なお、境内の鐘楼銘によれば、初代の鐘楼は万治4年(1661年)5月に堀親昌が父・堀親良の25回忌に寄進したものというから、実際の建立年は同年の5月以前となる[4]。 山門を入って左手にある。寛文9年(1669年)出雲広瀬藩主・松平近栄により祥雲寺内に建立された。開山は祥雲寺二世黙翁の嗣法、徳峰宗古。
文化財
木造聖観音坐像 - 渋谷区指定有形文化財[6]
外部リンク
⇒東江寺
瑞泉山霊泉院
昭和には祥雲寺境内は大半が豊分町となっていたが、霊泉院のみ元広尾町に属した。
文化財
歴代頂相画15幅、附子順和尚像 - 渋谷区指定有形文化財[6]
木造十一面観音立像 - 渋谷区指定有形文化財[6]
瑞泉山香林院のため麻布小山(三田一丁目)に創建した。開山は景徳寺開山愚溪宗智の嗣法、絶山宗信。院号は松平真次の法名に由来する。寛文8年(1668年)大火により境内に再建された。
大正8年(1919年)仰木魯堂によって作られた茶室雲中庵がある。 寛永年間、祥雲寺二世黙翁宗淵が隠居し祥雲寺境内に設けた春霄庵が起源とされるが[3]。しかしながら、『続江戸砂子』『改正新編江戸志』では祥雲寺末寺として天桂院と春霄院が別個に挙げられており、その後天桂院が春霄院を併せたとも考えられるが、不明である[4]。維新前後に廃された[4]。 『続江戸砂子』に興常庵、『改正新編江戸志』に真当庵とあるものと同一と思われるが、いずれが正しいか定かではない。 元禄8年(1695年)、霊泉院の開山、徳峰宗古により建立された。維新前後に廃された[4]。 元禄2年(1689年)霊泉院二世功海宗勲により建立された。維新前後に廃された[4]。 祥雲寺からは離れて広尾一丁目1番39号に位置する。 当初は本所柳島長寿寺末寺であり、寛保2年(1742年)12月28日香林院末寺となった。天明7年(1787年)香林院東天から弟子妙立尼に付嘱され、尼寺となった。天保13年(1842年)「下渋谷村明細書」では近江国高野永源寺末寺となっている[4]。 祥雲寺裏手には瑞泉山墓地があり、旧塔頭のものも併せて諸大名家や名士の墓が林立する。
文化財
香林院茶室 - 渋谷区指定有形文化財[6]
歴代頂相画12幅、附絶山宗信像 - 渋谷区指定有形文化財[6]
外部リンク
⇒広尾 香林院
天桂院
真常庵
棲玄庵
天桂庵
墓所
筑前福岡藩黒田家 - 黒田長政、黒田吉之
筑前秋月藩黒田家
筑前直方藩黒田家 - 黒田高政、黒田之勝
筑後久留米藩有馬家
下野吹上藩有馬家
大和柳本藩織田家
大和新庄藩桑山家
岡部藩安倍家 - 安部信賢、安部信発
播磨小野藩一柳家
河内狭山藩北条家
丹波園部藩小出家
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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