祇園祭には稚児が参加する。 現在では唯一、生身の稚児(生稚児)が乗る。かつては船鉾・大船鉾を除く全ての鉾に10歳前後の少年が稚児として乗っていたが、現在は長刀鉾以外は人形になっている。 諸行事の一行の食事代やハイヤー代、各所への心付けやお供えなどの諸費用は、禿の分も含めて全て稚児を出した家の負担とされているため、2000万円ともいわれる費用がかかり、かつ稚児の自宅に神事を行うための床の間があることが条件となる。そのため、京都市内の資産家等の家庭から禿(かむろ)と呼ばれる家来役の少年2名と共に選ばれ、祭りの年の6月頃に発表される。非常に費用が掛かり誰でも稚児になることが困難であるため、祭や伝統行事の維持に協力的な資産家に役割が集中し、稚児の親も何十年も前に稚児であったり、兄弟が数年をおいて稚児になったりする例がある。このような例は葵祭の斎王代役にも見られる。禿は稚児を出した家が決めることもできるため、多くが稚児の友人か兄弟である。かつては長刀鉾町の町内から稚児は選ばれたが、現在は大抵町外の資産家の子息[39]であるため、6月下旬に形式的に町内の代表と養子縁組をする。また、7月1日の祭の開始に向けて、各所への挨拶回り、作法や儀式の学習、稚児舞や乗馬の練習などが開始される。衣装類は正式な発表時には揃えられているといわれる。 7月1日の「お千度」(おせんど)を皮切りに数多くの行事に舞台化粧と同様の白塗り化粧で登場、7月13日午前中の「稚児社参」では狩衣に金の烏帽子で登場、「正五位少将」・十万石大名の位を授かる。これは高い鉾の上から貴人を見下ろしても不遜にならないようにするためといわれる。これ以降は神の使いとされ、食事の用意などに女子の手を一切借りず、食事も他の人とは別の火で作ったものを摂る。また、公式には地面を一切歩かないことになっており、公式行事の際には人前では絶対に地上を歩かない。巡行当日に長刀鉾に乗降する際は男性の肩に乗せられて長刀鉾に取り付けられた梯子で乗降する。そのため、あまり肥満していないことも稚児の条件となる。ただし、14日の古式一里塚松飾式(中之町御供)は八坂神社側の公式行事でないため、稚児・禿は和装ではあるが無冠かつ薄化粧で現れ、かつ稚児社参後であるが地上を歩き、この日から16日まで非公式に八坂神社を参拝するが、この時も薄化粧で地上を歩く。 7月17日の山鉾巡行では金襴の振袖に紋織りの袴、鳳凰の天冠で登場、禿を両脇に従え、鉾の中央で稚児舞を披露する。巡行後はすぐにハイヤーで八坂神社に向かい、正五位少将・十万石大名の位を返上し、神の使いから普通の少年に戻る。お位返しの儀と呼ばれる儀式である。この際も古式一里塚松飾式と同様の薄化粧・衣装で地上を歩いて本殿に参入する。儀式後に南楼門を出てハイヤーに乗る前に、稚児たちはマスコミからの取材を受けることが通例となっている。 正副6人出る。一般から公募されることが長刀鉾稚児との大きな違いである。長刀鉾の稚児と異なり多額の費用はかからないとされ、数年先まで希望者が決まっているとされる。また、社参と巡行が主な仕事。巡行では各自朱傘を差しかけられ、一列になって囃子方の前を歩く。近世以前の画像資料によっては強力の肩に担われているものも見られるが、現在は終始徒歩で参列する。7月7日の稚児社参の時に「宣状」を受けて神の使いの認証を受ける。 かつては綾傘鉾と同様に稚児が出たが、現在は途絶えている。道中で踊る児童らは傘鉾特有の棒振り囃子をする踊り方であって、稚児ではない。 綾戸国中神社(南区久世上久世町)の氏子から毎年2人が選ばれる。8歳前後の少年から選ばれる。こちらも、舞台化粧と同様の白塗り化粧で登場、額に黒と白の点を付ける。 7月13日午後の「稚児社参」では2名揃って白の狩衣に紫紋入りの括り袴、金の烏帽子で登場する。 神幸祭・還幸祭では1名ずつ登場、衣装は同じだが稚児天冠を被り、胸に国中神社の御神体である木彫りの馬の首(駒形)を胸に掛け、馬に乗って素戔嗚尊(すさのおのみこと)の和御魂(にぎみたま)が鎮まる中御座神輿(なかござみこし)の先導を務める。 神幸祭に先立ち八坂神社で行われる神事により駒形稚児は素戔嗚尊の荒御魂(あらみたま)の鎮まる御神体と一体となり、稚児自身が神の化身として役目を終えるまで一切地に足を着けずに務める(長刀鉾の稚児や綾傘鉾の稚児は神の使いであり、化身ではない)。通常は神社の境内では長刀鉾の稚児はもとより皇族であっても下馬しなければならない(皇族下馬)が、久世駒形稚児は八坂神社境内に入っても下馬せず騎馬のまま本殿に乗りつける。 お迎え提灯と花傘巡行には白塗り化粧をしてカラフルな水干を着た少年3名が馬長稚児(うまおさちご)として馬に乗って登場する。 祇園祭の中では様々な古典芸能も上演される。 鷺舞(さぎまい)は白絹の羽を纏い、雌雄の鷺に扮した成人男性の舞い手2人が囃子に合わせて優雅に舞い踊る郷土芸能。約600年前に存在した「笠鷺鉾」の周りで舞われていたが、江戸時代中期に途絶えた。1956年(昭和31年)に鷺舞保存会が、祇園祭の鷺舞を伝えていた島根県津和野町から舞を逆輸入して復活させ、経費を氏子組織(清々講社)が負担して八坂神社境内で奉納されていた。鷺舞は山口市、潟上市にもある。
長刀鉾の稚児(山鉾巡行)
長刀鉾の稚児(稚児社参)
久世駒形稚児
綾傘鉾の稚児
長刀鉾の稚児
綾傘鉾の稚児
四条傘鉾の稚児
久世駒形稚児
馬長稚児
各種の古典芸能
鷺舞
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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