神話の機能では、神話そのものと神話時代の観念とを区分することは重要である。クロード・レヴィ=ストロースは、神話とは科学と同様に、意識的人間と自然との間にある関係から自ずと導き出されたものと示した。文化は、例えば陰湿な者を蛇に喩えたように、人間のふるまいを表現するために神話学的存在を設けた。それが、時が経つにつれて「蛇男の神話」へと変貌した。しかしながら、神話時代の観念とは、現代的視点からすると紛う方無く虚構であり、人類が神話を編み出す以前のいかなる時間軸上に存在していない[58]。 歴史的に神話研究の重要な取り組みは、ジャンバッティスタ・ヴィーコ、フリードリヒ・シェリング、フリードリヒ・フォン・シラー、カール・グスタフ・ユング、ジークムント・フロイト、リュシアン・レヴィ=ブリュール、クロード・レヴィ=ストロース、ノースロップ・フライ、ソヴィエト流派、神話‐儀礼理論派らによってもたらされた[59]。本項では、神話解釈のトレンドを解説する。異なる神話の比較検証については比較神話学を参照願う。 神話の批判的解釈はソクラテス以前の哲学者まで遡ることが出来る[60]。エウヘメロスは初期の重要な神話学者であり、彼は歴史的事実の変質が神話となったと唱えた。プラトンは『パイドロス』にてこれを批判し、この神話学門分野をソクラテスの言として「恐ろしく奇妙でぎこちなく、全く巧妙さが無い」と述べている。より深く包括的な洞察が行われた。例えばサルティウス(en) プラトンが『国家』にて詩人が語る神話は教育上害悪だという主張(詩人追放論)を展開した事は有名だが、その一方で多種類の神話を著作中に引用した。その後のプルタルコス、ポルピュリオス、プロクロス、オリュンピオドロス、ダマスキオスらプラトン派の思想家も伝統的な神話やオルペウス神話の象徴を明白に解釈する著述を行った[注釈 1]。 ルネサンス期には多神教の神話へ再び関心が向けられ、16世紀には『Theologia mythologica 神話を扱う学究的理論は19世紀後半に提示された[60]。この時代の考えでは神話は失われたり時代遅れであったりする思考として扱われたが、一方で神話は近代科学に相当する原始的な概念という解釈も行われた[62]。研究手段には歴史学、文献学、民族学的手法が持ち込まれた[2]。特にインド・ヨーロッパ語族の比較言語学進展に伴ってこの言語を用いる地域の各神話が研究され、もっぱら言語学的要素を重視した神話研究が進展した[2]。 E.B.タイラーの解釈では、神話とは、人智の及ばぬ自然の法である自然現象を文章として説明する試みだったと言い、それはやがてアニミズムに繋がる無生物に霊魂を見出す[63]古代人の試みと考えられた[64]。テイラーは、このような人間の思考が様々な段階を踏んで神話的な解釈から科学的な考察へ進歩したと主張した。これにはあまり同調する学者はおらず、リュシアン・レヴィ=ブリュールは「原始的な知性というものは人の精神状態そのものであり、歴史的な発展をする段階などではない」と反駁した[65]。 フリードリヒ・マックス・ミュラーは神話を「言語疾病」[63]と呼び、抽象的表現や中性的に捉える概念が言語上で充分に発達していなかったために創られた、そのため擬人的な何かに語らせたり、自然現象そのものを神のような意思を持つ存在と認識するような手段で概念を捉え言語化したと考えた[41]。ただし今日では、この理論はあまり重要視されていない[2]。 人類学者のジェームズ・フレイザーは、神話とはそもそも自然の法則を誤訳した魔術的な儀式をさらに誤って解釈したものとみなした[66]。彼は、人間は不可思議な事象を客観的な魔術的法則とみなし、それが願望を聞き届けるような性格ではないと判ると自然法則とみなすことを諦め、なにかしらの神が自然を制御していると思うようになり、それが神話への傾倒に繋がったと主張した。この過程において、伝統的に行われてきた儀式を神話の出来事の再現する行動だと再解釈して続けるようになるとも述べた。
神話の研究
近代以前の理論
19世紀の理論