祇園祭
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寄町一覧(【】内は山鉾町)[37]

長刀鉾【四条烏丸東入ル長刀鉾町】堀之内町・立売西町・童侍者町・水銀屋町・松原中ノ町・坂東屋町・姥柳町(7ヶ町)

函谷鉾【四条烏丸西入ル凾谷鉾町】貞安前町・葛籠屋町・高辻尻町・蓮池町・四条通烏丸西北角家(4ヶ町・1軒)

鶏鉾【室町四条下ル鶏鉾町】三条油小路町・大東町・菊屋町・木ノ下町・三条西洞院町・元妙願寺町・柳町・錦堀川町・同町西側・上八文字町・下八文字町・塚本町・元水町・下山崎町・山崎町・四坊堀川町・月鉾町角家(18ヶ町・1軒)

菊水鉾【室町四条上ル菊水鉾町】二条油小路町・押小路油小路町・式阿弥町・矢幡町・中保利町・高宮町・御所八幡町・東八幡町・御池大東町・雁金町・四条坊門油屋町・蛸屋町・西魚屋町・中魚屋町・東魚屋町・鍛冶屋町・高辻雁金町・饅頭屋町・四条室町角家東側・同西側・室町錦小路角家東側・同西側(18ヶ町・4軒)

月鉾【四条室町西入ル月鉾町】小島町・元竹田町・御射山町・道祐町・甲屋町・相之町・永原町・仏光寺町・吉文字町・杉屋町・三文字町・菊水鉾町の内3所・鶏鉾町の内2軒・新町四条東入上ル観音堂図子(14ヶ町)

放下鉾【新町四条上ル小結棚町】三条大宮町・六角大宮町・四条坊門大宮町・車屋町・鍛冶屋町・姉西堀川町・上金仏町・下金仏町・橘町・新町通四条上ル東入観音堂図子・東天神山町角家・郭巨山町角家・錦小路町角家(10ヶ町・3軒)

船鉾【新町綾小路下ル船鉾町(旧称:南北袋屋町)】大橋町・大橋二丁目・三条坊門西側・同東側・六角堀川町・六角越後町・越後突抜町・四条堀川町東側・同西側・綾小路堀川町西側・吉水町東側・同西側・きよし寺の町(一道院)・来迎堂町(13ヶ町)

岩戸山【新町仏光寺下ル岩戸山町】薬師前町・玉津島町・中野之町・薮下町・御影町・糸屋町・徳屋町・南岩戸山町(8ヶ町)

綾傘鉾【綾小路新町東入ル善長寺町】(寄町なし)

四条傘鉾【四条西洞院西入ル傘鉾町】(寄町なし)

保昌山【東洞院松原上ル燈籠町】本燈籠町・稲荷町・杉屋町・不動町・京極町・高材木町・竹屋町(8ヶ町)

孟宗山【烏丸四条上ル笋町】十文字町・瀬戸屋町・鍵屋町・恵美須屋町・恵美須之町・夕顔町・中之町(7ヶ町)

占出山【錦小路室町東入ル占出山町】奈良物町・立売東之町・立売西之町・烏丸通錦小路西南角家・室町通錦小路東北角家(3ヶ町・2軒)

山伏山【室町蛸薬師下ル山伏山町】西押小路町・左京町・竹屋町・瓦町・海老屋町・伊勢屋町・船屋町・大日町(8ヶ町)

霰天神山【錦小路室町西入ル天神山町】(寄町なし)

郭巨山【四条西洞院東入ル郭巨山町】膏薬図子北半・炭座図子(2ヶ町)

伯牙山【綾小路新町西入ル矢田町】膏薬図子南半・筋屋町・八文字町・俵屋町・鍋屋町(5ヶ町)

芦刈山【綾小路西洞院西入ル芦刈山町】東井ノ本町・西井ノ本町・高野堂町・要法寺町・北妙満寺町・南妙満寺町・佐竹町・今大黒町・丸屋町・綾小路通西洞院北西角家・同南西角・杉蛭子町(10ヶ町・2軒)

油天神山【油小路綾小路下ル風早町】四条大宮町・綾小路大宮町・塩屋町・松町・天道町・要法寺町・藤岡町・井之元町角家(7ヶ町・1軒)

木賊山【仏光寺西洞院西入ル木賊山町】枡屋町・橘町・富永町・晒屋町・喜吉町・松原通堀川西入北側大宮まで二町(6ヶ町)

太子山【油小路仏光寺下ル太子山町】荒神町・雁金町・高猪熊町・十文字町・針屋町・蔵屋町・舟屋町・天使之町・菊屋町(9ヶ町)

