[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

漢字としての「神」には、「不可知な自然の力」「不思議な力」「目に見えぬ心の働き」「ずば抜けて優れたさま」「かみ」といった意味が含まれる[5]

「神」は古代ギリシア語の"Θε??" テオスや英語の"God"の訳語としても使われている。このように「神」の字で、「神」と訳されることになった、もともと日本語以外の言語で呼ばれていたものごとまで含みうるわけなので、その指し示す内容は多岐にわたっている。(なお、キリスト教における"Θε??"や"God"を、中国語や日本語に翻訳する際に、「神」という字をあてることの是非について19世紀から議論がある(後述)。ただしキリスト教化される以前の古代ギリシャ時代の"Θε??"にも、訳語として「神」は用いられている。)
漢字の「神」「神」の字の旧字体「神」。
字源

漢語の「神」という単語は、甲骨文字では仮借によって「申」という文字で表記されていた。後にこの文字に、区別のため意符「示」が加えられたことで、「神」の字の旧字体である「神」という文字が作られた[6]
初出

「神」の文字が初めて確認できるのは、西周早期に作られた青銅器「寧?」の銘文(金文)である[7]
漢語「神」の初期の用例

春秋左氏伝‐荘公三十二年で「神」は、国の興亡の分かれ目に、君主の善悪を見極め禍福を下す、聡明正直で純一な者として記されている[8][9][10]
神の性質についての様々な考え方

世界的に見ると、神を信じている人は多く(アブラハムの宗教だけでも30億人を超える[11])、神に基づいて自身の生活様式を整えている人、"神とともに生きている"と形容できるような人は多い。

神がどのような存在であるかについての様々な考え方は、宗教や哲学などに見ることができる。以下にその主なものを挙げる。これらの考え方がそれぞれに両立可能なのか不可能なのかは個人の解釈にもより、一概には言えない。

創造主ギリシア語ではデミウルゴス)、第一原因としての神。全ての物事の原因を辿って行ったときに、全ての原因となる最初の創造(創世)行為を行った者として、想定される神。

アニミズム汎霊説)における神。洞窟や岩石、山、水(泉、滝)など自然界の様々な物事(あるいは全ての物事)に固有の神。それらの物事に「宿っている」とされる。

守護神、恩恵を与える者としての神。神は信仰、犠牲、祈りなどに応じて現世来世における恩恵を与えてくれる存在であるとする考え方。

人格神。神がと同じような人格(や姿)を持つとする考え方。

現実世界そのものとしての神。この世界のありようがそのまま神のありようであるとする。例えばスピノザはこのような考え方を採った[要出典]ことで知られている。汎神論

神の性質に関して、その唯一性を強調する場合 一神教、多元性を強調する場合 多神教、遍在性を強調する場合 汎神論が生まれるとされる。ただし汎神論はしばしば一神教、多神教の双方に内包される[要出典]。また、古代から現在まで神話的世界観の中で、神は超越的であると同時に人間のような意思を持つものとして捉えられてきた。近代科学の発展と無神論者からの批判を受け、このような神理解を改めるべきという意見[要出典]も現れている。

人知を超えた存在であると考えられることや、人間やその他の生物のように社会や自然の内に一個体として存在していることは観察できないことから、神の存在を疑う者も多い。現代科学においては想像上の概念を超えるものではなく、その物理的な実存については肯定されない。神の不在を信じる者は無神論者と呼ばれ、マルクス主義は無神論の立場に立つ。また、実存主義者の一部も無神論を主張する。

また神が存在するかどうかは知りえないことであると考える者は不可知論者と呼ばれる。
一神教の神「一神教」および「唯一神」も参照ミケランジェロの絵画「アダムの創造」の詳細。これは、アブラハムの宗教における神の一般的な描写である。

一神教の例としてユダヤ教キリスト教イスラム教がある(これらはアブラハムの宗教である)。

いずれも、旧約聖書を経典とし、同一の神を信じている。ユダヤ教においてはモーセの時代にそれ以前の宗教から新しい体系が作り上げられたとされる。ユダヤ教を元に、イエス・キリストの教えからキリスト教が誕生し、さらにムハンマドによってイスラム教が生じた。

これら3つの宗教は唯一神教ではあるが、神以外にも人間を超えた複数の知的存在があることを認めている。天使が代表例であり、人間以上だが神以下の存在である(ただしイスラム教では、後に創造されたものであるほど優れているという考えがあるため、天使は人間に仕える存在という側面もある)。天使はあるときは普通の人の形をして現われたり、人とは違う形をして現われたりする。しかし「神の働き」は神だけが行うことができ、その他の存在は「神にお願いすること、執り成しができる」だけである。聖母マリアも、厳密には崇拝対象ではなく「崇敬」の対象であり、少なくとも教義上では区別している。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:77 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef