スイスの心理学者カール・グスタフ・ユングを筆頭に、世界の神話には背景に心理学的なものがあるという考えを置いた理解も進んだ。ユングは、すべての人間は生まれながらの心理的な力(psychological force)を無意識に共有する(集合的無意識)と主張し、これを「元型」(archetypes)と名づけた。彼は、異文化間の神話に見られる類似性から、このような普遍的な原型が存在することを明らかにできると考え[68]、この元型が表現された一つの形態が神話だと論じた[69]。
ジョーゼフ・キャンベルは、人間心理を洞察した中で、人の生き方に応用できるものを神話から得られると主張した。例えば、キャンベルが主張するところによると神話第一の機能は「神秘な存在に対する畏敬の念を想起させ支持させる」ことにあり[70]、さらに「各個人に自己の精神を現実的に秩序づけるよう導く」ことに役立つと言及した[71]。
ユングやキャンベル同様、クロード・レヴィ=ストロースも神話は心の有り様を反映したものだと唱えた。ただし彼は、この有り様とは無意識や衝動ではなく明確な精神機構、特に対立する神話素
(英語版)の組み合わせである二項対立[72]があると考えた[73]。ミルチャ・エリアーデは『神話と夢想と秘儀』や『The Myth of the Eternal Return』の付記に、現代人が感じる不安は神話や神聖なるものの拒絶に帰すると論じた。 ハンス・ブルーメンベルクは、神話には「威嚇(Terror)」と「詩情(Poesie)」という互いに背反する二つの機能が対立する構図を取ると分析した。前者は人間社会が有する制度や規範または抑圧などをイメージさせる物語を提示し、それを強制させる機能をいう。後者は生命本来が持つ自然性や原初の話にある自由さを提示し、世界を人間の相似をして認識させ、人間の精神を高める想像をもたらす機能を意味する。ブルーメンベルクはこの二つの機能が対立するのではなく、「距離(Distanz)」を持ちながら共存すると言い、具体的には「威嚇」を感じ取りながらそこから適度に離れた位置で「詩情」を感じ取る構造が神話の特色と言及した[74]。古いベルギー紙幣。ケレース、ネプトゥーヌス、ケーリュケイオンが図柄に使われている。 異なる文化における神話を比較する学問を比較神話学という[5]。その主題は各神話の中にある類似性を見つけ出すことにあり[5]、そこから神話に流れる共通の基礎的部分を見出そうとする試みである。この基礎的な部分とは、例えばある同じ自然現象に直面した各民族が意図せず似通った神話を創り出すような場合にありうる、普遍的な発想の源、もしくは多様な神話に分岐する大元の「神話の種」(protomythology)とみなされる可能性がある[5]。 19世紀には、神話解釈において比較神話学的手法が活発になり、その普遍性探求が行われた[75]。しかし現代、このような比較検討の手法には研究者から疑問も提示され、神話の普遍性に囚われるべきではないとの意見もある[76]。この傾向に抗う例のひとつはジョーゼフ・キャンベルの『千の顔を持つ英雄』(en) 近代の文脈において、非常に最近に作られたものにせよ、再度の組み合わせの流れのものにせよ、しかしながら神話の性格を全て有するところの話を人は確かに観察した。人はそれで「都市神話」、またはさらに一般に「都市伝説」について話す。しかしながら現代の神話について、フランス革命もしくは19世紀末期での労働者の意向におけるもののような戦争の叙事詩の類の、信じられない出来事の到来に対するあるいはそれらの出現の分析を与えたものである、哲学者で社会学者のジョルジュ・ソレルの策略を与えるところの意味においても人は話すことを与える[77]。大衆の動員において用いられるところの社会的神話はそれで問題である。20世紀の法廷では、神話はとくに国家の高揚のために、ファシズムによる 宣伝活動における道具のように使われたとされた。今日人は、広告が売り手の神話において顧客に機能することとの評価を与える。現代の神話はすなわちある時は自発的な社会的意志の表明でありまたある時は政治あるいは商業における秩序での操作である。現在の現代社会において、他面では神話はひとつの広告宣伝装置であるのに、それらの能力限界に含みを持たせることが必要なように思われる。 神話は、古代ギリシアにおいてはミュトスとして伝えられ、ホメーロスの『イーリアス』『オデュッセイア』、ヘシオドスの『神統記』『仕事と日』などのように、霊感を受けた詩人が神々の行為を権力者に語る歌の形式となった。これらは神が人に真実を語る力関係の基、聞き手である強者・男性的価値観に副うようにつくられていた。それに対しロゴスは説明する言葉であり、弱者が強者に使う、多少の嘘を含みながらも説得力を持たせることを目的としていた[78]。 これが、現在用いられるミュトス=真実ではない「虚構」、ロゴス=知性や理性に裏打ちされた「真理」へ逆転した転換点は、ギリシア民主制の誕生にある。市民が話し合いながら政治を進める体制では、必要な議論は神がかった詩人の言葉ではなく、理性や知性を働かせ、相手を説得する言葉でなければならない。これを背景に、ロゴスこそが真実という概念が固められ、相反してミュトスが虚偽の意味合いを持つようになった[78]。 日本の古典には、「神語(かんがたり)」という語はあるが、「神話」という語はない。これは明治20年代に、英語の「myth」を「神話」と日本語に翻訳した事で用いられる様になった翻訳漢字であり、中国や朝鮮の古典にもない言葉である[79]。これは本来、神話と呼ばれるものが語られるものであって、文字によって書き残されるようになったのは後であるためとされる。したがって『神話』という日本語は、近代から用いられる様になった比較的新しい語である。
その他の考察
比較神話学詳細は「比較神話学」を参照
都市神話または現代神話
「神話」の意味の変化
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脚注[脚注の使い方]
注釈^ おそらくは、神話を哲学的に解釈したものの中で最も広範にわたるものは、プロクルスの著作『Commentary on the Republic』にある (The Works of Plato I, trans. Thomas Taylor, The Prometheus Trust, , 1996)。