神社
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現在では参拝用の施設の他に、結婚式の設備[注釈 11]などが併設されることも多い。
本殿の様式
代表的な様式


妻入様式

大社造(たいしゃづくり) - 出雲大社など。

春日造(かすがづくり) - 春日大社など。

住吉造(すみよしづくり) - 住吉大社など。

大鳥造(おおとりづくり) - 大鳥神社など。


平入様式

神明造(しんめいづくり) - 伊勢神宮など。

流造(ながれづくり) - 賀茂神社など。

両流造(りょうながれづくり) - 厳島神社など。


入母屋造(いりもやづくり) - 御上神社など。

日吉造(ひえづくり) - 日吉大社など。


八幡造(はちまんづくり) - 宇佐神宮など。


他の様式


祇園造(ぎおんづくり) - 八坂神社など。

権現造(ごんげんづくり) - 北野天満宮日光東照宮など。

浅間造(せんげんづくり) - 富士山本宮浅間大社など。

寝殿造(しんでんづくり) - 宇治上神社拝殿など。

隠岐造(おきづくり) - 水若酢神社など。

吉備津造(きびつづくり) - 吉備津神社など。

織田造(おだづくり) - 劔神社など。

尾張造(おわりづくり) - 真清田神社津島神社尾張大国霊神社など。

大縣造・三棟造(おおあがたづくり・みつむねづくり) - 大県神社など。


水分造(みくまりづくり) - 建水分神社千早赤阪村など。

神職詳細は「神職」を参照

神主(かんぬし)は本来、神社における神職の長を指していたが、現在では神職と同じ意味で用いられる。神官(しんかん)は、国家の官吏として祭祀を司る職業のことで、現代日本には存在しない。ただし、神職が兼業として政治家公務員などの公職に就くことはある。

現在は包括的な法整備によって神道は宗教法人に属するが、本来の姿は宗教ではなく、自然や環境の保護や感謝、生に対する敬意を奉るものである。そのため、神職は他の宗教と違って宗教者ではなく、神に対する奉仕者である。神社祭祀の担い手は神職宮司禰宜、権禰宜など)と呼ばれる奉仕者だが、一般に、仏教キリスト教などの宗教者と違って布教などはしない(教派神道は別)。

従来、小規模な神社には専属の神職がいない場合が多く、氏子が交替で管理し、氏子自らないし外部から神職を呼んで祭祀を行った。また、神宮寺僧侶が管理、祭祀を行うこともあった。現在でも、比較的規模が大きい神社の神職が、周辺の小規模な神社の宮司を兼任する場合が多い。

現在、神職になるには、神道学科がある大学で神道を専攻して、神職資格を取得後、全国いずれの神社へ奉職(就職)し、神職として登録をする必要がある。そのため、神職資格を取得しても、神職登録をしていなければ神職とはみなされない(神社本庁系神道の場合)。
歴史
起源

神社の起源は、磐座(いわくら)やの住む禁足地(俗に神体山)などでの祭事の際に臨時に建てた神籬(ひもろぎ)などの祭壇であり、本来は常設ではなかった。例としては沖縄御嶽(ウタキ)のようなものだったと考えられる。

創建が古い神社には現在も本殿がないものがあり、磐座や禁足地の山や島などの手前に拝殿があるのみの神社[注釈 12]、社殿が全く無い神社[注釈 13]がある。「神社には常に神がいる」とされたのは、社殿が建てられるようになってからだと言われる。

古代中国にも土地神などを祀る「社」が存在したが、屋根が付いた社を建てるのは「喪国の社」(『礼記』郊特性)とされ、日本の社とは異なる。そのため、多くの神社に社殿が造営された背景について諸説が述べられた。社会の発展により自然から人格神へと信仰の対象が変わったためとする説[11]、仏教寺院の影響を相互に受けたとする説[12]、武器や貢納物を納めた神庫(ほくら)が先行して存在したとする説[13]、7世紀後半以後に国家が一部の社にのみあった神庫を全国に建設したとする説[14]などがある[15]

古社はそれぞれの縁起により御神体の近くに社殿を構える事[注釈 14]が多い。新しく神社を造営するときは、適当な場所に分霊氏神を祀った。場所の選定の仕方は様々で、縁起から選ぶ[注釈 15]、清浄な場所を選ぶ[注釈 16]、参拝のしやすさで選ぶ[注釈 17]などがある。社殿を海上・山頂、現代ではビルの屋上などに祀ることもある。
近代国家と神社制度

明治維新直後より近代的な中央集権化に適応する新たな体制の整備が始まった[16]。律令神祇官の家柄である白川家・吉田家をはじめとする近世までの制度が廃止され、政府内に神社行政機関が設置された[16]。また、古代以来の神仏習合(神仏混淆)を解消する神仏分離が行われ、明治4年に封建的な土地支配制度を廃止する社寺領の上地が実施されたのち、全国の神社が「国家の宗祀」と定められ、神社に関するあらゆることが、国家の法制度によって規定されてきた[16]。戦前はいわゆる「国家神道」も「神社」と称した[17]
神社行政機関の変遷

1868年(明治元年)1月 - 2月   神祇事務科
[18]

1868年(明治元年)2月 - 閏4月  神祇事務局[18]

1868年(明治元年)閏4月 - 1869年(明治2年)7月 (太政官内)神祇官[18]

1869年(明治2年)7月 - 1871年(明治4年)8月 (太政官外)神祇官[18]

1871年(明治4年)8月 - 1872年(明治5年)3月  神祇省[18]

1872年(明治5年)3月 - 1877年(明治10年)1月 教部省[18]

1877年(明治10年)1月 - 1900年(明治33年)4月 内務省社寺局[18]

1900年(明治33年)4月 - 1940年(昭和15年)11月 内務省神社局[18]

1940年(昭和15年)11月 - 1946年(昭和21年)2月 (内務省)神祇院[18]

近代社格制度「近代社格制度」も参照.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキソースに神社財産に関する法律(1908年)の原文があります。

明治4年に、神社を「国家の祭祀」として、基本的な制度が改められた[18]。伊勢神宮を除く全国の神社は官社と諸社に大別され、官社は官幣・国幣の各々を大中小社、諸社は府・藩・県・郷・無格の各社に分類された。ただし廃藩置県のため、藩社への列格はなかった[18]。明治5年に別格官幣社が設定され、楠木正成を祭る湊川神社が最初に列せられた[18]。別格官幣社は皇室や国家のために偉勲を残した人物を祀る神社が主に列格した[18]


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