祇園祭
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伝統文化の継承・維持活動費を募るクラウドファンディングでは約1,600万円の寄付が集まる[20]

2021年 2年連続で新型コロナウイルス(COVID-19)の影響で山鉾巡行や神輿渡御、関連行事や神事の中止や縮小を決定する。ただし、山鉾は一部が技術伝承のため組み立てられ、宵山行事が縮小されながらも行われる。

2022年 3年ぶりに山鉾巡行や神輿渡御を実施。宵山は一部の町会所が一般公開中止になったり、一部の鉾の拝観を中止したりしたが、夜店の出店も含めて開催された。後祭の鷹山が196年ぶりに完全な形で復活した。ただし、お迎え提灯や花傘巡行など、子供の参加が多い行事が中止になったり、神輿洗いを八坂神社境内で行うなどの、神事の中止や縮小があった。

2023年 4年ぶりに完全な形での各行事が行われることになった。辻回しを特等席で観覧できる1席40万円のプレミアム観覧席を設置。後祭のくじ取らずである北観音山と南観音山の巡行順が隔年で交代することになる。花傘巡行のルートが大幅に変更される。

祭礼などの行事が国の重要無形民俗文化財に指定され、それとともに屋台・山鉾などの用具が重要有形民俗文化財に指定されているものは日本全国で5例のみで、その中の一つが祇園祭である。
後祭の復活大船鉾

1965年(昭和40年)まで7月24日に巡行を行っていた後祭を、大船鉾の再建に合わせて復活させる気運が高まり[21]2012年(平成24年)になって、2014年(平成26年)の巡行から大船鉾を巡行に参加させ、同時に後祭を復活させる方針を決めた。ただし、実際の復活には警察や地元町会等との調整が必要で正式の復活発表が遅れていたが、2013年(平成25年)8月に2014年(平成26年)の巡行から前祭の23基と後祭の10基に分かれて宵山や巡行を別日程で行うことになった[22]

巡行コースは現在の巡行コースの逆ルートとなった。これは、かつての後祭のコースが三条烏丸をスタートして、三条寺町から寺町通を南下し、四条寺町から四条通を西行し、四条烏丸で解散するという時計回りのルートであったことに倣ったものである(そのために、後祭の南北に走る通りに建てられる山は北を正面にして山を建てる。前祭と合同巡行の2013年(平成25年)までは、曳山は四条通まで一旦バックしていた)。現在の三条通や寺町通は曳山の巡行が不可能な構造である(低い位置に電線が通っていたり、アーケードがあったりする)ため、既に巡行に対応済みの現在のルートを使用することになったが、将来的には三条通の巡行を検討する。

山鉾の飾り付けは先祭と同様に宵々々山から開始するが、前祭同様その前日夕刻から飾り付けを開始する山鉾もある。有料観覧席は前祭は寺町御池から新町御池に至るまで設置されるが、後祭では京都市役所前に相当する河原町御池から寺町御池の間だけに設置される。ただ、この区間は山鉾巡行に引き続き花傘巡行が観覧できる場所である。寺町御池から河原町御池から四条河原町の間は山鉾巡行のコースと花傘巡行のコースが重複しており、両方の巡行が一度に観覧できる。

後祭の復活は、祭を本来の姿に戻すという意味のほか、多くの問題の解決策という面もある。山鉾の復興が進んで33基にまで増加した山鉾の巡行は、最後の鉾が解散地点である御池新町交差点に到着するのが13時30分前後までかかり、交通規制が長時間になったことや、先頭から最後までの山鉾を全部見ると2時間を越え、後祭巡行列が来る頃には有料観覧席に空席が目立つようになるなどの弊害が目立っていた。宵山期間の人出の多さも問題となっており、後祭の日程追加により人出の分散が期待された。ただ、2014年(平成26年)の前祭巡行は前年度の山鉾巡行よりも9基も山鉾の数が減ったのに、巡行の終了は逆に20分増加した。また、宵山期間の人出も14日(宵々々山)の露店出店・歩行者天国を中止したところ、7月14日の人出は半分以下の8万6000人になり、7月15日・16日に人出が集中した。特に7月16日(宵山)は前年の27万人の人出から34万人へと大幅に増加するなど、課題を多く残した。

