神聖賭金訴訟
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ローマ法においては、私法には、身分法財産法、民法及び刑法が含まれ、訴訟は私的な手続であった[注 37] 。犯罪も私的なものだった(国家が訴追するような最も重大なものは除く)。公法は私法の中でもローマ国家に密接に関わり得るような領域のものだけを含んでいた。ローマは、その勢力の拡大と共に、ローマ市民と外国人の法的紛争に対応する必要が生じ、そのため私法を中心に法学が発展していった。そこでは、ローマ市民であると、外国人であるとを問わず、お互いに対等な立場にある個人の意思を出発点とした抽象的な法理論が発展した。近代法の特徴とされる故意責任過失責任の区別がなされたのも古代ローマに遡ることができる。

公法は遵守が義務づけられた法的規制を表現するためにも用いられた。今日では強行規範[注 38]と呼ばれる。これらは、当事者間の合意で変更したり排除したりすることができない規制である。変更できる規制は、今日では任意規範[注 39]と呼ばれ、当事者が何かを共有し、かつ対立していない場合に用いられる。このような区別がなされるのも個人の意思を中心に法体系をつくるローマ法の理論に基づく。
不文法と成文法

不文法[注 40]と成文法[注 41]とは、文字通りにいえば、それぞれ書かれていない法と書かれた法をいう。

実際には、両者の違いはその生成過程にあり、(生成後に)文字で書き留められたかどうかは必ずしも問題ではない。
不文法

不文法は、慣習となった実務から現れ、時代を超えて拘束力を有するようになった普遍的な法の総体である。大ざっぱにいえば、「この人が決めたことだから従う義務がある」というような特定の「この人」(これを「立法者」という。)がいないにもかかわらず、様々な実務家が繰り返しある規範を採用し、その規範に従う義務があるという共通認識が社会全体にもできたとき、その規範を普遍的な法という意味で普通法 と呼ぶ。
成文法

成文法」は、立法者が文章によって制定した法の総体である。こうした法は、ラテン語で「leges」[注 42]や「plebiscita」[注 43]、日本語の「国民投票」であり、平民会の起源)と呼ばれた。ガイウスの法学提要によれば、ローマの法は、次のようなもので成り立っている。

平民会の議決[注 10]

元老院の議決[注 44]

元首の勅法[注 45]

公職者の告示[注 15]

法学者の回答[注 46]

人民の権利

法制度におけるある人の位置を表現するために、ローマ人は「status」という表現を使うのが通例であった。人は、外国人とは異なる「ローマ市民」(: status civitatis)であったり、奴隷とは異なる「自由な身分」(: status libertatis)であったり、「家父長」(: pater familias)やその下の家人といったローマ人「家族の一員」(: status familiae)であったりしたわけである。このうち、古代ローマの法制を理解するにあたり、最も重要なのが家長権である。
ローマの訴訟

古代ローマでは、個々の市民が自ら訴えを提起しなければならなかった。訴えの提起は、書面の起訴状ではなく、原告被告を口頭で呼び出す方法によりなされていた。十二表法に定められた儀礼を口頭で行うことにより被告は法廷に出廷することが義務付けられた。被告がこれを拒否したときは、原告は証人を呼んだ上で被告を法廷へ連行することが許された。被告がなお抵抗するときは、拿捕することも許された。
神聖賭金訴訟

十二表法はいくつかの法律訴訟[注 47]を定めていた。そのうちの一つが「神聖賭金訴訟」(神聖賭金による法律訴訟)[注 48]である。神聖賭金[注 49]は、自己呪詛という宗教的意味合いをもった一種の供託金で、敗訴した場合には罰金として支払う必要があった。
審判人申請による法律訴訟

もう一つが審判人申請による法律訴訟[注 50]であるが、これは、神聖賭金が不要な点に大きなメリットがあった。審判人申請による法律訴訟は、法廷手続[注 51]と審判人手続[注 52]に大きく二分されていた。被告が法廷に出席すると、法廷手続へ移行した。法廷手続で訴権を定め、争点決定という儀式的行為を行うことにより係属した。訴えが係属すると、審判人手続へと移行し、審判人が指名され、その訴えの判決が示された。
拿捕による法律訴訟

