大学中退後、1980年代半ばからアニメーターとして活動を始める[3]。ネオメディアに出入りするがフリーになり、その後、キャラクター作画の修行のためにスタジオ座円洞に入る[4]。
1988年公開の映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』にメカニック作画監督と原画で参加[5]。テレビシリーズに参加していた流れでサンライズの制作デスクの高森宏治から原画に誘われて会社を通さずに小田川幹雄の名義で参加、その後メカ作監も担当することになった[4]。さらに高森から人手不足なので所属スタジオを紹介して欲しいと頼まれたため、彼自身が座円洞の社長に話を持って行った[4][5]。その結果、ペンネームの小田川幹雄(作画監督と原画)と本名の磯光雄(原画)の両方の名前でクレジットされることになった[4][5]。
1989年発売のOVA『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』で原画を担当し[注釈 1]、アニメ業界関係者やファンにその存在を強く印象付けた[6][7][8][9]。巨大兵器としてのモビルスーツ[注釈 2]の恐ろしさを、見上げるようなカメラアングルや作画、エフェクトで表現し、これに加えて爆風や空気抵抗による2次的な影響まで描写した[7][10][11]。特に画面内に起きうることを想像して積み重ねる作画思想は、後のリアル系作画に大きな影響を与えた[10]。また、この作品では「磯爆発」と呼ばれ、以降広まっていく爆発エフェクトが顕著に見られる[注釈 3][6]。監督の高山文彦とメインデザイナーの出渕裕からは初めてデザインをする機会を与えられ[注釈 4]、メカや軍の個人装備の一部を担当した[注釈 5][12]。