、取り入れたものであった[6]。ただし、以下に列挙する九次第定(くしだいじょう)のうち、悟りの境地である想受滅こそが、仏陀によってこそ初めて到達し得た境地だったのである[7]上座部研究の仏教学者藤本晃によれば、この九次第定の体系は、パーリ仏典の成立以前には確立されていたようである[8]

感覚的経験の世界が欲界であり、禅定の実践によって色界の初禅定に到達する[9]
色界の禅定「四禅」も参照

色界の禅定(R?pajjh?na, 四禅)は以下の4段階がある。
初禅 - 諸欲・諸不善(すなわち欲界)を離れ、尋伺を伴いながらも、離による喜・と共にある状態。『中部』が伝えるところによれば、釈迦は、自身がまだ在家の王子であった頃、すでにこの境地を楽しんでいたという[10][11]

第二禅 - 尋伺が止み、内清浄による喜・楽と共にある状態。

第三禅 - 喜を捨し、正念・正見を得ながら、楽と共にある状態。

第四禅 - 楽が止み、一切のが捨てられた不苦不楽の状態。

無色界の禅定

無色界の禅定(Ar?pajjh?na, ?ruppajjh?na)は4段階がある[9]。これが、四無色定(四空定とも)で、さらに想受滅に至ることで九次第定となる[12]。まだ物質的な領域にある色界の禅定とは異なり、無色界では色蘊(しきうん)がなく、この段階に至った修行者は触覚、視覚、物質的な構成要素において微細なものからも完全に離れる修行をするといわれている[13]。無色界の定は以下の順に深まる[9]。5. 空無辺処(くうむへんしょ[14])- 漢訳で無限の空の領域の意味。6. 識無辺処(しきむへんしょ)-漢訳で無限のの領域の意味。とらえられるべき対象はないことを修行するといわれている[13]。7. 無所有処(むしょうしょ)- 漢訳で有る所が無い領域の意味。微細な対象がいまだあるといわれている[13]。8. 非想非非想処(ひそうひひそうしょ)- 漢訳で想が非ず非想にも非ずの領域の意味。旧訳では非有想非無想処ともされ、この完成が有頂天である[13]

大般涅槃経』によれば、釈迦は弟子アーナンダに、禅定の段階について以下のように説いたとされる[15][注釈 1]。アーナンダよ。これらの八つの解脱がある。その八つとは、どれどれであるか?……(中略)……

〈物質的なもの〉という想いを全く超越して、抵抗感[注釈 2]を消滅し、〈別のもの〉という想いを起こさないことによって〈(すべては)無辺なる虚空である〉と観じて、〈空無辺処〉に達して住する。これが第四の解脱である。

〈空無辺処〉を全く超越して、〈(すべては)無辺なる識である〉と観じて、〈識無辺処〉に達して住する。これが第五の解脱である。

〈識無辺処〉を全く超越して、〈何ものも存在しない〉と観じて、〈無所有処〉(=何も無いという境地)に達して住する。これが第五の解脱である。

〈無所有処〉を全く超越して、〈非想非非想処〉(想いがあるのでもなく、想いが無いのでもないという境地)に達して住する。これが第七の境地である。

〈非想非非想処〉を全く超越して、〈想受滅〉(表象も感受も消滅する境地)に達して住する。これが第八の解脱である。アーナンダよ。これらが八つの解脱である。
日本仏教と禅定

日本仏教の密教や禅宗においても禅定を得るための様々な方法論が派生し、曹洞宗臨済宗における坐禅や、天台宗での法華禅とも呼ばれる止観など。真言宗では印相を結ぶ陀羅尼真言を唱える身体性を重視している。


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