神戸ポートアイランド博覧会
4月1日 - 神戸市が経済局に博覧会開催準備プロジェクトチームを設置[1][2]。
4月15日 - 神戸市佐野雄一郎助役を本部長、企画・経済・港湾・開発各局長を本部員とする関係部局を集めた開催準備本部を開設[1][2]。
4月25日 - 神戸市・兵庫県・神戸商工会議所・神戸新聞社の提唱4団体による博覧会開催準備委員会を結成、第一回会合開催[2]。
5月19日 - 博覧会開催準備委員会の幹事会第一回会合開催[2]。
6月6日 - 博覧会開催時期を1981年春として合意に達する[2]。
8月8日 - 提唱4団体が1981年春のポートアイランドでの博覧会開催を正式発表。当初は会期2ヶ月余りの計画とした[2]。
8月16日 - 第一回テーマ委員会開催、メインテーマ決定[2]。
9月1日 - 神戸市が博覧会への市民提言を募集開始[2]。
9月8日 - 第2回テーマ委員会にてサブテーマと基本理念を決定[2]。
9月20日 - ポートアイランドでの博覧会計画の正式名称を「神戸ポートアイランド博覧会」に決定[2]。
12月19日 - 博覧会愛称を「ポートピア'81」に決定[2]。
12月13日 - 基本構想発表[2]。
1979年
1月11日 - 出展勧誘を開始[2]。
1月23日 - 神戸ポートアイランド博覧会協会設立、シンボルマーク決定[2]。
3月1日 - さんちかタウンに残り日数を表示するデジタルカウンターを設置。その後そごう神戸店、阪急百貨店本店・河原町店、神戸国際会館屋上にもカウンターを設置。
3月20日 - 会期を3月20日 - 9月15日への拡大を決定、入場者予測450万人とする[2]。
4月19日 - マスコットマーク決定[2]。
5月10日 - 博覧会協会を財団法人に改組、第一次財政計画を決定し約74億円規模とする[2]。
5月16日?8月14日 - テーマソング歌詞を募集、新井満・荒巻保子・ゴダイゴ・小林公平が審査。
5月24日 - 神戸市議会がポートアイランド博覧会に関する実行委員会を設置、その後一般規則や特別規則・基準を決定[2]。
6月1日 - 出展館申し込み開始[2]。
6月4日 - 出展館申し込み第1号として川崎製鉄グループが申し込む[2]。
7月7日 - 第2回理事会にて略称を「神戸博」に決定[2]。
7月30日 - 博覧会基本計画決定[2]。
10月8日 - 入場料金・開場時間・展示館敷地割り・第二次財政計画(156億円)を決定[2]。
11月3日 - 神戸市中央体育館にてテーマソング「ポートピア」を発表[2]。
12月4日 - 外国出展第一号としてアラブ首長国連邦が申し込む[2]。
12月8日 - レジャーランド施設の運営者を阪急電鉄に決定[2]。
1980年
1月23日 - レジャーランド「神戸ポートピアランド」・市民広場を着工[2]。
3月13日 - 天津市からジャイアントパンダの出展が決定[2]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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