神社
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文部科学省の資料によれば日本全国に約8万5千の神社があり[3]、登録されていない小神社を含めると10万社を超え、宗教法人格を有さない小さな祠等を含めると日本各地には20万社の神社があるといわれている[4]
祭祀対象

祭祀対象は神道であり、「八百万(やおよろず)」と言われるように非常に多彩である。神聖とされた山岳や河川・湖沼などから、日本古来の神に属さない民俗神、実在の人物・伝説上の人物や、陰陽道道教の神、神仏分離を免れた一部の仏教の仏神などの外来の神も含まれる。また稲荷や猿、鯨、鮭など動物を祭神とする神社、子孫繁栄の象徴として男根の像を祀る神社もある。

古くは神聖な山、滝、岩、森、巨木などに「カミ」(=信仰対象、神)が宿るとして敬い、社殿がなくとも「神社」とした。現在の社殿を伴う「神社」は、これらの神々が祀られた祭殿が常設化したものとされる。神は目に見えないものであり、神の形は作られなかった。神社の社殿の内部のご神体は神が仮宿する足場とされた御幣や鏡であったり、あるいはまったくの空間であることもあり、さまざまである[注釈 1]
呼称
神社の名称

神社の名称の付け方は様々である。最も一般的なのは地名によるものである[注釈 2]

「?坐神社」というのもある。また祭神名を冠するものも多い[注釈 3]。ほかに奉斎する氏族の名前を冠するもの[注釈 4]や祭神に関連する語句を冠するもの[注釈 5]、神社の種別を表すもの[注釈 6]・祭神の座数によるもの[注釈 7]などがある。また由来が不詳である神社名も少なくない[注釈 8]。稲荷神社や八幡宮など全国に広く分布するものは、それらの社名にさらに地名を冠することが多い[注釈 9]

天満宮は音読みで、八幡宮や浅間神社は音読みと訓読みの場合があるが、音読みで社号を読むのは仏教の影響である。天満宮は祭神である天満天神が仏教の影響を受けているため、漢語の社名となっている。八幡宮と浅間神社はいずれも本来は「やわた」「あさま」と訓読みしたが、神仏習合のもと仏教の影響で、音読みが定着した。

なお、原則として全ての神社を「?神社」(宮号・神宮号を除く)と称するようになったのは近代になってからである。「?明神」や「?権現」などと神名を社号としたところや、「?稲荷」「?八幡」と「神社」の部分が省略されたところ、「?社」としたところなどがあったが、全て原則として「?神社」と称することになった。これを権現号の使用禁止と関連させて、排仏政策によるという指摘もあるが、国家が管理するうえでの都合と言う解釈もある。

近代においては終戦まで神社はいわば国家の施設であり、法令上の規則により、「神社」と認められるのに設備や財産などの条件があり、条件に満たないものは「神社」とされなかった。
組織

神社の組織は時の政治の状況との関連もあり一定していない。律令国家においては式内社が国家による祭祀の対象として神祇官の統制下に置かれたが、その頃から既に式外社と呼ばれる神祇官の統制外にある神社もあったことは確実である。

近世においては仏教の施設となった神社や修験道陰陽道の影響下にある神社も存在していたが、一方で伯家神道吉田神道と言った他宗教からは独立した神道の神社もあった。明治維新を迎え、神社は国家神道として神道系の宗教を含むあらゆる宗教から建前上は分離されたが、その位置づけには議論があった。宗教としての神道は教派神道として神社と分離された。上毛高原駅構内の、期間限定の手作り神社(2022年12月)

だが、現代においても神社の組織や在り方はさまざまである。現在で最大の神社統括組織は、神社本庁であるが、明治神宮靖国神社伏見稲荷大社日光東照宮など有名な神社であっても、神社本庁との被包括関係を有せず、単立宗教法人として運営される場合がある。大きな単立神社でも約2000社あり、東大阪市のように宗教法人格を有している神社に限っても半数以上が神社本庁に属していない地域もある[6]。さらに神社本庁以外にも神社神道系の包括宗教法人がいくつかあり(神社本教北海道神社協会神社産土教、日本神宮本庁など)、これに属する神社は神社本庁の被包括関係には属さない。また、教派神道修験道陰陽道、神道系新宗教大和教団、大倭教等)や保守系の諸教(生長の家天照皇大神宮教等)に所属している神社も存在している。