後祭の2014年(平成26年)の人出は21日から23日までの宵山期間の人出はそれぞれ4万人・2万人・5万人で、前祭に比べればかなり少なかったが、落ち着いた雰囲気を評価する声も多かった。巡行は前祭の11万人に対し後祭は6万人を集め、前祭の半分以下の規模であることを考慮するとまずまずの集客であった。しかし、2015年(平成27年)の後祭宵山期間は台風の通過や曜日配列に恵まれず、21日は7000人、22日は5000人、23日は1万7000人と大幅に減少し、集客面での課題を残した。反面、好天に恵まれた後祭の山鉾巡行は前年と同じ6万人を集め、悪天候だった前祭の山鉾巡行とほぼ変わらない集客となった。3年目となる2016年(平成28年)は、宵山期間は8000人、1万人、2万人と、2年目より少し増加した程度であったが、巡行は日曜日と重なったこともあり、10万人を集めた。

諺で時機を逃して用を成さないことを「後の祭り」という。この語源は異説もあるが、前祭では豪華絢爛な鉾が多数巡行するのに対し、後祭では山鉾の数が少なく小規模であることから、前祭を見逃して残るは後祭しかないような状況を指すようになったという説もある。
日程

旧暦太陰太陽暦)では6月に行われていたが、新暦グレゴリオ暦太陽暦)では7月に行われている。新暦移行後も幾度も日程の変遷があるが、以下に示すものは2014年(平成26年)からの後祭復活後のものである。なお、開始時刻は前後することがある。

時期・日付祭事
6月中旬?下旬

長刀鉾稚児結納(稚児自宅・一般非公開)。稚児役の少年が長刀鉾町の代表者と形式的に養子縁組する。

ここからが祇園祭
7月1日

長刀鉾町稚児お千度(10時・八坂神社)。下記参照。

7月1日から

吉符入(きっぷいり・各山鉾町ごとに日付が異なるが多くは5日までに行われるが、後祭の一部の山は15日以降に行う例もある。多くが一般非公開)。祭りの始まり。各山鉾町関係者が町会所に集まって祭の無事を祈願する。

7月2日

くじ取り式(10時・京都市役所)。下記参照。

山鉾町社参(11時30分・八坂神社)くじ取り式を終えた山鉾町の代表者が八坂神社に向かい本殿でお祓いを受ける。

7月3日

船鉾神面改め(10時・船鉾町町会所・一般非公開)。本面と写し面の2つの神面を出して無事を確認する。

7月4日から9日までの不定日[注釈 4]

みやび会お千度(10時・八坂神社)。京舞井上流家元・井上八千代を筆頭に、祇園甲部芸妓舞妓が揃いの新しい浴衣を着用して本殿を3周した後、本殿でお祓いを受ける。80人ほどの参加であるが、稚児のお千度に習い本殿3周だけで「お千度」とする。浴衣は例年白地に紺色の模様という簡素な柄になる。

7月5日頃の不定日

函谷鉾町龍源寺墓参(宇多野龍源寺・祇園祭の公式な行事ではない)。1872年(明治5年)、旧巡行路を解散後に鉾町に戻る途中、烏丸仏光寺上ルあたりで15歳の少年が粽を拾おうとして鉾に足を轢かれ死亡した。少年側の過失ではあるが、鉾側で補償をし葬儀・墓の費用も出した。以来1回も休まず祇園祭期間に墓参を行い巡行の安全を誓う行事。

7月5日

長刀鉾町稚児舞披露(15時15分 - 30分頃・長刀鉾町町会所)。稚児が長刀鉾町の関係者の前で稚児舞を披露し、これでよい旨の了承が得られると町会所2階の窓を鉾の前面に見立てて、大衆に稚児舞を披露する。

7月7日

綾傘鉾稚児社参・お千度(14時頃から・八坂神社)。長刀鉾町お千度と同様に、正副合わせて6人の稚児が八坂神社で稚児に選ばれたことの奉告を行いう神事の後、関係者を従えて3回本殿を回る「お千度」を行う。また、この時に稚児役の少年は山鉾町と形式的に養子縁組する。

7月10日

神用水清祓式(10時・四条大橋および宮川町堤)。10時に四条大橋からほど近い仲源寺を出発した一行は、四条大橋の上から桶を使って夜の神輿洗いで使う水を鴨川から汲み上げる。6つの桶に神用水を入れ、四条大橋のすぐ南の東岸に作られた祭壇に3つの桶を置いて神事を行ったあと、仲源寺に戻り予備の3つの桶を仲源寺境内に置く。

高橋町社参(11時・八坂神社・神事は非公開)。高橋町は四条麩屋町で長刀鉾稚児が切る注連縄を渡す斎竹を毎年7月15日の早朝に建てる役割を持つ町であるが、町の役員が参拝する。なお、高橋町は四条麩屋町から離れた東洞院高辻上ルにある町であるが、かつて隣町の烏丸通高辻上ルにある大政所町にある大政所御旅所に斎竹を大政所町を含めた3町で建てていたのを、場所が変わった今でも1町だけで建てているものである。

