伝承で神無月には家に祀られている荒神も含めて出雲に旅立つとする地域がある(東京都世田谷区など)[12]。
一方で出雲には出向かない祭神が存在するとしている地域もあり「留守神」と呼ばれている[12]。留守神には荒神や恵比須神が宛てられることが多く、10月に恵比須を祀る恵比須講を行う地方もある。
山口県相島では竈の神様である荒神を留守神としている[12]。
群馬県大泉町では荒神と恵比須神を留守神としており、伝承では荒神は子が多く連れていけないため留守番をしているという[12]。
群馬県大胡町では荒神には子が多いため出雲には行かないという伝承があり留守神となっている[12]。
福島県石城地域では荒神には眷族(けんぞく)が多いため遠慮して出かけないという伝承があり留守神となっている[12]。
江戸時代、地震は地中の大鯰(おおなまず)が動くことが原因と考えられていたが、鹿島神宮では安政の大地震が10月に起きたことから、要石で大鯰を押さえつけていた祭神の鹿島大明神が不在で、さらに留守番をしていた恵比須神が居眠りをしたために起きたという伝承があり鯰絵にも描かれている[13]。
脚注[脚注の使い方]^ 日本国語大辞典、第5巻、p.136、1976年5月1日発行、第1版第2刷、小学館、ISBN 4095220058
^ a b 日本国語大辞典、第5巻、p.412、1976年5月1日発行、第1版第2刷、小学館、ISBN 4095220058
^ a b 日本国語大辞典、第5巻、p.136、1976年5月1日発行、第1版第2刷、小学館、ISBN 978-4167598082
^ 神々が出雲大社に集まるためというのは、「奥儀抄」などに見える俗説(旺文社古語辞典、第8版、p.332、1994年)。
^ 神無月の字をあてるようになったのも、平安時代に入ってからだと考えられる。カミナツキの意味については、新米を収穫して酒を造る月だから醸成月(かみなしづき)の意や、神嘗祭(かんなめのまつり)の行われる神嘗月から出ているなどの諸説があるが、まだ決定できない(鈴木棠三:日常語語源辞典、p.80、東京堂出版、1992年、ISBN 978-4490103113)
^ 高島俊男は「月の名で、師走と同じくらい古い民間語源を有するのが『神無月』である。十月には各地の神さまがみな出雲へ行ってしまって不在になるので神無月、という説明で、これも平安時代からある。『かみな月』の意味がわからなくなり、神さまがいないんだろうとこんな字をあてたのである。『大言海』は醸成月(かみなしづき)つまり新酒をつくる月の意だろうと言っている。これも憶測にすぎないが、神さまのいない月よりはマシだろう。」と評している(高島俊男、お言葉ですが・・・(7)漢字語源の筋ちがい、p.88、文藝春秋、2006年6月10日、第1刷、ISBN 4-16-759808-6)
^ 西角井正慶 編『年中行事事典』東京堂出版、1958年5月23日、18頁。
^ 大和田建樹『謡曲通解』1907年、156頁。
^ 日本国語大辞典、第5巻、p.120、1976年5月1日発行、第1版第2刷、小学館、ISBN 978-4167598082 、「かみあり‐づき 【神有月・神在月】の項、由阿による『詞林采葉抄-六』(1366成立)などの引用がある。
^ 長野県佐久市教育委員会『北佐久口碑伝説集 北佐久編 限定復刻版』1978年11月15日、78頁。
^ 小倉学、藤島秀隆