神戸淡路鳴門自動車道
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2布施畑JCT・IC 阪神高速7号北神戸線
県道65号神戸加古川姫路線5.0-
3垂水JCTE94 第二神明道路北線
阪神高速5号湾岸線8.8-垂水区
垂水IC県道488号長坂垂水線淡路島・鳴門方面出入口
-舞子BS-13.2○
4淡路IC/SA県道157号佐野仁井岩屋線
県道31号福良江井岩屋線
国道28号(現道)20.1○淡路市
4-1淡路北SIC県道157号佐野仁井岩屋線入口のみ
-高速淡路花博BS-22.2×下り線のみ
ジャパンフローラ2000開催中のみ供用
5東浦IC県道460号野島浦線25.5○
-仁井BS-28.8○
6北淡IC県道123号生穂育波線34.3○
-室津PA-35.5
-遠田BS-42.0○
7津名一宮IC県道66号大谷鮎原神代線44.4○
-安乎BS-48.3○洲本市
7-1淡路島中央SIC県道46号洲本五色線(市道経由)52.4○
8洲本IC国道28号(洲本バイパス
県道472号鳥飼浦洲本線56.3○
-緑PA-59.4○南あわじ市
-榎列BS-64.1○
9西淡三原IC県道126号松帆八木線
県道31号福良江井岩屋線65.8
-志知BS-67.4○
-西淡仮出入口 県道477号阿那賀市線うずしおライン)71.81987年10月7日廃止
10淡路島南IC/PA県道25号阿万福良湊線(うずしおライン)74.6○
-鳴門公園口BS-79.8○下り線のみ徳島県
鳴門市
11鳴門北IC県道11号鳴門公園線81.7
-大毛島BS-82.9○
◆BSは上段 下り線、下段 上り線
-高速鳴門BS-85.9○
-鳴門TB-89.0-高松道 鳴門JCT方面のみ
12鳴門IC国道11号吉野川バイパス
E11 高松自動車道

歴史

淡路島本州および四国海峡に橋を架ける構想は第二次世界大戦前から存在し、1914年(大正3年)に地元出身の政治家によって衆議院に架橋建設議案が提出されたこともあったが、当時の日本の架橋技術は未熟であったため、到底実現できるものではなかった[4]

戦後になって、日本の高度経済成長の基盤ともなった国土総合開発の気運の高まりと地元の強力な要請に加え、架橋技術の進歩によって、このルートが具現化された[4]。当時の最先端の架橋技術が駆使され、1985年(昭和60年)に海上交通の難所であった鳴門海峡大鳴門橋が開通。さらに13年後の1998年平成10年)に世界最大の吊橋でもある明石海峡大橋が開通し、それまでに3時間以上かかった神戸 - 徳島間の交通所要時間が約半分の約1時間40分に短縮された[3]。本州と四国が淡路島経由で一本の道路で初めて結ばれたことにより、人々の移動や物資輸送はもとより、文化交流や観光、生活にも大きな役割を果たした[3]
年表東浦IC北側に設置された東経135度(子午線)のモニュメント
(高速バス車内より撮影)

1970年昭和45年)7月 : 本州四国連絡橋公団設立。

1976年(昭和51年)7月2日 : 大鳴門橋の起工式が行われる。

1978年(昭和53年)9月 : 淡路縦貫自動車道の起工式が行われる。

1985年(昭和60年)6月8日 : 津名一宮IC - 洲本ICと、大鳴門橋を含む西淡仮出入口 - 鳴門北ICが開通。

1986年(昭和61年)4月 : 明石海峡大橋の起工式が行われる。

1987年(昭和62年)

5月23日 : 鳴門北IC - 鳴門ICが開通。

8月10日 : 建設省より、「日本の道100選」に設定され、顕彰を受ける[5]

10月8日 : 洲本IC - 西淡仮出入口が開通し、西淡仮出入口が廃止。


1995年平成7年)1月17日 : 阪神・淡路大震災が発生し、地震の影響で明石海峡大橋の全長が1.1 m延びる。

1997年(平成9年)10月 : 津名一宮IC - 洲本ICの4車線化が完了。

1998年(平成10年)4月5日 : 明石海峡大橋を含む垂水JCT - 津名一宮ICが開通し、神戸淡路鳴門自動車道と山陽自動車道をつなぐ三木JCT - 垂水JCTも同時に開通し、全線開通。同時に全線の4車線化(垂水JCT - 淡路IC(明石海峡大橋を挟む区間)は6車線)が完了。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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