神戸港
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^ “神戸港の統計” (PDF). 神戸市 (2019年). 2020年9月25日閲覧。
^ “神戸港コンテナ取扱個数 18年上半期は過去最多”. 神戸新聞NEXT (2018年9月10日). 2019年1月25日閲覧。
^ “世界の港湾別コンテナ取扱個数ランキング(2021年” (PDF). 国土交通省 (2021年). 2022年5月5日閲覧。
^ 『新修 神戸市史 歴史編II 近世』(神戸市、1992年(平成4年)) 910?917頁「兵庫(神戸)開港の準備」はつぎのように述べる。「ところで、兵庫開港について、条約にその地名ははっきり「兵庫」と記され、また政治の場でもつねに「兵庫開港」と呼ばれていた。しかし、のちに実際の貿易港となったのは厳密な意味での兵庫港(和田岬と湊川先の間)ではなく、その東側の神戸村の海岸であった。この違いはどのようにして生じたのであろうか。〔中略〕。〔慶応3年〕十二月七日付けで定められた開港関係規則によると、大坂で貿易取引を行う場合でも、大坂港への外国船の入港は禁止され、輸出入品はすべて「兵庫運上所」で改めを受け、関税を納めることとされている。この兵庫運上所(後の神戸税関)は、居留地前の海岸の一角に設けられたものであるから、明らかにその海岸を事実上の「兵庫港」として、そこで輸出入品を積み降ろすことが定めされているのである。このように「兵庫開港」は、旧来の兵庫港そのものを開くのではなく、その東側の海岸に新たに海外貿易港を開設するという結果を見たのであり、その区域が神戸港と呼ばれることになるのである。なお、その後明治二十五年(一八九二)に至り、貿易量の増大に伴って神戸港の港域が拡大され、兵庫港もその内に含まれるようになった」(ゴシックによる強調は引用者による)。
^ 例えば、国立公文書館所蔵の以下の文書。

「東久世通禧各国公使ヲ神戸港ニ会シ太政復古ヲ報ス」(2月8日1月15日)、太政類典・第一編・慶応三年?明治四年・第五十四巻・外国交際・外国贈答、【請求番号】本館-2A-009-00・太00054100)

「津山藩ノ大坂警衛ヲ罷メ神戸港ヲ守ラシム」(5月29日閏4月8日)、太政類典草稿・第一編・慶応三年?明治四年・第九十七巻・保民・警察四、【請求番号】本館-2A-024-08・太草00098100)

「川蒸気船神戸港於テ製造届」(1月、公文録・明治元年・第十二巻・戊辰一月?己巳六月・諸侯伺(蜂須賀阿波守茂韶)、【請求番号】本館-2A -009-00・公00012100)

「神戸港於テ外国人ヘ兵刃ヲ加ヘ発砲ニ及候家来ノ者処分御達」(1月、公文録・明治元年・第二十三巻・戊辰一月?八月・諸侯伺(池田備前守茂政)、【請求番号】本館-2A -009-00・公00023100)

「神戸港ニテ備前少将家臣日置帯刀従卒外国人ヘ発砲一件」(外務省記・写本、【請求番号】165-0117)
なお、『神戸開港三十年史』(村田誠治編、神戸市開港三十年記念会、1898年(明治31年))は「凡例」で書名の由来をつぎのように説明する。「慶応三年十二月七日兵庫開港の式は行はれたれども、未だ曾て神戸開港の事なし。今本書に神戸開港三十年史を以て題するは稍々命名の当を失ふが如しと雖も、而かも名に拠らずして実に従ふ時は自から然らざるを得ざるものあるなり。抑も安政条約は独立国対等の条約にあらずして、彼は治外法権を有し、我は内地雑居を許さず。此に於て外人居留地の神戸村地内に設定さるゝや、神戸、二ツ茶屋、走水の三村を以て、互市場と為せり。而して此時未だ神戸港なる名称は生ぜざるなり。明治元年更始の新政を施行さるゝに及び、神戸、二ツ茶屋、走水の三村を合して神戸町と命名し、其際創めて公文上に神戸港なる文字を見るに至る故に、兵庫開港と云へるは単に其名のみにして兵庫津は最初より内外互市に関係する所なし。是を以て本書は乃ち名を棄て実に拠り、神戸開港三十年史とは名づけたり」。
^ 明治25年勅令第77号・神戸港船舶碇繋所区域拡張。アジア歴史資料センターで閲覧可能。JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03020128700
^ “鳴瀧幸恭(初代神戸市長)と鹿島秀麿(元衆議院議員)”. www.city.kobe.lg.jp. 神戸市文書館. 2020年9月12日閲覧。
^ “黎明期のダム 今も潤す 布引五本松堰堤(時の回廊)”. 日本経済新聞 電子版 (2017年2月10日). 2019年12月22日閲覧。
^ “みなと神戸花火大会 花火大会の歴史”. みなと神戸海上花火大会実行委員会. 2019年7月28日閲覧。
^ 韓国国防軍史研究所・編『韓国戦争』第2巻、「翻訳・編集委員会」訳、かや書房、2001年、136頁。
^ a b “国際物流、世界トップ3に 神戸港 世界への150年(1)”. 日本経済新聞 電子版 (2017年5月16日). 2019年12月22日閲覧。
^ a b c d “アジア台頭や震災で苦境 神戸港 世界への150年(2)”. 日本経済新聞 電子版 (2017年5月17日). 2019年12月22日閲覧。
^緊急寄稿、東日本大震災の復興に何が必要か 森永卓郎 厳しい時代に生き残るには Safety Japan
^[1]国交省神戸港事務所
^ “国際コンテナ戦略港湾の選定結果及び今後の取り組み”. 国土交通省 (2010年11月15日). 2019年12月22日閲覧。
^ “新潮流 先駆者精神今こそ 神戸港 世界への150年(3)”. 日本経済新聞 電子版 (2017年5月18日). 2019年12月22日閲覧。

関連項目

新港地区 - 神戸税関、
旧国立生糸検査所旧神戸市立生糸検査所新港貿易会館

旅客船 - 高速船、フェリー、クルーズ客船レストラン船遊覧船

交通 - 神戸フェリーバス神戸新交通神戸空港

歴史 - 日宋貿易大輪田泊条約港ボート・トレイン兵庫関兵庫城

地理 - 和田岬瀬戸内海、明石海峡、大阪湾

人物 - 尾崎睦宮崎毅

港湾職業能力開発短期大学校神戸校

メガターミナルオペレーター

ラ・ベルメール - 2007年11月まで神戸中突堤と小豆島坂手港を結んでいた高速船

ヤマト1

三菱重工業神戸造船所

川崎重工業船舶海洋ディビジョン

新神戸ドック

国道174号

神戸市立博物館( ⇒旧居留地の復元模型

兵庫県立歴史博物館( ⇒兵庫津の絵図

兵庫県の観光地

外部リンク.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、神戸港に関連するメディアおよびカテゴリがあります。

国土交通省近畿地方整備局神戸港湾事務所

年表 ?神戸港・築港のあゆみ? - 国交省近畿地方整備局神戸港湾事務所


神戸市みなと総局

震災からの復旧 - 神戸市みなと総局


神戸港埠頭株式会社

神戸港フェリーターミナル

『神戸港』 - コトバンク


日東物流

篠崎倉庫

みなと神戸ポータルサイト

みなとオアシスKOBE










安政五カ国条約による開港五港

函館港 - 横浜港 - 長崎港 - 神戸港 - 新潟港










指定特定重要港湾(スーパー中枢港湾)


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