神話
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紀元前5世紀のヘロドトスプロディコスも同様の主張をしており[39]、このような考え方は紀元前320年頃の小説家で、ギリシア神話の神々は人間の伝説が変化したものと主張したエウヘメロス(en)にちなみエウヘメリズムという[39][40]
寓話

神話は寓話を元にしているという説がある。それによると、アポローンポセイドーンといった具合に自然現象を扱う寓話が神話に変化したという[39]。また哲学的概念や的概念を表す寓話を元にした神話もあり、例えばアテーナーは賢明な判断、アプロディーテー願望を示すという[39]。19世紀のサンスクリット文献学者フリードリヒ・マックス・ミュラーは神話の寓話的理論を纏め、当初神話は自然を語る寓話として形成されたが、やがて文字通りに解釈するようになったと主張した。例えば、「raging」という表現は元々はが「荒れ狂う」ことを表現していたが、これがやがてを司る神の「激怒する」性格を現すようになったと言う[41]
擬人化

いくつかの考察によれば、神話無生物や力の擬人化という説もある。それによれば、古代の崇拝は炎や空気などの自然現象に向けられ、徐々にこの信仰対象が神に変化したという[42]。例えば、神話的思考論(en)によれば古代人は何を見るにしても単なる物ではなく人格を帯びているという見方を持っていたという[43]。したがって自然現象はそれぞれの神の所業であると考え、その思考が神話形成へ繋がったと主張している[44]
神話と儀式の関係

儀式との関連を解説した神話‐儀式理論[45]の極端な説では、神話とは儀式を説明するために作られたという[46]聖書学者のウィリアム・ロバートソン・スミス(en)によって提唱された[47]この主張では、古代人が何らかの目的を持って儀式を始めた時には神話とは何ら関係が無かった。しかし時が過ぎ元々の目的が忘れ去られたときに、人々はなぜ儀式を行うかを説明するために神話を創り出し、それを祝するためという理由で儀式を行うようになったという[48]。人類学者のジェームズ・フレイザーも似通った説を唱え、古代人の信仰は人智が及ばぬ法則を信じることで始まり、やがてそのような感情を失ってしまった際に神話を創り出し、それまで行っていた魔術的な儀式を、神を鎮める儀式にすりかえたと主張した[49]

しかし現在では、神話と儀式の関係には普遍的な判断をつけずそれぞれの民族ごとに判断すべきという意見で一致している。儀式が先行し後に神話が作られたというフレイザーらの説を立証する証拠はほとんど見つからず、逆にアメリカインディアンゴースト・ダンスの例のように神話が先行して存在し、儀式は神話の補強として発達する例が多い[2]
神話の変化や統合

民族や文化を単位に生まれる。古代、小規模であったこれらの単位は征服や統合を通じて集合し、やがては国家単位の大きな統一的文化・文明へと発展した。これに伴い神話も段階的にまとまり、体系付けられた。松村武雄はこれら神話の統合された構成について、「横に展開」と「縦に展開」とに分類し、前者の例としてギリシア・ゲルマンケルトなど西ヨーロッパの神話が網のように存在する状態を示し、後者の例として日本天孫系神話を挙げている[50]

中国の神話はこのような体系化がなされず断片的・孤立的なところを特徴とするが、個別の神話の中には三皇五帝に見られる3つの異なる大洪水があるように「横に展開」や「縦に展開」に相当する箇所もある。これらは、神話が固定化した時期に当該地域がどのような政治的・文化的な体系を成していたかが影響し、中国は例外的に神話が統合されない傾向にあった可能性が考えられる[50]
神話の役割ケンタウロス。獣性と人間性がせめぎ合う象徴。

担う役割のうち最も重要なものは、行動規範を定めることにある[51][52]。神話の中で語られる象徴は、時に道徳的な解説を含む出来事の結果を示す場合がある。人間と動物の特徴を合わせ持つような登場人物はまさに人間の典型として描き出される。例えばケンタウロスは人間男性の上半身と馬の下半身を持つが、人間部分は合理性を象徴し、動物部分は野性的本能を表す。この特異な姿は、人間心理が動物的本能に脅かされる状態を意味する[53]。この例は、神話の価値は文化的または精神的な根拠の臆説を述べる点にあるだけでなく、道徳的な解釈が成り立つ象徴群を描写するところにもある。その時には必ずしも神の説話を登場させる必要は無く、何らかの概念を具現化する象徴が示されれば良い。例えば、ギリシア神話では鳩は「権力」や「肥沃」、犬の悪い意味は「死者」があり、神話概念を引継ぐ詩集『変身物語』では熊は「自然の変化」を象徴する[53]

近代以前、人生体験は宗教や物語的な宇宙観と密接に関係し、切り離すことができなかった。それは、当時の宗教とは「入信するもの」ではなく、人生のすべての面において存在し、宗教や物語的宇宙観は人生そのものを構築していたことを示す[54]。この時代、神話はいわゆる「宗教的な体験」を提供する一翼を担った。神話物語は人を現実社会から切り離して神話の時代へ誘い、神聖なるものに触れる機能を持った[20][52][55]。事実、神話時代の状況を再現しようと試みる社会も存在し、そこでは現実社会に生きる人間に原初の時代に存在した神の癒しをもたらそうとしている例もある[56]。この背景には、人間の道徳を定義するものではない技術と直面する科学に対して、「宗教的な体験」は過去の徳目への理解に繋がる指向性がある点が挙げられる[57]

神話の機能では、神話そのものと神話時代の観念とを区分することは重要である。クロード・レヴィ=ストロースは、神話とは科学と同様に、意識的人間と自然との間にある関係から自ずと導き出されたものと示した。文化は、例えば陰湿な者を蛇に喩えたように、人間のふるまいを表現するために神話学的存在を設けた。それが、時が経つにつれて「蛇男の神話」へと変貌した。しかしながら、神話時代の観念とは、現代的視点からすると紛う方無く虚構であり、人類が神話を編み出す以前のいかなる時間軸上に存在していない[58]
神話の研究

歴史的に神話研究の重要な取り組みは、ジャンバッティスタ・ヴィーコフリードリヒ・シェリングフリードリヒ・フォン・シラーカール・グスタフ・ユングジークムント・フロイトリュシアン・レヴィ=ブリュール、クロード・レヴィ=ストロース、ノースロップ・フライ、ソヴィエト流派、神話‐儀礼理論派らによってもたらされた[59]。本項では、神話解釈のトレンドを解説する。異なる神話の比較検証については比較神話学を参照願う。
近代以前の理論

神話の批判的解釈はソクラテス以前の哲学者まで遡ることが出来る[60]。エウヘメロスは初期の重要な神話学者であり、彼は歴史的事実の変質が神話となったと唱えた。プラトンは『パイドロス』にてこれを批判し、この神話学門分野をソクラテスの言として「恐ろしく奇妙でぎこちなく、全く巧妙さが無い」と述べている。より深く包括的な洞察が行われた。例えばサルティウス(en)[61]は神話を5つの種類に分けた。神学的、物理的(または自然の法則との関連)、アニマスティック(または魂との関連)、物質的そしてこれらの混合である。この分類は最終的に2-3に纏め直されたが、この考え方は神話研究の嚆矢となった。

プラトンが『国家』にて詩人が語る神話は教育上害悪だという主張(詩人追放論)を展開した事は有名だが、その一方で多種類の神話を著作中に引用した。


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