言論の自由を守り 真実・公正な報道を貫き
地域社会とともに 明るい未来の創造を目指す[5]
企業理念
新聞を核にした情報の拠点として発展を目指します
進取・創造の気概をもって豊かな21世紀づくりに寄与します
県民・読者のパートナーとして温もりあるコミュニティーを創ります[5]
沿革
1890年(明治23年)
2月1日 - 横浜貿易新聞創刊[6]
5月1日 - 本社を横浜市南仲通4-61へ移転
1900年(明治33年)
1月1日 - 横浜貿易新聞創刊3000号を達成
1904年(明治37年)
6月19日 - 横浜新報と合併し、横浜新報に改題して本社を中区本町6-86へ移転
7月1日 - 貿易新報に改題
1906年(明治39年)
12月3日 - 横浜貿易新報に改題[7]
1907年(明治40年)
1ページ7段組から8段組へ、3色刷り輪転機、貿易式新活字導入、紙面建て6ページから8ページへ増紙
1922年(大正11年)
12月-社屋を鉄筋4F建てに改築
1923年(大正12年)
9月1日 - 関東大震災により4F建横浜貿易新報本社倒壊
1927年(昭和2年)
新社屋横浜貿易新報ビル(3F建て敷地面積220u)が本町6丁目に完成
1938年(昭和13年)
5月 - 本社を中区本町5-49本町ビルに移転
1939年(昭和14年)
6月7日 - 本社をダンスホール「オリエンタル」(中区住吉町1-2)跡地へ移転(マリノ二式輪転機2台、延べ床面積826.5u木造モルタル2F建て社屋)
1940年(昭和15年)
12月13日 - 横浜新報(横浜経済日報が改題)と横浜毎日新聞が合併し神奈川県新聞に改題
1942年(昭和17年)
2月1日 - 神奈川日日新聞と合併し神奈川新聞に改題
1945年(昭和20年)
5月29日 - 横浜大空襲で本社(中区住吉町1-2)焼失、10月末まで「持分合同」で朝日新聞が代替発行、6月5日頃までは号外発行
11月1日 - 疎開工場(南区宮元町)を復旧して自力復刊(2ページペラ即売)
11月7日- 投稿欄「自由の声」スタート
1946年(昭和21年)
1月15日 - 朝日新聞社と資本提携(2009年6月まで)
12月 - 本社を横浜市中区尾上町6-81の朝日ビル賃貸、隣接地(330.6u)に毎時10万部の電光式高速輪転機1台設置の神奈川新聞工場完成(木造2F建て、本社・工場一体化3支局10通信部)資本金4.5万から30万(朝日新聞20万・神奈川新聞10万)に増資
1947年(昭和22年)
8月11日 - 1面コラム「照明灯」スタート
1948年(昭和23年)
週1回紙面建て4ページ、1ページ16段組から17段組、全県1版制を2版制にし資本金30万から180万へ増資
1951年(昭和26年)
1ページ17段組から15段組へ、2月より紙面建て月14回4ページ、9月より隔日4ページへ増紙
中学校・高等学校新聞コンクール
1952年(昭和27年)
朝日・毎日・読売3社専売店オール取引、紙面建て4ページへ増紙(日曜日付6ページ)北相版、横須賀湘南版、川崎横浜市内版の3地区版制スタート
11月3日 - 第1回神奈川文化賞・スポーツ賞贈呈式
1956年(昭和31年)
12月11日 - 失火で工場焼失、休刊せずに朝日新聞・東タイ印刷で印刷
1957年(昭和32年)
1月2日 - 自社印刷復刊、紙面建て6ページへ増紙
8月15日 - 本社・工場を旧十五銀行横浜支店に改修・移転(鉄筋4F建て延べ床面積3,000u)5地区版スタート
1959年(昭和34年)
4月 - 紙面建て8ページへ増紙
12月 - ラジオ関東(のちのラジオ日本)経営参加、神奈川新聞ニュース提供(2003年9月まで)
1962年(昭和37年)
「日刊新聞発祥の地」記念碑建立(中区北仲通の横浜生糸検査所構内)
1964年(昭和39年)
社屋裏(弁天通り側)に新印刷工場完成
1967年(昭和42年)
8月 - 輪転機2台増設して4台連結、紙面建て10ページへ増紙
1968年(昭和43年)
3月 - 紙面建て12ページへ増紙
1970年(昭和45年)
1月5日 - 創刊10,000号を達成
7月 - 紙面建て14ページへ増紙
識者随筆「週言」スタート
1971年(昭和46年)
6月5日 - 新館完成(3F?5Fを増築)、全国新聞界の先端を切って第1次CTSスタート
1972年(昭和47年)
4月1日 - TVK開局、数人出向
1976年(昭和51年)
やまゆり杯・小田急旗急奪神奈川県家庭婦人バレーボール大会
1984年(昭和59年)
神奈川工業技術開発大賞
1985年(昭和60年)
オフセット印刷工場(別館)完成
かながわ音楽コンクール
1986年(昭和61年)
7月 - カラー印刷開始、神奈川新聞題字変更
8月 - 第1回神奈川新聞花火大会@山下公園前海上(1995年第10回からみなとみらい前海上に、2016年第31回をもって休止)
1988年(昭和63年)
神奈川書家三十人展
1989年(平成元年)
11月 - かなしんオフセット(綾瀬センター)設立、第2次CTSへ("地方紙では関東地方最大規模"敷地面積6,400u地上5F一部地下1F延べ床面積10,000u 1F?3F輪転機群)
12月 - 新オフセット輪転機ゴス社製メトロライナ(32ページ4個面カラー印刷可能)
1990年(平成2年)
紙面の割り付け(レイアウト)を全てデジタル化したコンピューターシステム「かもめシステム」導入-拡大文字「K字」1ページ15段組1段13字詰めから12字詰め行数73行
1991年(平成3年)
電光ニュース(屋外文字放送)県内13箇所設置
よこはま国際ちびっこ駅伝