祇園祭
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1986年(昭和61年)以降、各山鉾町は順次新住民の保存会加入を認めるようになり、現在では新しく建つマンションの居住者に保存会加入を勧める所が多くなっている[15]。以前多かった呉服商などの減少とそのあとに多く建てられたマンションにより、多くの山鉾町が保存会会員不足から脱している。現在では、四条烏丸交差点に近い長刀鉾、函谷鉾の町内は居住人口がゼロで、孟宗山、鶏鉾の町内も人口が極めて少ないが、最も人口が多い蟷螂山町は相次ぐマンションの建築により、人口が約750人に達している。
第二次世界大戦後の祇園祭

1947年 長刀鉾と月鉾が戦後初めて建てられる。長刀鉾のみ四条寺町までの往復という形での戦後初の巡行を復活させる。

1948年 北観音山と船鉾が戦後初めて建てられ、四条寺町までの往復巡行を行う。

1949年 復活した山鉾が9基になり、戦後初めてくじ取り式を行う。鶏鉾・鯉山の懸装品が重要文化財指定。

1950年 山鉾が16基まで復活し、後祭巡行が戦後初めて行われる。

1952年 当時の全山鉾の巡行が復活する。松本元治の発願により、88年ぶりに菊水鉾が仮鉾で巡行に参加。

1953年 菊水鉾が本鉾で巡行に参加。

1956年 それまで四条烏丸出発、四条寺町で南下、寺町松原で西行していた前祭巡行のコースが、四条寺町で北上、寺町御池で西行し、烏丸御池で解散するコースに変更される。初めて御池通に有料観覧席が設置される。

1958年 この頃から、八坂神社舞殿で壬生六斎念仏講中により、綾傘鉾ゆかりの棒振り囃子を奉納。

1960年 町会所が借金トラブルで人手に渡った岩戸山が、蔵から山の部材を出す許可を新所有者から得られず、この年から2年間祭に参加できなくなる。

1961年 前祭のコースが四条河原町で北上、河原町御池で西行のコースに変更される。

1962年5月23日 山鉾29基が
重要有形民俗文化財に指定される。京阪神急行電鉄の地下線延伸工事のため、四条通の山鉾の通行が困難となったため、宵山は行われたが、この年の巡行は中止される[16]。この年以降、直近の2019年まで大雨の日を含めて山鉾巡行は毎年中止されず継続された[17]

1963年 保昌山が舁山として初めて車輪を取り付ける。

1966年 後祭が前祭と合同され、後祭巡行は前祭巡行の直後に続く形となる。なお、それまでの後祭の巡行コースは三条烏丸出発、三条寺町南下、四条寺町西行だった。後祭の巡行日だった24日には花傘巡行が創設される。また、この年は鈴鹿山が巡行の合同に抗議し、宵山には参加したが巡行は不参加。

1970年 円山公園内に作られた山鉾の部材倉庫である「祇園祭山鉾館」が使用開始。9基の舁山と1基の曳山が使用している。大阪の万国博覧会に数基の鉾が出場。

1972年 舁山で最後まで車輪を付けていなかった郭巨山に車輪が付き、これで全ての舁山に車輪が取り付けられる。

1977年 地下鉄烏丸線工事により、烏丸通の山鉾の通過が困難になったため、烏丸御池解散を御池新町解散に変更し、有料観覧席を新町通まで拡大。この年以降、解散後の山鉾は全て新町通を通過することになる。

1978年7月10日 高松宮・同妃を迎えて菊水鉾再建25周年式典が挙行される。

1979年2月3日 「京都祇園祭の山鉾行事」が、重要無形民俗文化財に指定される。7月の巡行から綾傘鉾が115年ぶりに復興。

1981年 蟷螂山が117年ぶりに復興。

1985年 町内に本店があった京都相互銀行社長・笠松齋の肝煎で、四条傘鉾の本体が再建。居祭に参加。

1988年 四条傘鉾が117年ぶりに巡行に参加。

1994年 京都文化博物館にて「祇園祭大展」を開催し山鉾懸装品の名宝を公開。

1996年 傘鉾の巡行順をシード制とし、くじ引きに加える。

2001年 金剛能楽堂の移転により菊水鉾の宵山飾りを中止。

2003年 菊水鉾の会所が金剛能楽堂跡に建ったマンションの2階に完成。

2009年9月30日 国連教育科学文化機関(ユネスコ)政府間委員会により、「京都祇園祭の山鉾行事」が、無形文化遺産の代表一覧表に記載される(ユネスコ無形文化遺産登録)。

