神話学者の松村一男によると、この背景が影響して神話の女神や女性に見られる性質には、男性側の観念を反映した要素がある。ひとつはギリシアのアルテミスやインドのドゥルガーのような豊穣がある。ただしそこには、単に恵みをもたらすのみならず、全てを呑み込むような過剰な部分も併せ持つ[31]。他にも処女と母親という相反する性質の同居があり、日本のアマテラス、ギリシアのアテーナー、そしてキリスト教の聖母マリアらがこの例に当たる。これらは男性が女性に抱く理想[36]を反映し、後に難解な理論づけをしたものという[31]。
エウヘメリズム詳細は「エウヘメリズム」を参照
ひとつの理論として、神話とは歴史的な出来事が歪められて説明されたものという考えがある[37][38][39]。これによると、語り部が歴史的な出来事を繰り返し何度も詳述するうちに、登場人物が神格化され神話が成立したという[38][39]。例えば、風の神アイオロスの神話は、ある王が臣下に帆を使い風を読むよう命令した故事が発展したものという解釈がある[38]。紀元前5世紀のヘロドトスとプロディコスも同様の主張をしており[39]、このような考え方は紀元前320年頃の小説家で、ギリシア神話の神々は人間の伝説が変化したものと主張したエウヘメロス(en)にちなみエウヘメリズムという[39][40]。 神話は寓話を元にしているという説がある。それによると、アポローンは火、ポセイドーンは水といった具合に自然現象を扱う寓話が神話に変化したという[39]。また哲学的概念や霊的概念を表す寓話を元にした神話もあり、例えばアテーナーは賢明な判断、アプロディーテーは願望を示すという[39]。19世紀のサンスクリット文献学者のフリードリヒ・マックス・ミュラーは神話の寓話的理論を纏め、当初神話は自然を語る寓話として形成されたが、やがて文字通りに解釈するようになったと主張した。例えば、「raging」という表現は元々は海が「荒れ狂う」ことを表現していたが、これがやがて海を司る神の「激怒する」性格を現すようになったと言う[41]。 いくつかの考察によれば、神話は無生物や力の擬人化という説もある。それによれば、古代の崇拝は炎や空気などの自然現象に向けられ、徐々にこの信仰対象が神に変化したという[42]。例えば、神話的思考論(en) 儀式との関連を解説した神話‐儀式理論[45]の極端な説では、神話とは儀式を説明するために作られたという[46]。聖書学者のウィリアム・ロバートソン・スミス(en) しかし現在では、神話と儀式の関係には普遍的な判断をつけずそれぞれの民族ごとに判断すべきという意見で一致している。儀式が先行し後に神話が作られたというフレイザーらの説を立証する証拠はほとんど見つからず、逆にアメリカインディアンのゴースト・ダンスの例のように神話が先行して存在し、儀式は神話の補強として発達する例が多い[2]。
寓話
擬人化
神話と儀式の関係