神輿
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担ぎ手を増やしたい場合など、親棒(縦棒)から左右(垂直)方向にトンボと呼ばれる横棒を2本伸ばし、その先に前後方向を向いた脇棒(外棒)を加えたもの。前後方向の担ぎ棒(縦棒)が合計で4本で、このタイプの神輿が最も多い。
6点棒
前後方向(縦棒)が6本の物。大型で重い本社神輿を中心に採用されている。例として鎌倉五所神社の本社神輿(宮神輿=神社神輿)など。東京四谷の須賀神社小田原松原神社など、普段は4点棒ながら限定的に6点棒で担がれる場合もある。
6点棒+4点棒
通常、6点棒とは縦棒のみを指し、横棒(トンボ)は輿の前と後の計2本であるが、これにトンボを追加した6点棒+4点棒の神輿も存在する。
2点棒+6点棒
上記と逆の構造で、2点棒にトンボが4本または6本の神輿もある。例としては城南担ぎの品川近辺で見られる「城南神輿」である。ちなみに同タイプの神輿は台輪棒穴が無く、棒の上に台座が乗る。
2点棒+2点棒
2点棒にトンボを2本のみ配して担ぎ手を増やす事ができるようにした神輿もある。この方式の配置は、神輿の差し上げや、神輿を担いだままその場で水平方向に素早く回転させるのに動きやすい利点がある。例として、北海道江差町八大龍王神八江聖団例大祭の御輿渡御で見る事ができる。
4点棒+2点棒
4点棒にトンボを2本のみ配して担ぎ手を増やす事ができるようにした神輿。神輿の差し上げや、神輿を担いだままその場で水平方向に素早く回転させるのに動きやすい利点が上記の「2点棒+2点棒」と同様である。

2点棒+2点棒の神輿の例(八大龍王神八江聖団例大祭・御輿渡御)

4点棒+2点棒の神輿の例(八大龍王神八江聖団例大祭・御輿渡御)

担ぎ棒同士の組付けは、ボルト・ナットやダボで組み、これらに縄や浸したサラシで巻き上げてたり、それぞれ単独の方法で組み立てる場合など色々な方法がある。担ぎ棒の組み付け。ダボ(凹凸)と縄の場合
仕上げ・色

白木と黒・朱色・漆塗りなどがある。形状も含めて混在している神輿もあるが、これは美的観点から意図的に行われている場合もあるが、2点棒→4→6と増設した場合や補修で、既存の棒と合うものがなく、仕方なく装着している場合もある。色と形の違う担ぎ棒。
ハナ棒

親棒・花棒・本棒の先端をハナ(花・鼻・華)と言い、一番目立つ場所である事から取り合いになることが多い。舵取りや顔として目立つ意味の花型と、先端を意味する鼻先の意味からこう呼ばれている。
材質

通常は主要部分は木製であり[16]、その製作には20種類の職人が携わる[17]

質素な白木のものから、漆塗り・極彩色のものまで様々である[13]

部品点数は3000程度[17]。神輿は担いで長時間荒々しく揺さぶられる場合が多いため、細かなパーツを組み合わせする升組み構造で、その震動・衝撃を吸収する[18]。通常、金属の宝飾品取り付け以外はは使われない[19]。また製作工程を統括する者を「神輿師」と呼ぶ[17]
祭り方(祀り方)

2種類に大別される。

1つは
天皇行幸を模し、鳳輩型の神輿に神霊を奉じて渡御する「王朝型神幸祭」。
例:京都石清水八幡宮、東京日枝神社神幸祭など。

2つ目は魂振りを行う祭り。神輿を激しく振り立て、神輿振りを強調する「日吉型渡御祭」で、神輿を激しく振り動かすことによって神の霊威を高め、豊作や大漁を願うものである。また、余すところなく周囲に行き渡らせる所作(しょさ)でもある。[20]豊作や大漁を願うだけではなく、古来、神は祟り(天変地異)を起こすと考えられていたことから、霊威を高め、町を鎮めるお力も高めた。[21]
例:滋賀日吉大社・山王祭、京都八坂神社祇園祭、東京浅草神社三社祭鳥越神社・鳥越祭りなど全国各所。いわゆる暴れ神輿である。平安時代後期、比叡山延暦寺の僧兵等は日吉神社の神輿をもって強訴し、白河法皇に「賀茂川の水、双六の賽、山法師。これぞ朕が心にままならぬもの」と言わしめた。
寺院の御輿大雄山最乗寺の御輿