また、宗教法人格を有さない小さな祠や、イベントのための期間限定の「神社」なども数多く存在する。神奈川縣護國神社は、「日本全国で唯一、護国神社がない県」という「汚名」を返上するため、有志が平成24年(2012年)から8年半の歳月をかけて建立した手作りの神社である。
社号

近世まで、固有名の部分を除いた「神社」「大社」「宮」などの社号に特別な基準はなく、一つの神社が状況によって異なる呼ばれ方をすることもあった。明治時代に神社が国家の管理下に入ると、公認されたもののみが「神社」を名乗り、大社・神宮などを名乗るには勅許などが必要とされた。終戦後には政教分離により国家、皇室が神社に直接関与しなくなったため、特に許可がなくても、大社、神宮を名乗れるようになった。

伊勢神宮に代表される神宮号は7世紀まで遡る古いものである。日本書紀に記された神宮号は伊勢神宮・石上神宮出雲大神宮のみだった。平安時代に編纂された『延喜式神名帳』では鹿島神宮香取神宮・大神宮が神宮とされた。明治以降、明治天皇を祀る明治神宮が創建されると、他の天皇を祀る神社も順次神宮に昇格した。こうして、歴史上の人物を祀る神社で、天皇を祀るものを神宮、皇族を祀るものを宮、功臣等を祀るものは神社とされた。しかし、仁徳天皇を祀る高津宮や難波神社は神宮と呼ばないように、全てにおいて天皇を祀るものを神宮と呼ぶわけではない[7]

戦後に神宮を名乗るようになった神社には北海道神宮伊弉諾神宮、英彦山神宮がある。香椎宮のように、いわゆる神宮ではないのに、最寄りの駅名が香椎神宮駅であるために誤解される例もある。

大社は江戸時代までは杵築大社・熊野大社の二社が名乗ったが、明治時代から1945年までは大社を名乗るものは出雲大社のみであった。戦後は旧官幣大社・国幣大社・官幣中社の神社のうち26社が大社を名乗っている。現在、ほかに気多大社諏訪大社南宮大社三嶋大社富士山本宮浅間大社多度大社日吉大社多賀大社建部大社松尾大社伏見稲荷大社住吉大社春日大社龍田大社広瀬大社熊野本宮大社熊野速玉大社熊野那智大社宗像大社高良大社など。

また、梅宮大社大鳥大社のように表記が定まらないものもある。また平野神社もかつては扁額に「平野大社」と書かれていた。
上社・下社富士山本宮浅間大社奥宮
富士山山頂に鎮座)

神社には上社と下社、あるいは上の宮と下の宮など二社に分かれる「二社制」が多くみられる。上社、中社、下社の三社に分かれる「三社制」もある。

上社と下社はその位置関係から、上手のものを上社、低地のものを下社と呼ぶことが多い。また、本宮、本社から見て深奥部にある社は奥社、奥宮(おくのみや)、奥院、山宮、人里近い社は前宮、里宮、口宮などと呼ばれ、僻遠地の元宮に対し集落近郊に新たに建てられたものを新宮とも呼ぶ。

これらの上下社では祭神が異なる場合もあるが、一方がもう一方の若宮であったり、本宮の配偶神を祀るケースもある。これらの起源は不詳だが山奥に埋葬墓、都邑近郊に礼拝墓を設ける「両墓制」と関係があるとする説もある。また、山岳そのものをご神体として、その山麓に遙拝施設を建てたものを里宮の起源とし、神霊降臨の思想から山頂にもう1社を建て分祀したものを山宮の起源とする説もある。
賀茂神社
上賀茂神社(祭神 賀茂別雷神)と下鴨神社(祭神 玉依姫命賀茂建角身命)。下鴨社の起源は上賀茂社からの分祀ともいうが定かではない。
諏訪大社
諏訪湖の南北に上下社があり、上社は建御名方神と妻の八坂刀売命、下社は二神に加え兄神事代主神を配祀するが、民間では上社に男神、下社に女神とされる。さらに上社は本宮・前宮、下社は春宮・秋宮に分かれる。


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