判決を執行するための手続として、拿捕による法律訴訟[注 53]が定められていた。判決後、債務者は執行を免れるため30日間の猶予期間が与えられたが、その間に債務の支払をしなかった場合に初めて債権者は執行を行うことができた。債権者は、またもや債務者を口頭で法廷に呼び出さなければならなかったが、法廷では、判決後30日の間に債務者が債務から解放する行為を行ったかどうかだけが審理され、それが認められないときは、債権者は債務者を60日間私的に拘禁することができた。債権者は、債務者を60日の間に市場で3回売りに出すことができ、この機会に買い手が見つからなければ、債務者を殺すか、外国へ追放しなければならなかった。

以上に対し、被告が原告の請求を認諾した場合、握取行為による債務、現行犯窃盗犯に対する債務等債務が公知の場合には、勝訴判決を得ることなく、拿捕による法律訴訟を提起することができた。
方式書訴訟

紀元前326年、ポテリスス法によって、拿捕の際に被告を鎖で繋ぐことが禁じられると、古来の民事訴訟手続は実効性を失い、制度改革の必要が自覚されるようになった。十二表法で定められた民事訴訟手続は確定文言によって訴権を定める厳格な形式性・保守性を特徴とする儀礼的なもので、一度間違えるとやり直しがきかず、原告が敗訴するという硬直性を有していたため、より弾力的で、やがて法律訴訟にとって代わる方式書訴訟[注 54]が発展を始めた。方式書訴訟では、法律訴訟のように債務者を拘束するような人的執行は許されず、債務者の財産についてのみ執行が許された。判決後、正当な30日の猶予期間を経っても債務者が債務から解放する行為を二度行わなかったときは、債権者は債務者の全財産を占有することができ、間もなく破産管財人が選任されて、全財産を市場で売却し、債務の支払に充てることができた。
審理人

共和政時代やその後もローマの訴訟手続が裁判官によって担われるようになるまでの間は、裁判の審理および判決は、通常は審理人と呼ばれる一人の私人[注 55]が行なっていた。審理人は男性のローマ市民に限られていた。当事者は指名された審理人に同意するか、「album iudicum」と呼ばれた名簿の中から審理人を指名することができた。当事者双方が合意できる審理人が見つかるまで名簿順に下がって行き、もし誰も合意できなければ名簿の1番下の審理人を選ばなければならなかった。重大な公益がかかっている訴えについては、5人の審理人で法廷を構成することがあった。まず、当事者が7人を名簿から選び、次に、その7人の中から無作為で5人が選ばれた。彼らは審理員[注 56]と呼ばれた。この仕事は荷が重いと考えられていたため、訴えを裁判する法的義務は誰も負わなかった。しかし、裁判をする道徳的な義務はあり、これは「職務」[注 57]という言葉で知られていた。審理人は訴訟を指揮するやり方について大幅な裁量権を有していた。審理人はあらゆる証拠を考慮して、適当と思われる方法で判断を示した。審理人は法律家でもなければ法的な技術も持たなかったので、訴えの技術的な側面について法律家に諮問することも多かったが、法律家の回答には拘束されなかった。訴訟が終結しても、審理人にとって事案が明確になっていなければ、審理人は、事案不明確を宣言して判決を拒否することもできた。また、判決が何らかの技術的な問題(申立ての種類など)によって左右されるときは、判決宣告までにいくら時間をかけても構わないとされていた。審理人の判決は、特別の権威があるものとされ、上訴することは許されなかった。
特別審理

その後、審理人に代わり裁判官が登場するようになると、こうした手続は姿を消し、いわゆる特別審理[注 58]の手続[注 59]に置き換わった。すべての事件が公職者である裁判官の前で審理された。裁判官は審理と判決をする義務があり、判決に対しては上級の公職者裁判官に控訴をすることができた。
ローマ法の現在

現在、ローマ法はもはや法実務においては適用されておらず、南アフリカサンマリノのような一部の国の法制度が、今もなお旧来のユス・コムーネに基礎を置いているのみである。

しかしながら、法実務が近代法典に基礎を置いているとしても、担保責任を始め多くの法制度ないし規範がローマ法に由来しており、ローマ法の伝統と完全に断絶している法典は存在しない。むしろ、ローマ法の規定をより時代に密着した制度として適合させ、その国の言葉で表現したのが近代的な法典である、とすらいえよう。ローマ法の影響は法律学の用語にも広く及んでおり、契約締結上の過失(ドイツ民法典311条)、合意は守られるべし、先例拘束の原則といった例がある。そのために、ローマ法の知識は今日の法制度を理解する上で不可欠なものである。


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