禁酒
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ただしビールについては、1989年までアルコール度数の制限が加えられていた[9]

ノルウェーでは、蒸留酒が1916年から1927年まで禁止され、1917年から1923年は酒精強化ワインとビールも禁止された。

フィンランドでは1919年から1932年までアルコール飲料が禁止された。

スウェーデンでは1914年から1955年の間、配給制度(ブラット・システム(en:Bratt System)によって酒類が制限されていたが、完全な禁酒は1922年の国民投票によって否決された。

フェロー諸島では1922年までアルコール飲料が禁止されていた。

今日でも、デンマークを除く北方諸国はアルコールの販売を厳しくコントロールしている。ノルウェー、スウェーデン、アイスランド、フィンランドでは蒸留酒・ワイン・ビールの専売制が行われている。バーやレストランといった企業は、直接的・間接的(他の国を通す)にアルコール飲料を輸入することもある。アルコール飲料の購入の厳しい規定が守られているスカンディナヴィアの禁酒運動(国際禁酒協会:en:International Organisation of Good Templarsと提携しているものもある)は、ここ数年間で会員の人数や活動に衰えが見られたが、今はスウェーデンのIOGT-NTOの2005年新規会員総数が12,500人になるなど、再興をみせている。「専売制#北欧諸国」も参照
ロシア・ソ連「しらふが正常」と書かれたソ連の切手

ロシア帝国では、1914年に限定的な禁酒令が導入された[10]。これはロシア革命ロシア内戦の混乱期の後も、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国ソビエト連邦の時代を通して、1925年まで維持された。19世紀ごろから伝統的な微アルコール性飲料であるクワスモルスレモネードなど他の果汁飲料に押されて存在感が薄れていたが、禁酒令の例外となっていたことから脚光を浴びた[11]

禁酒令の撤廃後は勤務時間中の飲酒が横行するなどの問題が深刻化し、過度の飲酒は西側に比べて平均寿命が著しく低かったことの一因ともされた。1985年にはミハイル・ゴルバチョフ共産党書記長が酒類の生産制限・価格引き上げを行うが極めて不評であり、庶民が家でウォッカ密造するため大量の砂糖を使用したことで品不足が常態化し、貴重な収入源だった酒税が減少するなど財政にも打撃を与えた。
南アジア

インドの州には、グジャラート州ミゾラム州など禁酒の州がある。独立記念日やガンディー生誕日(en:Gandhi Jayanti マハトマ・ガンディーの誕生日)など、特定の休日は国全体で禁酒することになっており、また投票日も禁酒日とされる。アーンドラ・プラデーシュ州は州首相N・T・ラーマ・ラオの下で禁酒令が課されたことがあったが、その後撤廃された。ハリヤーナー州でも1996年から1998年まで禁酒令が敷かれた。マハーラーシュトラ州では、許可がある場合のみ飲酒が許可されているが、強制されることはめったにない。
東南アジア

タイ王国では、学生がアルコール飲料を購入するのを防ぐために、午後の間のアルコール販売を禁止している。スーパーマーケットやコンビニエンスストアの電子レジスターは、この時間帯にアルコール飲料を受け付けないようにプログラムされているが、レジ係はしばしば同額の品物をスキャンして規制を回避している。[要出典] また、一部の祝日、選挙の投票日とその前日は、アルコールの販売がすべての店舗、レストラン等において禁止される。

ブルネイでは、公の場でのアルコール飲料の消費が禁止され、アルコールは一切販売されていない。非ムスリムは、空港等(国外)で一定量までのアルコール飲料を購入して、個人的に飲用することが許されている。18歳以上の非ムスリムは2本(約2リットル)までの酒と12缶までのビールを持ち込むことができる。

シンガポールでは、2013年に発生したリトル・インディアでの暴動事件を発端として、2015年4月1日から、「公共の場」における午後10時30分から翌日午前7時までの飲酒が禁止された。また、同時間帯の酒類の小売販売も禁止され、コンビニエンスストアなどでは、冷蔵庫に鍵を掛けて販売できないようにしている。
オーストラリア1928年に禁酒令が撤回されてから初めて贈られてきた酒

アルコール飲料は、オーストラリア上に散在する多くのアボリジニのコミュニティで禁止されている。アルコール飲料をこれらの禁酒コミュニティに輸送する行為には厳しい罰則が科され、使用した乗り物が没収されることもある。ノーザンテリトリーの禁酒区域では、アルコール飲料を輸送するのに使った乗り物はすべて没収される。

アルコールの摂取が暴力に繋がることが知られていたため、カヴァなどのより安全な代替品を模索したコミュニティもあり、特にノーザンテリトリーに多い。カヴァの過剰摂取は、アルコールのような暴力性よりもむしろ眠気を誘うのである。このようなアルコールの濫用対策の結果は様々で、社会問題が減ったコミュニティもあれば全く減っていないというコミュニティもある。オーストラリア違法薬物委員会(ANCD)の研究報告では、こういったプログラムが有効に働くためには、他にも「基底にある、アルコールや薬物の乱用に強く影響している社会構造的な要素」に目を向ける必要があると述べている(Op. cit., p.26)。連邦政府は2007年、ノーザンテリトリーへのカヴァの輸入を禁止した[12]
中国

中国で出された最古の禁酒令は周公の出した「酒誥」である。紂王桀王が酒で国を滅ぼしたことを教訓とし、王侯諸侯は酒席で非礼であってはならず、民衆は集まって酒を飲むことを禁じられた。違反したものは死刑となる厳しい禁令だったが、長い期間維持することはできなかった。以後、清朝に至るまで禁酒令は頻繁に出されたが、うやむやのうちに立ち消えになるのが常だった[13]

後漢末期の中国では、曹操劉備が禁酒令を出した。曹操の禁酒令は表面上酒害を理由としていたが実際は兵糧米の不足が背景にあったらしく、その点を孔融に揶揄されている。また、さほど厳密なものでもなかったようで、ある配下が失言して曹操の機嫌を損ねた際に「彼がそう言ったのは酒飲みどもの隠語で、閣下が思われたような意味ではございません」と取りなす者があって処刑をまぬがれている(『三国志徐?伝。いうまでもないが、この取りなしは禁酒令が厳格に施行されていれば成立しないものである)。劉備のほうでは、取り締まりの行き過ぎで酒の醸造道具を持っていただけの人物が禁酒令違反として逮捕されたことがあった。この時は、劉備挙兵以来の長老である簡雍が「それならあそこを歩いているカップルも淫行罪で逮捕しましょう。彼らは『淫行の道具を持っている』わけですから」と劉備に言ったため醸造道具を持っていた者は釈放されている(『三国志』簡雍伝)。
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この節の加筆が望まれています。 (2017年3月)

日本では大化2年(646年)に最初の禁酒令が発令され、その後何度も禁酒令の発令や酒造の制限が行われた[1]

禁酒令ではないが、鎌倉幕府1252年建長4年)に酒の販売を禁止する「沽酒の禁」が出された。各戸で所有が認められた酒壺は自家用の1つだけとされ、残りは全て打ちこわされた[14]

室町幕府第4代将軍足利義持は将軍在任中から度々禅寺などに禁酒令を出した。さらに息子の足利義量の近臣にも義量に酒を勧めないように命じた(『花営三代記応永28年=1421年6月25日条・6月29日条)[15]。なお、義量が大酒飲みのために早世したという逸話は、この話の曲解に過ぎないと言う研究もある。ただし本人は大酒を飲んで毎夜のように宴会を行っている[15]


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