戦国時代には北条早雲が相模・伊豆を切り取り、日本最初の戦国大名となる。その後5代続いた後北条氏の拠点である小田原は隆盛を誇り、関東制覇に邁進した。当時の小田原城下の発展は西の山口に対し、東の小田原とまで言われた。日本最初の上水道も、この時代に整備された。しかし豊臣秀吉の快進撃の前に降伏を余儀なくされ、戦国大名としての北条氏は断絶に至った。秀吉の全国制覇の際、北条氏の領土は徳川家康に移り、家康は拠点を小田原から江戸に移した。その後江戸時代には江戸幕府の置かれた江戸への交通路として東海道が整備され、東京湾沿岸部の開発が進んだ。県域には幕府直轄の代官支配地と旗本・御家人の所領が多く配された。江戸時代中期以降、県域内に本拠を置いた大名領(藩)は西部の小田原藩(小田原市)及び規模の小さい2藩(荻野山中藩(厚木市中荻野)、武蔵金沢藩(六浦藩、横浜市金沢区))のみであるが、一方で県域外に本拠を置く大名の飛地領が多く置かれ(烏山藩(栃木県那須烏山市)、佐倉藩(千葉県佐倉市)、西大平藩(愛知県岡崎市)など)、県域内の支配はモザイク状に細分されていた。幕末には横浜港が開港され、明治時代に入ると東京湾沿岸部を中心として発展した。
戦前・戦後を通じて、京浜工業地帯周辺における商工業の発展と東京一極集中に伴うベッドタウン化などにより人口も増加したため、県内には過疎地域自立促進特別措置法によって指定された過疎地域が長らく存在しなかった。しかし、2017年3月31日付で足柄下郡真鶴町が過疎地域に指定された[8]。また、後述(#人口)のように横須賀市や小田原市、三浦市など人口の停滞ないし減少が顕著な地域もあり、また足柄上地域などに中山間地域を抱えている点に他都道府県と変わりはない。 県名は東海道筋に古くから栄えた宿場町である神奈川宿(現・横浜市神奈川区)、および幕末に戸部町(現・横浜市西区紅葉ケ丘)に置かれた神奈川奉行所に由来する[9]。これら「神奈川」の由来は、京急本線京急東神奈川駅近くに流れていた長さ300メートルほどの小川の名前からで、現在は道路になっている[10]。日米修好通商条約により、本来は神奈川湊が開港する予定であったが、実際は当時漁村であった横浜村(現・横浜市中区)が横浜港として開港した。
名称
地理.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}川崎市相模原市山北町南足柄市小田原市松
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