2012年 大船鉾が唐櫃巡行の形で巡行に参加する。後祭巡行列のくじ取らずの山鉾の順行順が変更される。

2014年 7月24日の後祭が復活する。大船鉾が150年ぶりに復興する。花傘巡行のルートが変更され、寺町御池から四条河原町までは後祭山鉾巡行の直後を行くことになる。

2015年 前祭山鉾巡行は台風11号の影響により史上初の悪天候による中止の可能性があったが、強い雨の中決行される[18][19]。後祭の鷹山の祇園囃子が復興し宵山期間に演奏される。

2016年 大船鉾の舳先を飾る木彫の龍頭が復元される。幕末の禁門の変で焼失するまで、1年交代で舳先が大金幣と龍頭を交換していたことに因む復元である。

2018年 記録的猛暑で花傘巡行が中止になる。子供が多く参加するため、熱中症のリスクに配慮したためである。9月、綾傘鉾本体と長刀鉾の祇園囃子がアメリカオレゴン州ポートランド市の京都文化の紹介イベントで披露される。京都の山鉾の海外展示は初めて。11月30日、「京都祇園祭の山鉾行事」を含めて拡張提案されていた「山・鉾・屋台行事(Yama, Hoko, Yatai, float festivals in Japan)」が、ユネスコ無形文化遺産の代表一覧表に記載される。

2019年 祇園祭創始1150年を迎える。6月8日、平安時代の神泉苑の園地に含まれる元離宮二条城において、祇園祭山鉾とルーツを同じくする「剣鉾」15基が一堂に会して剣鉾差しが披露される。6月29日に祇園祭記念フェスタが京都経済センターで行われる。6月30日、祇園祭1150年記念の提灯行列が行われる。後祭の鷹山が193年ぶりに唐櫃巡行の形で山鉾巡行に参加する。祇園祭1150年記念奉祝として四条大橋で3基揃っての神輿渡御を復活する。

2020年 3月、京都文化博物館にて「京都祇園祭 ―町衆の情熱・山鉾の風流―」を開催し山鉾懸装品や資料を公開。別館に郭巨山・橋弁慶山を実物展示。4月、新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大防止等の影響で祇園祭の山鉾行事(宵山・山鉾巡行・稚児行事)と神輿渡御の中止を柱とする、関連行事や神事の中止や縮小を決定する。伝統文化の継承・維持活動費を募るクラウドファンディングでは約1,600万円の寄付が集まる[20]

2021年 2年連続で新型コロナウイルス(COVID-19)の影響で山鉾巡行や神輿渡御、関連行事や神事の中止や縮小を決定する。ただし、山鉾は一部が技術伝承のため組み立てられ、宵山行事が縮小されながらも行われる。

2022年 3年ぶりに山鉾巡行や神輿渡御を実施。宵山は一部の町会所が一般公開中止になったり、一部の鉾の拝観を中止したりしたが、夜店の出店も含めて開催された。後祭の鷹山が196年ぶりに完全な形で復活した。ただし、お迎え提灯や花傘巡行など、子供の参加が多い行事が中止になったり、神輿洗いを八坂神社境内で行うなどの、神事の中止や縮小があった。

2023年 4年ぶりに完全な形での各行事が行われることになった。辻回しを特等席で観覧できる1席40万円のプレミアム観覧席を設置。後祭のくじ取らずである北観音山と南観音山の巡行順が隔年で交代することになる。花傘巡行のルートが大幅に変更される。

祭礼などの行事が国の重要無形民俗文化財に指定され、それとともに屋台・山鉾などの用具が重要有形民俗文化財に指定されているものは日本全国で5例のみで、その中の一つが祇園祭である。
後祭の復活大船鉾

1965年(昭和40年)まで7月24日に巡行を行っていた後祭を、大船鉾の再建に合わせて復活させる気運が高まり[21]2012年(平成24年)になって、2014年(平成26年)の巡行から大船鉾を巡行に参加させ、同時に後祭を復活させる方針を決めた。ただし、実際の復活には警察や地元町会等との調整が必要で正式の復活発表が遅れていたが、2013年(平成25年)8月に2014年(平成26年)の巡行から前祭の23基と後祭の10基に分かれて宵山や巡行を別日程で行うことになった[22]

