神戸ポートアイランド博覧会
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シンボルマーク:創造の世界を表す光・進歩と発展を表す波を抽象的に捉え構成。白地にマリンブルーの配色で6本の光が放射状に伸びる形とし、6本それぞれの先端に波模様をかたどった。

マスコットマーク:人魚を擬人化した男女ペアのキャラクター。

テーマ曲:ゴダイゴポートピア」(作詞:百田直裕 補作詞:奈良橋陽子伊藤アキラ 作曲:タケカワユキヒデ

役員

名誉総裁:鈴木善幸(内閣総理大臣)

テーマ委員会座長:須田勇(神戸大学学長)

テーマ委員:朝比奈隆(大阪音楽大学教授・大阪フィルハーモニー交響楽団指揮者)、石野信一(太陽神戸銀行頭取)、上田篤(大阪大学工学部教授)、梅棹忠夫(国立民族学博物館館長)、尾上久雄(京都大学経済研究所教授)、川添登(建築評論家)、小林公平宝塚歌劇団理事長)、小松左京(作家)、妹尾美智子(神戸市婦人団体協議会専務理事)、陳舜臣(作家)、服部正(神戸市民芸術文化推進会議常任委員・大阪社会事業短期大学教授)、米山俊直(京都大学教養学部助教授)

総合プロデューサー:小林公平

名誉会長:坂井時忠(兵庫県知事)、外島健吉(神戸商工会議所会頭)、光田顕司(神戸新聞社社長)

会長:宮崎辰雄(神戸市長)


会場

会場は神戸新交通ポートアイランド線(ポートライナー)市民広場駅周辺から南公園駅中埠頭駅にかけてであり、跡地はほぼ神戸コンベンションコンプレックスおよび住宅地として利用されている。海のすぐ前に建てられて、世界最大であった観覧車がある神戸ポートピアランドは、この博覧会当時からの遊戯施設域であった。

また、会場では中国から借り受けたジャイアントパンダ2頭が公開されて人気を集めた。神戸市出展のパビリオン「神戸館」及び太陽神戸銀行(現・三井住友銀行)出展の「神戸プラネタリウムシアター」が神戸市立青少年科学館として、印象的なコーヒーカップの形であった「UCCコーヒー館」もUCCコーヒー博物館として改装され、現在もポートライナー南公園駅前に建っている。それらは、神戸コンベンションコンプレックスとともに、当時を偲ばせる数少ない施設である。
テーマソング・CM

「ポートピア'81」のキャンペーンソングとして、ゴダイゴが歌う「ポートピア」が1980年5月1日日本コロムビアからリリースされ、その年末、ゴダイゴは2年連続でNHK紅白歌合戦に出場を果たした。またゴダイゴは博覧会の開催PRを行うテレビCMにも出演した。

この他、1979年8月には大地真央が歌う「ポートピア'81がやってくる/ポートピア'81音頭」がビクターからリリースされ、1980年5月には鎌田英一・高橋キヨ子が歌う「神戸博音頭」、1981年3月には愛唱歌として神戸放送児童合唱団・奈々瀬ひとみ「光る海の城」/神戸放送児童合唱団「ザザザーン・ポートピア」、またポートピアランドのイメージソングとして平尾昌晃秋篠美帆「恋人たちの港」/フォーバイオレッツ「愛のポートピアランド」がレコード化されている。

また松任谷由実が1981年に発表したアルバム昨晩お会いしましょう』の1曲目「タワーサイドメモリー」の歌詞にも、ポートピアを歌った部分がある。

NHKみんなのうた」では1981年4月-5月に放送された「きみはビーナス」(歌:関森れい、J.J.カンパニー)のロケ地にポートピアが使用された。

夏休み直前には国鉄(当時)が当博覧会PRのテレビCMを放映、寅さんシリーズのタコ社長役でお馴染みの太宰久雄が出演し、太宰扮する理髪師と利用客の小学生の少年とのやりとり(太宰「今年の夏休み、どこ行くの?」少年「ポのつくところ!」太宰「えっ、ポーランド!?」)が人気を集めた。
沿革

1974年12月 - 神戸市長(当時)の宮崎辰雄が、国際博覧会開催を含めた理想都市の建設をテーマとしたイベント検討を指示。その後神戸新聞社が博覧会開催を申し入れる
[1]

1975年 - 神戸商工会議所が博覧会開催への関心を示す[1]

1976年 - 神戸経済同友会がポートアイランドの利用案としてメッセと博覧会開催を提言[1]

1978年

2月 - 神戸市が新年度予算に博覧会調査費1000万円を計上し博覧会検討を本格化させる[1][2]

4月1日 - 神戸市が経済局に博覧会開催準備プロジェクトチームを設置[1][2]


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