神武天皇
『神武天皇御尊像』
1940年(昭和15年)北蓮蔵画
初代天皇
在位期間
神武天皇元年1月1日 - 神武天皇76年3月11日
時代神代
先代?草葺不合尊(日向三代、地神五代)
次代綏靖天皇
誕生庚午年[注 1]1月1日庚辰[1](新暦:紀元前711年2月13日)
崩御神武天皇76年3月11日(新暦:紀元前585年4月9日)(127歳没)
陵所畝傍山東北陵
漢風諡号神武天皇
和風諡号神日本磐余彦天皇
諱彦火々出見、狭野
別称磐余彦帝、若御毛沼命、豊御毛沼命、始馭天下之天皇
父親彦波瀲武'"`UNIQ--templatestyles-00000005-QINU`"'鸕鶿草葺不合尊
母親玉依姫
皇后媛蹈鞴五十鈴媛命
夫人吾平津媛
子女手研耳命
神八井耳命
神沼河耳命(綏靖天皇)
(その他諸説は#系譜参照)
皇居畝傍橿原宮
テンプレートを表示
神武天皇(じんむてんのう、.mw-parser-output .lang-ja-serif{font-family:YuMincho,"Yu Mincho","ヒラギノ明朝","Noto Serif JP","Noto Sans CJK JP",serif}.mw-parser-output .lang-ja-sans{font-family:YuGothic,"Yu Gothic","ヒラギノ角ゴ","Noto Sans CJK JP",sans-serif}旧字体:神󠄀武天皇、庚午年1月1日[1] - 神武天皇76年3月11日[2])は、初代天皇(在位:神武天皇元年1月1日 - 神武天皇76年3月11日[2])とされる日本神話(『古事記』・『日本書紀』(記紀))上の伝説上の人物である[注 2][3]。
諱は彦火火出見[2](ひこほほでみ)、あるいは狭野[1](さの、さぬ)。『日本書紀』記載の名称は神日本磐余彦天皇(かんやまといわれびこのすめらみこと)。
天照大御神の五世孫であり、高御産巣日神の五世の外孫と『古事記』『日本書紀』に記述されている。奈良盆地一帯の指導者長髄彦らを滅ぼして一帯を征服(神武東征)。遷都した畝傍橿原宮(現在の奈良県橿原市)にて即位して日本国を建国したと言われる伝説上の人物。
実在性の詳細は初期天皇の実在性を参照。 天孫(天照大御神の孫。皇孫(高皇産霊尊の外孫)ともいう)・瓊瓊杵尊[注 3]の曽孫。彦波瀲武鸕鶿草葺不合命(ひこなぎさたけうがやふきあえず の みこと)と玉依姫(たまよりびめ)の第四子。『日本書紀』神代第十一段の第三の一書では第三子とし、第四の一書は第二子とする。兄に彦五瀬命、稲飯命、三毛入野命がいる。稲飯命は新羅王の祖ともされる。 『日本書紀』によると庚午年[注 1](『本朝皇胤紹運録』によると1月1日庚辰の日)に筑紫の日向で誕生。15歳で立太子[注 4]。吾平津媛を妃とし、手研耳命を得た。45歳時に兄や子を集め東征を開始。日向から宇佐、安芸国、吉備国、難波国、河内国、紀伊国を経て数々の苦難を乗り越え中洲(大和国)を征し、畝傍山の東南橿原の地に都を開いた。そして事代主神(大物主神)の娘の媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ)を正妃とし、翌年に即位して初代天皇になる。
略歴