お迎え提灯(16時30分?)。提灯に加え、児武者、鷺踊、小町踊らの子供たちを中心に、各山鉾町からの代表者らも加わり八坂神社から、2013年(平成25年)までの花傘巡行と同一コースを提灯行列を作って巡行する。16時30分に八坂神社を出発し、四条通、河原町通を歩いて、京都市役所前で各種芸能を奉納し、帰りは寺町通りを南下し、御旅所前から四条通経由で八坂神社西門下に19時30分頃戻ったあと、提灯を持って一列に並び神輿洗いに向かう前の神輿を迎える。

神輿洗い(20時頃・四条大橋)。大松明が八坂神社から四条大橋のういだの四条通を清めたあと、3基ある神輿のうち、中御座だけが代表して四条大橋まで行く。朝汲んだ水を榊に含ませて大きく振りかざし、神輿に振り掛けることにより清める(「洗う」訳ではない)。この際榊に含まれた神用水は見物人を含めた周囲の人にも掛かる。飛沫を浴びると厄除けになるという。下記も参照してください

7月10日?12日

前祭の鉾建て(四条通・室町通)。分解収納されていた鉾を組み上げ、懸装を施す。

7月11日?13日

前祭の鉾建て・曳山建て(新町通)

7月11日

鉾の真木の引き起こし(長刀鉾・函谷鉾・鶏鉾・月鉾・菊水鉾)

年・鉾により異なるが、10時ぐらいから15時ぐらいまでの間に順次行われる。

7月12日

前祭の舁山建て(午前)(保昌山・山伏山・芦刈山)

前祭の鉾の曳き初め

14時・函谷鉾(四条通)

14時30分・鶏鉾(室町通)

15時・月鉾と菊水鉾(四条通と室町通)

15時30分・長刀鉾(四条通)

放下鉾の真木の引き起こし。岩戸山の引き起こし。年にもよるが、12時から15時ぐらいの間に行われる。
7月13日

前祭の舁山建て(午前)(占出山・霰天神山・郭巨山・伯牙山・油天神山・木賊山・太子山・白楽天山・蟷螂山)

前祭の傘鉾建て(午前)(綾傘鉾)

長刀鉾稚児社参(11時頃・八坂神社)。下記の稚児社参及び長刀鉾の稚児も参照。

前祭の舁山の舁き初め - 蟷螂山(12時頃・西洞院通)。

久世駒形稚児社参(14時頃・八坂神社)。下記の稚児社参及び久世駒形稚児も参照。

前祭の鉾・曳山の曳き初め - 放下鉾・船鉾・岩戸山(15時・全て新町通)。

菊水鉾茶会(この日から16日まで・菊水鉾町会所)。この日から一部の山鉾に駒形提灯が取り付けられ、宵々々山と同様の飾り付けや山鉾の拝観が始まる。

7月14日

前祭の舁山建て(午前)(孟宗山)

前祭の傘鉾建て(午前)(四条傘鉾)

前祭・宵々々山。2013年(平成25年)まではこの日から露店が出たが、2014年(平成26年)からは露店が出ず四条通・烏丸通の歩行者天国も実施されない。そのため比較的落ち着いた人出となっている。

中之町御供(古式一里塚松飾式。14時頃・松原中之町町会所・松原中之町八坂神社・行事そのものは非公開・祇園祭の公式な行事ではない)。下記参照。

7月15日

高橋町斎竹建(4時30分・四条麩屋町交差点)。前祭巡行時、長刀鉾稚児が切断する注連縄を渡す竹を建てる。

豊園泉正寺真榊建(9時・洛央小学校)。3つある神輿のうち、主祭神である素盞嗚命を乗せる中御座を先導する「豊園御真榊」を建てる行事。元々3つの神輿全てを「御真榊」が先導しており、この御真榊は元は東御座を先導していた。他の御真榊は廃絶しここだけが現在も残っている。元々は高辻通高倉西入ルにある泉正寺町が出していたが、1町だけで継続するのが難しくなり、1989年(平成元年)から旧・豊園小学校の学区全体で出すことになり、豊園小学校で建てられるようになった。1992年(平成4年)に豊園小学校など5小学校が統合し、豊園小学校の地を使って京都市立洛央小学校となった時に先導する神輿が中御座になった。この日は八坂神社から神職がやって来て清祓を行う行事となっている。


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