白楽天山【室町綾小路下ル白楽天山町】神明町・材木町・塩屋町・足袋屋町・糸屋町角家(4ヶ町・1軒)

蟷螂山【西洞院四条上ル蟷螂山町】妙伝寺町・不動町・尻切屋町・西洞院通四条西北角家・町内外郎屋敷(3ヶ町・2軒)

北観音山【新町六角下ル六角町】橘町・鶴屋町・二王門町・大黒町・二条殿町地尻・新町通六角乾の角桑原の辻(5ヶ町・2所)

南観音山【新町錦小路上ル百足屋町】大文字町・高宮町・骨屋町・朝倉町・福長町・松下町・守山町・俵屋町(8ヶ町)

大船鉾【新町四条下ル四条町】船屋町・虎石町・松屋町南側・観音町・笹屋町・等持寺町・帯屋町・貝屋町・四条通新町南西角家(8ヶ町・1軒)

橋弁慶山【蛸薬師室町東入ル橋弁慶山町】七観音町・竹之坊町(西錦小路町)・一蓮社町(3ヶ町)

鯉山【室町六角下ル鯉山町】千切屋町・堀之上町・大黒町・八百屋町・井筒屋町(5ヶ町)

浄妙山【六角烏丸西入ル骨屋町】衣棚突抜町・長浜町・下妙覚寺町・上妙覚寺町・釜座突抜町・津軽町・下松屋町・上松屋町・古西町・空也町(10ヶ町)

黒主山【室町三条下ル烏帽子屋町】槌屋町・油屋町・八幡町・大坂材木町・枡屋町・弁慶石町・高田町・鍵屋町(8ヶ町)

役行者山【室町三条上ル役行者町】円福寺町・石橋町・両替町・森下町・元本能寺町・西堂町・猩々町(7ヶ町)

鈴鹿山【烏丸三条上ル場之町】尾張町・上白山町・中白山町・下白山町・白壁町・堺町・町頭町・中之町西側・神明町・両替町・曇花院殿町・三条梅忠町角家(11ヶ町・1軒)

八幡山【新町三条下ル三条町】玉蔵町(1ヶ町)

布袋山【蛸薬師通新町東入ル姥柳町】(寄町なし、姥柳町自体が長刀鉾の寄町となる)

鷹山【三条通室町西入ル衣棚町】衣棚南町・釜座町・天性寺町・下本能寺町・上本能寺町・妙満寺町・丸屋町・大文字町・亀屋町(御幸町通の亀屋町)・山本町・三条通新町東南角家・同東北角家(10ヶ町・2軒)。他に本能寺町・南本能寺町・池須町・六角油小路町が衣棚南町の寄町で、富井康夫(1971)はこれを枝寄町[38]と名付けた。これを含めると(14ヶ町・2軒)

稚児

祇園祭には稚児が参加する。

長刀鉾の稚児(山鉾巡行)

長刀鉾の稚児(稚児社参)

久世駒形稚児

綾傘鉾の稚児

長刀鉾の稚児

現在では唯一、生身の稚児(生稚児)が乗る。かつては船鉾・大船鉾を除く全ての鉾に10歳前後の少年が稚児として乗っていたが、現在は長刀鉾以外は人形になっている。

諸行事の一行の食事代やハイヤー代、各所への心付けやお供えなどの諸費用は、禿の分も含めて全て稚児を出した家の負担とされているため、2000万円ともいわれる費用がかかり、かつ稚児の自宅に神事を行うための床の間があることが条件となる。そのため、京都市内の資産家等の家庭から禿(かむろ)と呼ばれる家来役の少年2名と共に選ばれ、祭りの年の6月頃に発表される。非常に費用が掛かり誰でも稚児になることが困難であるため、祭や伝統行事の維持に協力的な資産家に役割が集中し、稚児の親も何十年も前に稚児であったり、兄弟が数年をおいて稚児になったりする例がある。このような例は葵祭の斎王代役にも見られる。禿は稚児を出した家が決めることもできるため、多くが稚児の友人か兄弟である。かつては長刀鉾町の町内から稚児は選ばれたが、現在は大抵町外の資産家の子息[39]であるため、6月下旬に形式的に町内の代表と養子縁組をする。また、7月1日の祭の開始に向けて、各所への挨拶回り、作法や儀式の学習、稚児舞や乗馬の練習などが開始される。衣装類は正式な発表時には揃えられているといわれる。

