そのほか、中央官庁の整備、地方統治制度の確立を成し遂げ、692年7月2日に在位12年で死去した。神文王と諡されて狼山の東に埋葬され、その王陵は現在の慶州市排盤洞の史跡181号に比定されている。 真平王代の581年に設置された位和府(人事)には令(長官)が配置されていなかったが、神文王の682年4月になってようやく令2名を配置し、律令体制の維持に重要な人事評価が機能することとなった。また、例作府(営繕)の長官1名、次官2名を配置した。こうして執事部を中心とする13の上級官庁[6]による整然とした官僚機構を成立させ、また、こうした官僚を育成する機関として682年6月には礼部の配下に国学を創立した。689年には官僚に対する禄邑制をやめて租米による俸禄制を始め、官職に取り立てられた中下級貴族層の官僚化を一層進め、先の中央貴族の粛清とあいまって王権の伸長を果たした。 中央官僚機構の完成と平行して、685年には完山州(全羅北道全州市)の再設置、居列州(慶尚南道居昌郡)を分割して菁州(慶尚南道晋州市)を設置して、九州が完備した。687年までに九州は旧高句麗・百済・新羅の領域にそれぞれ三州が置かれるかたちに再編され、それぞれの州治は王都金城(慶州市)に対する副都の位置づけとして、地方統治の拠点となった。また、685年には西原小京(忠清北道清州市)・南原小京(全羅北道南原市)を設置して五小京も完備し、これらへは王都の住民を移住させて、半島内に新羅文化を普及させるための拠点となった。詳細は新羅#九州、新羅#五小京を参照。 先代の文武王を埋葬した地(大王岩)に感恩寺(慶州市陽北面。寺跡は史跡第31号)を建立した[7]ほかに、王都の近辺には奉聖寺(未詳)、望徳寺
官僚化の促進
地方統治
文化事業
脚註^ 『皇福寺石塔金銅舍利函記』による。
^ 『三国遺事』王暦においては、母を慈訥王后、王妃は金欽雲の娘の神穆王后とする。
^ 井上訳注1980、武田2000。
^ すでに文武王の時代(680年)に文武王の妹を安勝に降嫁させていたが、改めて金姓を与えることでさらに連帯感を高め、旧高句麗人への慰撫を図った。
^ 『三国史記』巻32・祭祀志においては第36代恵恭王の時代に五廟を整備したとの記事が見えるが、巻9・新羅本紀・恵恭王紀には対応する記事はみられず、神文王時代に整備されたのが正しいと考えられている。
^ 兵部、倉部、礼部、例作府、位和府、左理方府、右理方府、司正府、調府、乗府、領客府、船府、内省。
^ 『三国遺事』巻2・紀異・万波息笛条の所収の『寺中記』によれば、同寺は文武王が建立を開始し、神文王の2年(682年)に完成したという。
参考文献
『三国史記』第1巻 金富軾撰 井上秀雄訳注、平凡社〈東洋文庫372〉、1980 ISBN 4-582-80372-5
『三国史記』第3巻 金富軾撰 井上秀雄訳注、平凡社〈東洋文庫454〉、1986 ISBN 4-582-80454-3
『完訳 三国遺事』一然著 金思Y訳、明石書店、1997 ISBN 4-7503-0992-3(原著『完訳 三国遺事』六興出版、1980)
井上秀雄『古代朝鮮』、日本放送出版協会<NHKブックス172>、1972 ISBN 4-14-001172-6
『朝鮮史』武田幸男編、山川出版社<新版世界各国史2>、2000 ISBN 4-634-41320-5
外部リンク
⇒慶州市公式サイト#文化遺産(国会指定文化財-史跡)
歴
新羅王(第31代:681年 - 692年)
数字は歴代、( ) 内は在位。「居西干」「次次雄」「尼師今」「麻立干」はいずれも新羅独自の「王」号。
赤字は女王。
上代
1. 赫居世居西干(前57-4) / 2. 南解次次雄(4-24) / 3. 儒理尼師今(24-57) / 4. 脱解尼師今(57-80) / 5. 婆娑尼師今(80-112) / 6. 祇摩尼師今(112-134) / 7. 逸聖尼師今(134-154) / 8. 阿達羅尼師今(154-184) / 9. 伐休尼師今(184-196) / 10. 奈解尼師今(196-230) / 11. 助賁尼師今(230-247) / 12. 沾解尼師今(247-261) / 13. 味鄒尼師今(262-284) / 14. 儒礼尼師今(284-298) / 15. 基臨尼師今(298-310) / 16. 訖解尼師今(310-356) / 17. 奈勿尼師今(356-402) / 18. 実聖尼師今(402-417) / 19. 訥祇麻立干(417-458) / 20. 慈悲麻立干(458-479) / 21. '"`UNIQ--templatestyles-0000000A-QINU`"'炤知麻立干(479-500) / 22. 智証麻立干(500-514) / 23. 法興王(514-540) / 24. 真興王(540-576) / 25. 真智王(576-579) / 26. 真平王(579-632) / 27. 善徳王(632-647) / 28. 真徳王(647-654)