1989年発売のOVA『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』で原画を担当し[注釈 1]、アニメ業界関係者やファンにその存在を強く印象付けた[6][7][8][9]。巨大兵器としてのモビルスーツ[注釈 2]の恐ろしさを、見上げるようなカメラアングルや作画、エフェクトで表現し、これに加えて爆風や空気抵抗による2次的な影響まで描写した[7][10][11]。特に画面内に起きうることを想像して積み重ねる作画思想は、後のリアル系作画に大きな影響を与えた[10]。また、この作品では「磯爆発」と呼ばれ、以降広まっていく爆発エフェクトが顕著に見られる[注釈 3][6]。監督の高山文彦とメインデザイナーの出渕裕からは初めてデザインをする機会を与えられ[注釈 4]、メカや軍の個人装備の一部を担当した[注釈 5][12]。
1989年のOVA『EXPLORER WOMAN RAY』に匿名で参加[13]。『ポケットの中の戦争』第1話を見たAICに誘われ、第4話制作までの間に参加した[4]。この頃は座円洞を離れてスタジオ絵夢に籍を置いていた[13]。
1990?92年頃、スタジオジブリに籍を置く[14][15]。テレビスペシャル『雲のように風のように』(1990年)での仕事を見たジブリの宮崎駿から直接スカウトされたという[16]。ジブリ作品では、宮崎がプロデューサーを務め高畑勲が監督した『おもひでぽろぽろ』(1991年)、宮崎が監督した『紅の豚』(1992年)、そして若手中心の『海がきこえる』(1993年)で原画を担当した。初めて関わった『おもひでぽろぽろ』では、主に主人公・タエ子の子供時代の原画を担当した[注釈 6][8][12]。