神奈川新聞(かながわしんぶん、英語: Kanagawa Shimbun、もしくはTHE KANAGAWA)は、神奈川県の地方新聞。神奈川新聞社が編集・発行する新聞である。日本ABC協会の新聞発行社レポートによると、発行部数は約13万6千部(2022年9月時点)。県内の新聞シェアの7-8%を占め、読売新聞・朝日新聞・日経新聞の全国紙3紙に次ぐ県内4位の購読者数を持つ[2]。 1890年(明治23年)2月1日創刊。朝刊のみ発行。定価は1部売り140円、月極め3,500円、神奈川県外は5,120円。全国ニュースや経済ニュース、国際ニュースは共同通信社の配信を受けたものを掲載。また、地方新聞として、地域ニュースの掲載にも重点を置いている。とりわけ、スポーツ欄は「かながわスポーツ」と題し、プロ野球・横浜DeNAベイスターズやサッカー・Jリーグ、高校野球の地区予選などを中心にスポーツ新聞並みの紙面構成を行っている。 日曜日掲載の日曜版「木もれ日」では直木賞作家角田光代、芥川賞作家藤沢周をはじめとした各ジャンルの有名作家がリレー連載を務める。 神奈川県内でのシェアは、読売新聞、朝日新聞、日本経済新聞に次いで第4位。三浦半島地域の横須賀市や三浦市、県西部の平塚市や秦野市、郡部では県平均を上回っているが、県庁所在地の横浜市で7%程度、東京に隣接する川崎市や相模原市では、2%?4%程度とかなり読者が少ない[2]。 神奈川県内の朝日新聞、読売新聞、毎日新聞の新聞販売店が取り扱っており、契約時に配達する販売店を選択できる[3]。埼玉新聞や千葉日報と違い販売店の扱う割り当てを公表をしているので、スーパーマーケットなどのチラシが折り込まれる。東京都内では、町田市内の一部地域で宅配購読が可能なほか、JR・小田急町田駅の駅売店、株式会社全販(東京都千代田区)の1F受付カウンターでも即売している[4]。 言論の自由を守り 真実・公正な報道を貫き
概要
社是
地域社会とともに 明るい未来の創造を目指す[5]
企業理念
新聞を核にした情報の拠点として発展を目指します
進取・創造の気概をもって豊かな21世紀づくりに寄与します
県民・読者のパートナーとして温もりあるコミュニティーを創ります[5]
沿革
1890年(明治23年)
2月1日 - 横浜貿易新聞創刊[6]
5月1日 - 本社を横浜市南仲通4-61へ移転
1900年(明治33年)
1月1日 - 横浜貿易新聞創刊3000号を達成
1904年(明治37年)
6月19日 - 横浜新報と合併し、横浜新報に改題して本社を中区本町6-86へ移転
7月1日 - 貿易新報に改題
1906年(明治39年)
12月3日 - 横浜貿易新報に改題[7]
1907年(明治40年)
1ページ7段組から8段組へ、3色刷り輪転機、貿易式新活字導入、紙面建て6ページから8ページへ増紙
1922年(大正11年)
12月-社屋を鉄筋4F建てに改築
1923年(大正12年)
9月1日 - 関東大震災により4F建横浜貿易新報本社倒壊
1927年(昭和2年)
新社屋横浜貿易新報ビル(3F建て敷地面積220u)が本町6丁目に完成
1938年(昭和13年)
5月 - 本社を中区本町5-49本町ビルに移転
1939年(昭和14年)
6月7日 - 本社をダンスホール「オリエンタル」(中区住吉町1-2)跡地へ移転(マリノ二式輪転機2台、延べ床面積826.5u木造モルタル2F建て社屋)
1940年(昭和15年)
12月13日 - 横浜新報(横浜経済日報が改題)と横浜毎日新聞が合併し神奈川県新聞に改題
1942年(昭和17年)
2月1日 - 神奈川日日新聞と合併し神奈川新聞に改題
1945年(昭和20年)
5月29日 - 横浜大空襲で本社(中区住吉町1-2)焼失、10月末まで「持分合同」で朝日新聞が代替発行、6月5日頃までは号外発行
11月1日 - 疎開工場(南区宮元町)を復旧して自力復刊(2ページペラ即売)
11月7日- 投稿欄「自由の声」スタート
1946年(昭和21年)
1月15日 - 朝日新聞社と資本提携(2009年6月まで)