仏教の寺院が輿を持ち巡行することもある。ここでは意味合い的に「神輿」でなく「御輿」と表記する。

神仏習合が見られる御霊信仰祇園信仰では、御霊会祇園祭の際に御輿が用いられてきた。神仏分離令で神道神社と仏教寺院に分かれた後も、寺社ともに御輿が用いられている。密教修験道の寺院の祭りの際にも御輿を用いる例が見られる。

三瀧山不動院(宮城県仙台市) - 夏の大祭の際、1980年に新造された御輿が用いられる[22]

塩野毘沙門堂山形県米沢市)暴れ神輿と言われる。

熊野大社  (山形県南陽市)戦国時代 善光寺の本尊を奉じた上杉謙信の後継者である上杉景勝が越後ー会津ー米沢へ移動するのに使用した神輿が今も伝わっている。

瑞宝山慈恩寺山形県寒河江市)- 室町時代1395年)の記録に、御輿をもって寺領を獲得した話が残る。

成田山新勝寺千葉県成田市) - 成田祇園祭の際に御輿が用いられる。

大雄山最乗寺神奈川県南足柄市

運行形態(神輿の担ぎ方)街なかを渡御する神輿。大正初期
総論

町を歩いてお旅所(神酒所)や商店を回る渡御や、A神社とB神社を巡行するもの、一定の場所に集結し、お浜降りや神輿同士をぶつけ合ったりするものなど様々で、祭りの中でそれが果たす役割は多種多様である。
各論(ビデオ) 神輿、駒込天祖神社大祭

明確な統計は無いが、全国的には通常、ひら担ぎと呼ばれる「わっしょい」の掛け声で神輿を揺らさずに担ぐ地域が多いと思われる。[23]揺らす場合は江戸前に分類される。

江戸前担ぎ:東京都内では「えっさ、えっさ」の掛け声で神輿を揺らす担ぎ方が有名であるが、近年は神輿同好会等の影響で「オイサ」「セイヤ」「ソイヤ」の掛け声が増えている。浅草三社祭・鳥越祭り・神田明神祭など、東京の祭礼の殆どはこの担ぎ方となっている[24][25]

ちょいちょい担ぎ|城南担ぎ:同じ都内でも漁師町であった品川大田近辺では、小波に揺れる舟のように小刻みに神輿を振る。2点棒でトンボが複数あり、大拍子という太鼓が付いているのが特徴である[26][27]

どっこい担ぎ: 湘南地方では、湘南甚句と共に「どっこいどっこい、どっこいそりゃ」の掛け声でタンスを鳴らし、神輿を上下に揺らし担ぐ形式が一般的である。極みとして、茅ヶ崎「暁の祭典浜降祭」7月海の日開催がある[28][25]

小田原担ぎ:「オイサー、コラサー」の掛け声から木遣り唄(浜木遣り)とともに走る(跳ぶ・突っ駆ける)動作があり、他の神輿と合体する事も特色である。漁師の祭りであった松原神社例大祭が原型とされ、荒波・転覆を連想させるため御霊が入っている時は神輿を揺らさない。小田原流とも呼ばれるこの担ぎ方で渡御する神社は、小田原市内に数社あり、ゴールデンウィーク5月3日北條五代祭りのパレードの他、4日5日と斎行される山王神社、大稲荷神社居神神社松原神社の例大祭などで見られる[29]


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