巡行コースは現在の巡行コースの逆ルートとなった。これは、かつての後祭のコースが三条烏丸をスタートして、三条寺町から寺町通を南下し、四条寺町から四条通を西行し、四条烏丸で解散するという時計回りのルートであったことに倣ったものである(そのために、後祭の南北に走る通りに建てられる山は北を正面にして山を建てる。前祭と合同巡行の2013年(平成25年)までは、曳山は四条通まで一旦バックしていた)。現在の三条通や寺町通は曳山の巡行が不可能な構造である(低い位置に電線が通っていたり、アーケードがあったりする)ため、既に巡行に対応済みの現在のルートを使用することになったが、将来的には三条通の巡行を検討する。

山鉾の飾り付けは先祭と同様に宵々々山から開始するが、前祭同様その前日夕刻から飾り付けを開始する山鉾もある。有料観覧席は前祭は寺町御池から新町御池に至るまで設置されるが、後祭では京都市役所前に相当する河原町御池から寺町御池の間だけに設置される。ただ、この区間は山鉾巡行に引き続き花傘巡行が観覧できる場所である。寺町御池から河原町御池から四条河原町の間は山鉾巡行のコースと花傘巡行のコースが重複しており、両方の巡行が一度に観覧できる。

後祭の復活は、祭を本来の姿に戻すという意味のほか、多くの問題の解決策という面もある。山鉾の復興が進んで33基にまで増加した山鉾の巡行は、最後の鉾が解散地点である御池新町交差点に到着するのが13時30分前後までかかり、交通規制が長時間になったことや、先頭から最後までの山鉾を全部見ると2時間を越え、後祭巡行列が来る頃には有料観覧席に空席が目立つようになるなどの弊害が目立っていた。宵山期間の人出の多さも問題となっており、後祭の日程追加により人出の分散が期待された。ただ、2014年(平成26年)の前祭巡行は前年度の山鉾巡行よりも9基も山鉾の数が減ったのに、巡行の終了は逆に20分増加した。また、宵山期間の人出も14日(宵々々山)の露店出店・歩行者天国を中止したところ、7月14日の人出は半分以下の8万6000人になり、7月15日・16日に人出が集中した。特に7月16日(宵山)は前年の27万人の人出から34万人へと大幅に増加するなど、課題を多く残した。

後祭の2014年(平成26年)の人出は21日から23日までの宵山期間の人出はそれぞれ4万人・2万人・5万人で、前祭に比べればかなり少なかったが、落ち着いた雰囲気を評価する声も多かった。巡行は前祭の11万人に対し後祭は6万人を集め、前祭の半分以下の規模であることを考慮するとまずまずの集客であった。しかし、2015年(平成27年)の後祭宵山期間は台風の通過や曜日配列に恵まれず、21日は7000人、22日は5000人、23日は1万7000人と大幅に減少し、集客面での課題を残した。反面、好天に恵まれた後祭の山鉾巡行は前年と同じ6万人を集め、悪天候だった前祭の山鉾巡行とほぼ変わらない集客となった。3年目となる2016年(平成28年)は、宵山期間は8000人、1万人、2万人と、2年目より少し増加した程度であったが、巡行は日曜日と重なったこともあり、10万人を集めた。

諺で時機を逃して用を成さないことを「後の祭り」という。この語源は異説もあるが、前祭では豪華絢爛な鉾が多数巡行するのに対し、後祭では山鉾の数が少なく小規模であることから、前祭を見逃して残るは後祭しかないような状況を指すようになったという説もある。
日程

旧暦太陰太陽暦)では6月に行われていたが、新暦グレゴリオ暦太陽暦)では7月に行われている。新暦移行後も幾度も日程の変遷があるが、以下に示すものは2014年(平成26年)からの後祭復活後のものである。なお、開始時刻は前後することがある。

時期・日付祭事
6月中旬?下旬

長刀鉾稚児結納(稚児自宅・一般非公開)。稚児役の少年が長刀鉾町の代表者と形式的に養子縁組する。

ここからが祇園祭
7月1日

長刀鉾町稚児お千度(10時・八坂神社)。


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