神話学
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その後のプルタルコスポルピュリオスプロクロスオリュンピオドロスダマスキオスらプラトン派の思想家も伝統的な神話やオルペウス神話の象徴を明白に解釈する著述を行った[注釈 1]
中世の神話学

ルネサンス期には多神教の神話へ再び関心が向けられ、16世紀には『Theologia mythologica』(1532年)のような神話に関する書籍が著された。また、イタリア・ナポリの哲学者ジャンバッティスタ・ヴィーコは神話研究を行っている。
近代の神話学

神話を対象とするヨーロッパでの近代的研究は17世紀終わりから始まり、19世紀中葉に至って本格的に展開するようになり[4]、いくつかの研究の流れが現れた。

19世紀の考えでは神話は失われたり時代遅れであったりする思考として扱われたが、一方で神話は近代科学に相当する原始的な概念という解釈も行われた[5]インド・ヨーロッパ語族比較言語学の進展に伴って、この言語を用いる地域の各神話が研究され、もっぱら言語学的要素を重視した神話研究が進展した[6]

フリードリヒ・マックス・ミュラーは神話を「言語疾病」[7]と呼び、抽象的表現や中性的に捉える概念が言語上で充分に発達していなかったために創られた、そのため擬人的な何かに語らせたり、自然現象そのものを神のような意思を持つ存在と認識するような手段で概念を捉え言語化したと考えた[8]

E.B.タイラー(en)の解釈では、神話とは、人智の及ばぬ自然の法である自然現象を文章として説明する試みだったと言い、それはやがてアニミズムに繋がる無生物に霊魂を見出す[7]古代人の試みと考えられた[9]。テイラーは、このような人間の思考が様々な段階を踏んで神話的な解釈から科学的な考察へ進歩したと主張した。これにはあまり同調する学者はおらず、リュシアン・レヴィ=ブリュールは「原始的な知性というものは人の精神状態そのものであり、歴史的な発展をする段階などではない」と反駁した[10]

ほかに、ヴィルヘルム・ヴントの民族心理学、デュルケームの社会学、ジェームズ・フレイザーらの民俗学によるものなどがある。

人類学者のジェームズ・フレイザーは、神話とはそもそも自然の法則を誤訳した魔術的な儀式をさらに誤って解釈したものとみなした[11]。彼は、人間は不可思議な事象を客観的な魔術的法則とみなし、それが願望を聞き届けるような性格ではないと判ると自然法則とみなすことを諦め、なにかしらの神が自然を制御していると思うようになり、それが神話への傾倒に繋がったと主張した。この過程において、伝統的に行われてきた儀式を神話の出来事の再現する行動だと再解釈して続けるようになるとも述べた。しかし最終的に人類は、自然とは自然の法則に従っているのだと認識し、そして科学を通じてその法則を見つけるようになり、神話は時代遅れなものへと押しやられてゆくと言い、フレイザーはこの一連の過程を「魔法に発し、宗教を通じて科学へ至る」と表現した[12]。また彼は世界中に数ある神話の部分類似点に着目し、進化論的な普遍化を施した。ただしこれは強引な手法との批判がなされた[6]

神話学の人文社会科学的な発展に伴って、神話はそれ自体の信憑性を失うことになった[13]。19世紀後半には社会文化的進化論を基礎に置き、神話は未開状態の習俗から発生したものとみなすアンドルー・ラングなどが現れた[6]
20世紀の神話学

20世紀に入ると、前世紀の神話研究における主要な考えであった神話と科学の対立という見方は否定され、種々の観点から神話に対して膨大な研究が行われ、神話学は広い学問分野となった。一般に、「20世紀の理論は、神話を時代遅れの疑似科学とはみなさない傾向にあり、科学を理由に神話を無視するようなことはしない」と述べてられている[13]。神話研究にも構造主義人類学や心理学からのアプローチが行われた[6]。レオ・フロベニウスなどドイツの民族学者たちが世界中の神話を収集し、分布や文化史上の意義を定めた[6]、ほかに代表的なものとしては、ジョルジュ・デュメジルらによる比較言語学的な比較神話研究、クロード・レヴィ=ストロース文化人類学からの研究などがある。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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