礼号作戦
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注釈^ フイリツピン群島方面マクアーサー元帥司令部にてヴァン・アツタ(國際)特派員二十八日發=マクアーサー元帥けふ發表によれば、日本艦隊が火曜日夜ミンドロ島の確乎たる米軍陣地を破壞せんと無駄な企圖に出でた際我が方は敵驅逐艦三隻を撃沈、戰艦一隻および巡洋艦一隻を撃破した[13] 戰艦一隻、巡洋艦一隻、驅逐艦六隻より成つてゐた右日本海軍部隊が米軍陣地に對して行つた砲撃は頗る不正確にして、南支那海の大部におよぶ米側の制壓權を粉碎せんとする彼らの企圖は無駄に終り高價な犠牲を拂つたのであつた、敵艦隊は薄暮ミンドロ島へ接近中を發見され、米空軍中爆撃機、戰闘機隊および魚雷艇隊は直ちに出動、攻撃を加へた "我が方航空隊の反復出撃により敵は沿岸線へ若干の無効かつ不正確な砲撃を行つたのち退却を餘儀なくされた、敵驅逐艦三隻撃沈、戰艦および巡洋艦各一隻に命中彈を與へた" 日本海軍部隊の右攻撃と協調して敵空軍小部隊は米軍地上陣地に輕微のな攻撃を行つたが、輕少の損害を生ぜしめたのみで、敵機三機は撃墜された(以下略)
^ 戦艦は重巡洋艦足柄を誤認したもの。「戦艦1隻、巡洋艦1隻、駆逐艦6隻がミンドロ島の米軍陣地を攻撃してきた」と記述するアメリカ側資料もある[60]
^ 木俣。魚雷艇は連日の日本軍機の空襲で稼動12隻に減少しており、うち2隻は別任務で出航中だった。
^ 連合軍側記録では「魚雷艇PT-223(艇長ハリー・グリフィン中尉)が清霜を撃沈した。」と記録する[60]。木俣によれば、時刻などが異なり誤認と思われる。
^ チェスター・ニミッツ共著の『ニミッツの太平洋海戦史』では「十二月二十六日から二十七日にかけての真夜中、日本水上部隊はミンドロ島沖に達し、短時間飛行場を砲撃したが、空中攻撃を受けて後退した。避退運動中駆逐艦1隻が魚雷艇の放った魚雷射線によって沈められた」とある[64]
^ アメリカ軍の記録では友軍機の誤爆となっているが、日本軍機の攻撃の可能性もあると思われる。(木俣)
^ 〔 南西方面艦隊ニ於キマシテハ昨夜〔十二月二十六日〕水上部隊ニ依ル「ミンドロ」突入攻撃作戦ヲ次ノ通実施致シテ居リマス  第二遊撃部隊ニ属シマスル足柄、大淀及駆逐艦六隻(旗艦霞、第二駆逐隊<清霜、朝霜>榧、杉、樫)ハ第二水雷戦隊司令官之ヲ指揮シ二十四日午後一時「カムラン湾ヲ出撃致シマシテ……昨夜「「サンホセ」ノ敵泊地ニ突入 攻撃ヲ決行致シ 基地航空部隊モ全力之ニ協力作戦致シテ居リマス模様デ御座イマス 只今迄ニ判明致シマシタル状況ハ 昨日ノ飛行機偵察ニ依リマスルト「サンホセ」泊地附近ニハ的輸送船四隻乃至五隻其ノ他小舟艇若干在リマシタル外「スルー」海附近ニハ敵艦船ヲ認メテ居リマセヌ 〕
^ 〔 基地航空部隊ハ水上部隊ノ対潜警戒ヲ行フト共ニ右攻撃ニ策応致シマシテ敵「サンホセ」飛行場ニ対シマシテ昨夜 延二五機ヲ以チマシテ爆撃ヲ行ヒ 南北両飛行場共火災ヲ生ゼシメテ居リマス 又対魚雷艇直衛ニ出マシタ水上爆撃機ハ魚雷艇二隻ヲ撃沈シテ居リマス  右戦闘ニ於キマシテ水上部隊ノ蒙リマシタ被害中只今迄ニ判明致シマシタル所ニ依リマスト 清霜被爆ニ依リ沈没 足柄、大淀被爆ニ依リ小破 其ノ他機銃弾ニ依ル被害ガアリマス模様デ御座イマス 〕
^ レイテ島に向かう途中で燃料切れとなり、失われた。(木俣)

脚注^ a b 戦史叢書102巻407頁「礼号作戦」
^ a b c d e 戦史叢書93巻108-109頁「水上部隊、ミンドロに突入す―礼号作戦」
^ a b c d 戦史叢書54巻456-459頁「ミンドロ島上陸と禮号作戦」
^ 戦史叢書81巻478-480頁「決号作戦不発」
^ a b c d e 戦史叢書81巻498-500頁「捷一号作戦指導要綱案の策定」
^ a b 戦史叢書93巻87-89頁「米軍のミンドロ島上陸と、航空兵力の緊急増勢の要請」
^ a b c 戦史叢書48巻635頁「飛行場設定と戦闘部隊の進出」
^ a b c d e 戦史叢書41巻565-567頁「三 方面軍自主、三大拠点準備に着手」
^ a b 戦史叢書81巻500-501頁「現地の状況」
^ a b c d e f g h i 戦史叢書93巻105-107頁「三 水上部隊によるミンドロ島突入作戦/聯合艦隊、逆上陸を督促」

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