担ぎ棒同士の組付けは、ボルト・ナットやダボで組み、これらに縄や浸したサラシで巻き上げてたり、それぞれ単独の方法で組み立てる場合など色々な方法がある。担ぎ棒の組み付け。ダボ(凹凸)と縄の場合 白木と黒・朱色・漆塗りなどがある。形状も含めて混在している神輿もあるが、これは美的観点から意図的に行われている場合もあるが、2点棒→4→6と増設した場合や補修で、既存の棒と合うものがなく、仕方なく装着している場合もある。色と形の違う担ぎ棒。 親棒・花棒・本棒の先端をハナ(花・鼻・華)と言い、一番目立つ場所である事から取り合いになることが多い。舵取りや顔として目立つ意味の花型と、先端を意味する鼻先の意味からこう呼ばれている。 通常は主要部分は木製であり[16]、その製作には20種類の職人が携わる[17]。 質素な白木のものから、漆塗り・極彩色のものまで様々である[13]。 部品点数は3000程度[17]。神輿は担いで長時間荒々しく揺さぶられる場合が多いため、細かなパーツを組み合わせする升組み 2種類に大別される。 仏教の寺院が輿を持ち巡行することもある。ここでは意味合い的に「神輿」でなく「御輿」と表記する。 神仏習合が見られる御霊信仰や祇園信仰では、御霊会や祇園祭の際に御輿が用いられてきた。神仏分離令で神道神社と仏教寺院に分かれた後も、寺社ともに御輿が用いられている。密教や修験道の寺院の祭りの際にも御輿を用いる例が見られる。 町を歩いてお旅所(神酒所)や商店を回る渡御や、A神社とB神社を巡行するもの、一定の場所に集結し、お浜降り 明確な統計は無いが、全国的には通常、ひら担ぎ
仕上げ・色
ハナ棒
材質
祭り方(祀り方)
1つは天皇の行幸を模し、鳳輩型の神輿に神霊を奉じて渡御する「王朝型神幸祭」。
例:京都石清水八幡宮、東京日枝神社神幸祭など。
2つ目は魂振りを行う祭り。神輿を激しく振り立て、神輿振りを強調する「日吉型渡御祭」で、神輿を激しく振り動かすことによって神の霊威を高め、豊作や大漁を願うものである。また、余すところなく周囲に行き渡らせる所作(しょさ)でもある。[20]豊作や大漁を願うだけではなく、古来、神は祟り(天変地異)を起こすと考えられていたことから、霊威を高め、町を鎮めるお力も高めた。[21]
例:滋賀日吉大社・山王祭
寺院の御輿大雄山最乗寺の御輿
三瀧山不動院
塩野毘沙門堂(山形県米沢市)暴れ神輿と言われる。
熊野大社 (山形県南陽市)戦国時代 善光寺の本尊を奉じた上杉謙信の後継者である上杉景勝が越後ー会津ー米沢へ移動するのに使用した神輿が今も伝わっている。
瑞宝山慈恩寺 (山形県寒河江市)- 室町時代(1395年)の記録に、御輿をもって寺領を獲得した話が残る。
成田山新勝寺(千葉県成田市) - 成田祇園祭の際に御輿が用いられる。
大雄山最乗寺(神奈川県南足柄市)
運行形態(神輿の担ぎ方)街なかを渡御する神輿。大正初期
総論
各論(ビデオ) 神輿、駒込天祖神社大祭
江戸前担ぎ:東京都内では「えっさ、えっさ」の掛け声で神輿を揺らす担ぎ方が有名であるが、近年は神輿同好会等の影響で「オイサ」「セイヤ」「ソイヤ」の掛け声が増えている。浅草三社祭・鳥越祭り・神田明神祭など、東京の祭礼の殆どはこの担ぎ方となっている[24][25]。
ちょいちょい担ぎ|城南担ぎ:同じ都内でも漁師町であった品川・大田近辺では、小波に揺れる舟のように小刻みに神輿を振る。2点棒でトンボが複数あり、大拍子という太鼓が付いているのが特徴である[26][27]。
どっこい担ぎ: 湘南地方では、湘南甚句と共に「どっこいどっこい、どっこいそりゃ」の掛け声でタンスを鳴らし、神輿を上下に揺らし担ぐ形式が一般的である。極みとして、茅ヶ崎「暁の祭典浜降祭」7月海の日開催がある[28][25]。
小田原担ぎ:「オイサー、コラサー」の掛け声から木遣り唄(浜木遣り)とともに走る(跳ぶ・突っ駆ける)動作があり、他の神輿と合体する事も特色である。漁師の祭りであった松原神社例大祭が原型とされ、荒波・転覆を連想させるため御霊が入っている時は神輿を揺らさない。小田原流とも呼ばれるこの担ぎ方で渡御する神社は、小田原市内に数社あり、ゴールデンウィーク5月3日北條五代祭りのパレードの他、4日5日と斎行される山王神社、大稲荷神社、居神神社、松原神社の例大祭などで見られる[29]。