神田川_(東京都)
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本郷台地の東では旧石神井川の河道を流れる小河川と合流させて真東に向かい、現在の浅草橋柳橋の東で隅田川に合流させた[2]。開削当初の「仙台堀」は川幅が狭く洪水を解消する機能にも事欠いたが、幕府は河川舟運に供するため拡幅するよう仙台藩第4代藩主伊達綱村に命じ、1660年万治3年)より拡幅工事がなされた[4][注釈 4]。この拡幅された掘割から河口までを神田川と呼んだ[7][注釈 5]。広く開削された旧・平川を舟運が船河原橋[注釈 5][9](ほぼ現在の飯田橋)まで通じるようになった。

一方、小石川見附門から南流する旧・平川は現在の九段下付近まで埋め立てられて神田川と切り離され堀留となった(元飯田町堀留)。かつての外濠から内濠となったこの堀留は飯田川とも呼ばれ、道三堀からの舟運を導いて河岸も建っていた。しかしその後も川の氾濫は頻発し、開削した神田川と、谷田川大川(隅田川)と重なり日本橋地域から江戸城下を氾濫させていたため、筋違橋御門から下流の神田川南岸に築土して(柳原土手)城下を守った。
水運の活発化による河川再整備

明治に入り、物流の水運利用が活発になり川にはさらに多くの河岸が建った。上流から紅梅河岸、昌平河岸、佐久間河岸、鞍地河岸、柳原河岸、左衛門河岸などがあった。1883年(明治16年)には浜町川が延伸(岩井川)して神田川と接続、また埋め立てていた飯田川の北側を再開削して再び神田川と結び、これが現在の日本橋川となった。1890年(明治23年)には日本鉄道秋葉原貨物駅が開業し、佐久間河岸からの掘割が引かれ、さらにこの地に1923年大正12年)の関東大震災後に神田多町から神田青物市場が移転して周辺は物流拠点になっていた。1937年(昭和12年)には河川改修よって関口の神田上水石堰も取り除かれた。

第二次世界大戦後の高度経済成長期には生活排水の流入により水質が悪化し「死の川」と呼ばれたが、周辺部に落合水再生センターなどの下水道網、下水道処理施設の整備が進み、元々湧水が多いことなどから近年は水質が大幅に改善。などが生息するようになった。鮎は1993年平成5年)から毎年確認されている。

また、1957年(昭和32年)の台風22号、1966年(昭和41年)の台風6号などにより氾濫を繰り返したため[10]洪水で有名となった。1980年代以降の川岸整備や放水路の増設によって治水対策が進んだが、水害リスクは常にあり(後述)、神田川やその支流の流域自治体は川沿いの浸水リスクをハザードマップで警告している[11]

治水対策に伴う整備で高戸橋から江戸川橋にかけて植栽されたが大きく育ち、花見シーズンには多くの人が訪れる。
神田川の治水事業

江戸時代には洪水による橋の流失など水害が頻繁に発生していた。現代に至るまで治水の努力が続けられているが、都市河川となった現在も溢水の危険をはらんでいる[注釈 3]。戦後は流域の急激な都市開発に河川改修が追いつかず、保水や遊水の機能が低下していた。1958年(昭和33年)の狩野川台風による大水害は、城東の低地での水害に加えてそれまで認識されなかった「山の手水害」を引き起こした。高度経済成長期に、それなりの河川改修が行われてはいたものの後手を踏んでいる状態であり、1981年(昭和56年)の新聞の投書欄では高田馬場の住民が「ここに住んで23年、床上浸水9回、床下浸水23回。毎度毎度たまりません。」と神田川沿いに住む苦労を伝えている[12]

1986年(昭和61年)、全国の総合治水対策が必要な17河川の一つに選定され、1989年(平成元年)に協議会が発足、時間雨量50mmに対応する対策として段階的に分水路や貯水池などが建設された。神田川は流域の市街化率が全国でトップの97%(2009年度時点)にも達し、対策が難しい河川になっている[13]が、対策は一定の効果を上げていた。しかし、2005年9月の平成17年台風第14号により活発化した前線から観測史上最多となる時間雨量100mmを超える降雨災害[注釈 6]が発生し、特に支流の妙正寺川は護岸が破壊されるほどの被害が出た。2007年(平成19年)8月、東京都は『東京都豪雨対策基本方針』を策定[14]し、時間雨量75mmまでの対応強化を目標として整備が続けられている[15]

2023年6月に都内を襲った、令和5年台風第2号梅雨前線による豪雨では、2025年3月末の供用開始を目指して東京都が地下に建設中だった下高井戸調節池杉並区)が水を貯え、氾濫を防いだ[16]
流域.mw-parser-output .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .trow>.thumbcaption{text-align:center}}井の頭池からの流れ出し(東京都三鷹市)神田川(左)と善福寺川(右)との合流地点


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