神饌
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豊かな実りを表す食材の他にも、福井県三方郡美浜町にある彌美神社、青森県三戸郡南部町にある諏訪神社、島根県松江市にある美保神社などでは野老(ところ)とよばれる[注釈 2]、日常的には食べない食物が奉げられている[12][13]。彌美神社では飢饉が起きた際にこれを食べて飢えを凌げたことを感謝し奉げられているとされるが[13]、それに対して美保神社では、江戸の元禄期に書かれた『本朝食鑑』に「白髭が多く、多寿の祝いとして正月の蓬菜飾りに用いていた」という記述があるため、縁起物として神饌に納められたのではないか、と考え、諏訪神社では薬として用いられる風習があったため神饌として奉げられていたのではないか[14]、と同じ食材に対して三者三様の解釈がなされている[15]
唐菓子

神饌には油で調製された御物も見受けられる[16]。油は古来より胡麻、榧、胡桃などから精製されたが、油でいためる・揚げるといった調理方法は唐から伝わったとされ、それらの食品は唐菓子と呼ばれた[16]。これらの中で「??(ぶと)」「?餅(まがりもち)」「梅枝(ばいし)」と呼ばれるものがある[16]。米を粉にした?粉(しんこ)を丸めて団子にし、中央を指でつぶして成型したものはへその穴に見えることから「へそ団子」と呼ばれ、神戸の生田神社などで奉げられるが、これを餃子のような半円形に成型したものが??、紐状にして「∞」のような形に成型したものが?餅、棒状に成型したものが梅枝とそれぞれ呼ばれる[16]。梅枝は本来は3本の枝に分岐した「Y」のような形に作られていた[16]

これら??、?餅という唐菓子については『神道名目類聚抄』には?? ?餅 米ノ粉ニテ認、御菜、クダモノナドト同ジク、御膳ニ附ル ? 神道名目類聚抄

果物などと同じ用途で奉げられていたと記される[17]。??や?餅に関する記述は『和名類聚抄』にもあり、平安時代には神饌として定着していたことが確認される[17]。八坂神社では??に関して1814年(文化11年)の書かれた『祇園社年中行事』の中に八月二十七日伏兎団子ナリ餅搗朝飯出ル、出勤ノ銘々伏兎ヲ以テ花類魚ノ類或ハ器ノ類ヲ作ルナリ、
二十八日今晩寅刻ヨリ伏兎ヲ油ニテアクル(中略)、伏兎餅組立三ツ宛串ニサシ六ツ重ネ上ニケント云テ一ツ置ナリ ? 祇園社年中行事

という記述があり、花や魚の形に成型していたことが確認できる[18]

また、大阪府八尾市の恩智神社では成型段階で大豆を煮たものを包み、油で揚げたものを「オオブト」、丸く細長い形状で両側と上の面に5つくぼみをつけたものを「マガリ」と呼び、これらの唐菓子はすべてを組み合わせると人形の形になる[18]。あるいは、滋賀県東近江市の日枝神社ではひよどり、亀、猪、猿、しなの犬などの形に成型した??が存在し[19]、春日大社では菊の形に成型されて奉げられる[20]。このように??、?餅に代表される唐菓子は、その土地によって独特の形に成型されて神饌として奉げられていた[18][21]。これらの作業は、材料の?粉を鶴、亀、犬、兎、猿などの形に成型することを酉造(とりつくり)、油で揚げることを酉揚(とりあげ)と呼ぶ場合もある[22]

いずれも、唐から伝来した当時最新の食品であり、一般的には口に出来ないような貴重な食物を神々への御物として新たに奉げようという神饌の考え方を知る貴重な例である[23]
植物三枝祭に奉げられるササユリ北野天満宮の紅梅と白梅

植物を神饌として奉げる神社も多い。奈良県奈良市にある率川神社ではササユリの花で飾られた酒樽が献供される[24]。これは主催紳である媛蹈?五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)が幼い頃暮らした三輪山の狭井川のほとりが、山百合(ササユリの別称)の咲きほこる場所であったという伝説にあやかり、現在も三輪山で摘み取られたササユリが奉げられる[25]。また、ササユリは昔は「山百合」と呼び、古典では「佐韋」と記し、これが狭井川の語源になっている[26]。『神祗令』には既に謂。率川社祭也。以二三枝花一。飾二酒粋鼾ユ。故曰二三枝一也。(三枝の花を以て酒樽を飾る故に三枝といふ) ? 神祇令

と記され、古くから行われてきた、花を奉げる神事であることがわかる[27][28]

北野天満宮では主祭神である菅原道真にあやかり、紅梅と白梅が神饌として奉げられる[29]。北野天満宮では従来は建立された経緯から菜種を奉げていたが、渡唐天神信仰による影響や[30]、新暦への移行により祭事の日時が1ヶ月ほどずれたため、それ以降は梅を奉げ、菜種は神職一同が身につけ神事に臨む形で残されている[31]

石清水八幡宮では自然物から構成された造花(供花神饌)が神饌として奉げられる[32]。これは竹、梅、菊、南天、椿、水仙、松、牡丹、橘、桜、杜若(かきつばた)、紅葉などの植物に、鳳凰、鶯、鶴、兎、鶺鴒、雉子、鳩、巣籠子(すごもりひな)、蜻蛉、鷹、蝶、鴨、鹿などの動物を組み合わせ、12座の神饌で四季を表現するものである[32]

このような食材は明治以前には社領から御厨家が調達にあたったが、明治以降は氏子などから献上された食材の中から祭事や季節に応じて選択され、神饌として奉げられている。例として、以下に4種の神饌の内容を列挙する。
献供される神饌の例
賀茂別雷神社 内陣神饌

平安中期には祭りとは賀茂祭(葵祭)を指したように、非常に影響力の大きい祭事である賀茂祭。その内の内陣神饌と外陣神饌は賀茂別雷神社に鎮座する神に奉げられる神饌とされる。器には毒を退ける力があるとされるが多く用いられる[33]

葵桂[注釈 3]御箸船御飯[注釈 4]船御餅[注釈 5]雉子
鯛大根百合根茄子飛魚の干物御菓子[注釈 6]


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