7月1日の「お千度」(おせんど)を皮切りに数多くの行事に舞台化粧と同様の白塗り化粧で登場、7月13日午前中の「稚児社参」では狩衣に金の烏帽子で登場、「正五位少将」・十万石大名の位を授かる。これは高い鉾の上から貴人を見下ろしても不遜にならないようにするためといわれる。これ以降は神の使いとされ、食事の用意などに女子の手を一切借りず、食事も他の人とは別の火で作ったものを摂る。また、公式には地面を一切歩かないことになっており、公式行事の際には人前では絶対に地上を歩かない。巡行当日に長刀鉾に乗降する際は男性の肩に乗せられて長刀鉾に取り付けられた梯子で乗降する。そのため、あまり肥満していないことも稚児の条件となる。ただし、14日の古式一里塚松飾式(中之町御供)は八坂神社側の公式行事でないため、稚児・禿は和装ではあるが無冠かつ薄化粧で現れ、かつ稚児社参後であるが地上を歩き、この日から16日まで非公式に八坂神社を参拝するが、この時も薄化粧で地上を歩く。

7月17日の山鉾巡行では金襴の振袖に紋織りの、鳳凰の天冠で登場、禿を両脇に従え、鉾の中央で稚児舞を披露する。巡行後はすぐにハイヤーで八坂神社に向かい、正五位少将・十万石大名の位を返上し、神の使いから普通の少年に戻る。お位返しの儀と呼ばれる儀式である。この際も古式一里塚松飾式と同様の薄化粧・衣装で地上を歩いて本殿に参入する。儀式後に南楼門を出てハイヤーに乗る前に、稚児たちはマスコミからの取材を受けることが通例となっている。
綾傘鉾の稚児

正副6人出る。一般から公募されることが長刀鉾稚児との大きな違いである。長刀鉾の稚児と異なり多額の費用はかからないとされ、数年先まで希望者が決まっているとされる。また、社参と巡行が主な仕事。巡行では各自朱傘を差しかけられ、一列になって囃子方の前を歩く。近世以前の画像資料によっては強力の肩に担われているものも見られるが、現在は終始徒歩で参列する。7月7日の稚児社参の時に「宣状」を受けて神の使いの認証を受ける。
四条傘鉾の稚児

かつては綾傘鉾と同様に稚児が出たが、現在は途絶えている。道中で踊る児童らは傘鉾特有の棒振り囃子をする踊り方であって、稚児ではない。
久世駒形稚児

綾戸国中神社(南区久世上久世町)の氏子から毎年2人が選ばれる。8歳前後の少年から選ばれる。こちらも、舞台化粧と同様の白塗り化粧で登場、額に黒と白の点を付ける。

7月13日午後の「稚児社参」では2名揃って白の狩衣に紫紋入りの括り、金の烏帽子で登場する。

神幸祭・還幸祭では1名ずつ登場、衣装は同じだが稚児天冠を被り、胸に国中神社の御神体である木彫りの馬の首(駒形)を胸に掛け、馬に乗って素戔嗚尊(すさのおのみこと)の和御魂(にぎみたま)が鎮まる中御座神輿(なかござみこし)の先導を務める。

神幸祭に先立ち八坂神社で行われる神事により駒形稚児は素戔嗚尊の荒御魂(あらみたま)の鎮まる御神体と一体となり、稚児自身が神の化身として役目を終えるまで一切地に足を着けずに務める(長刀鉾の稚児や綾傘鉾の稚児は神の使いであり、化身ではない)。通常は神社の境内では長刀鉾の稚児はもとより皇族であっても下馬しなければならない(皇族下馬)が、久世駒形稚児は八坂神社境内に入っても下馬せず騎馬のまま本殿に乗りつける。
馬長稚児

お迎え提灯と花傘巡行には白塗り化粧をしてカラフルな水干を着た少年3名が馬長稚児(うまおさちご)として馬に乗って登場する。
各種の古典芸能

祇園祭の中では様々な古典芸能も上演される。
鷺舞

鷺舞(さぎまい)は白絹の羽を纏い、雌雄の鷺に扮した成人男性の舞い手2人が囃子に合わせて優雅に舞い踊る郷土芸能。約600年前に存在した「笠鷺鉾」の周りで舞われていたが、江戸時代中期に途絶えた。1956年(昭和31年)に鷺舞保存会が、祇園祭の鷺舞を伝えていた島根県津和野町から舞を逆輸入して復活させ、経費を氏子組織(清々講社)が負担して八坂神社境内で奉納されていた。鷺舞は山口市潟上市にもある。


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