禅譲
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王朝の衰退[注釈 2]

王朝内部での新たな有力者の登場[注釈 3]

幼帝など、実権のない皇帝が即位する(有力者が禅譲させるために即位させることが多い)[注釈 4]

有力者が、公位を与えられる[注釈 5]

有力者が、王位を与えられる[注釈 6]

有力者が、九錫を与えられる[注釈 7]。公・王位と同時や、前後することもある。

各方面から吉兆が報告されるなど、王朝交代への雰囲気作りがなされる。

現皇帝が、有力者に皇帝となるように要請するが、有力者はこれを固辞する。固辞することで自らの徳の深さを誇示する演技である。

有力者が、渋々現皇帝から皇帝の位を譲り受ける。周囲の懇請を容れて仕方なく、という形を演出して自らの徳を示す。

有力者(新皇帝)は王朝名を自らの封国のものに変更し、新しい王朝となったことを宣布する[注釈 8]

前皇帝は、新皇帝によって領地を与えられ、王侯となる[注釈 9]

歴史時代において禅譲した前王朝の君主のうち、後漢献帝は山陽公に封じられ、通常は皇帝のみが用いる「朕」の一人称が許されるなどの待遇を受けて天寿を全うした。次例であるから西晋への王朝交替でも、前皇帝の曹奐は陳留王に封じられて天寿を全うした。さらに、山陽公も陳留王も、さらなる王朝交替の後までも子孫が代々封じられている。

しかし南北朝時代以降になるとすぐに殺されたり自殺を強制されることが多くなった。禅譲としては魏→晋の例の次となる東晋から南朝宋への王朝交替において、新帝の高祖武帝が、零陵王に封じられた後の先帝司馬徳文を殺害したのが初例となる[注釈 10]。その宋も蕭道成に帝位を奪われ、最後の皇帝である順帝は殺される前に、「生まれ変わるなら帝王の家にだけは生まれたくない(願後身世世、勿復生帝王家)」とまで残している。

五代十国の最後の王朝交替である、後周恭帝から北宋太祖への禅譲の際は、太祖は恭帝を殺さず、またその一族である柴氏の保護を子孫に厳守させている(石刻遺訓)。これ以降の中華王朝においては、禅譲の形で王朝交替が行われた統一政権は存在しなかった。

なお、過去の王朝の子孫を礼遇する思想は、二王三恪と呼ばれている。「二王」は前王朝及び前々王朝を意味する。「三恪」はさらに3代前の王朝(合わせて5王朝)か、あるいは単に前々王朝の前とされた。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 中国史以外に類例を見るなら、王政ローマは世襲ではなく有力者が選挙によって選ばれた。ただしこちらも、共和制期においての理想化に過ぎないという説もある。
^ 後漢が黄巾の乱によって衰退する、魏が明帝死後に実権のない幼帝斉王芳が擁立される、東晋が司馬道子、司馬元顕の専横、孫恩の乱や桓玄の簒奪で衰退、唐が黄巣の乱で衰退するなど
^ 後漢内部での曹操の登場、魏での司馬師、司馬昭、東晋内部での劉裕、唐での朱全忠、など
^ 後漢内部での献帝、魏の元帝、東晋の安帝および恭帝、唐の哀帝など
^ 213年曹操が魏公となる、258年司馬昭が晋公となる、418年劉裕、宋公となる、など
^ 216年曹操が魏王となる、264年司馬昭が晋王となる、419年劉裕、宋王となる、など
^ 213年曹操が魏公となり、九錫を与えられる、258年司馬昭が晋公となり、九錫を与えられる、418年劉裕、宋公となるともに九錫を与えられる、など
^ 220年曹操の子魏王曹丕、魏を建てる、420年劉裕、宋を建てる、など
^ 220年後漢の献帝が山陽公となる、265年魏の元帝が陳留王となる、479年宋の順帝が汝陰王となる、など
^ 直接禅譲に繋がらない殺害は、これ以前からあった。自らに対して兵を挙げた、魏の曹髦を殺した司馬昭(直接の下手人は成済)など

出典^ 岡崎 & 王 1999, pp. 14?15.

参考文献

岡崎由美王敏監修・編著『中国歴代皇帝人物事典』河出書房新社、1999年2月25日。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 4-309-22342-7。 

関連項目

放伐

易姓革命

政権交代

燕王?

外部リンク

『禅譲
』 - コトバンク


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